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16 同じ苦しみ
すっかり夜の更けた帰り道を、ラグレイドと歩いた。
いつもよりも闇が濃いように思うのは、月が隠れているせいだろうか。
こんな夜道を一人で歩くのだったら、きっととても怖いだろうけど、いまはラグレイドと一緒にいる。
まだ番いになって間もない頃にも、こうして手を繋いで歩いたことがあったなぁと思い出す。
あの頃はまだこの地での生活に慣れていなかったし、できそこないのΩという自分の立場にも不安があった。
だけど今は、ラグレイドが一緒だったらどんな夜道だって怖くない。頼りがいがあって雄々しくて、騎士の制服も似合ってとても格好良い。
ラグレイドは騎士団の仲間達からもとても信頼されている。騎士団職員たちがラグレイドにむける眼差しを間近で見ていたら分かる。さきほどの簡易事務所の若い騎士も、俺たちのことを建物の外まで見送りし、いつまでも敬礼してくれていた。
ラグレイドは一見強面で厳めしい雰囲気だけど、よく見ると顔の造作が整っていて優しげな瞳をしている。それに実は面倒見の良いところがある。俺が騎士団の職員だったら、絶対にラグレイドと一緒に働きたい。
魔力の低下による不調とのことだったけれど、それほど重い症状ではなくて良かった。
ラグレイドは人より強い魔力を持っているから、きっと周囲から頼られることも多いのだろう。
騎士団内で、他の仲間と声を交わしている時のラグレイドは、俺のよく知っているラグレイドとは少し違った。凛とした空気と、軽々しく声を掛けられぬほどの威風を纏い、毅然として気高くい騎士然として。
その体には、おそらくたくさんの責任や期待を引き受けている。時には限界を超える力を使わざるをえないこともあるのだろう。
だけど俺には、こうして手を繋いで歩いてくれるし、家ではごはんを作ってくれる。
格好良くて大人で、凄い人だなあと思う。
「今日ね、俺すごくがんばったよ、芋の皮をいっぱい剥いたの。山盛りの芋汁をね、たくさんの人に食べてもらったよ。お土産もいっぱいもらったよ」
俺は宿舎までの夜道を歩きながら、ちょっと今日のことを話したくなった。だって本当にすごく濃い一日だったから。
「あのエプロンも、すごく役に立ったよ」
ラグレイドのおかげでいろんなことがうまくいった。それにとても楽しかった。そのことをぜひとも伝えたかった。
「......ああ」
だけど見上げる横顔は、どこか、いつもより元気がないように思えた。
気のせいかもしれないけれど、まだ疲れているのかも。なにしろさっきまでベッドで横たわっていた人なのだ。あまり一方的に話しかけては良くないのかもしれない。そういえば、いつもは熱いくらいの手のひらも、未だにすこしひんやりしている。口には出さないけれど、実は身体が辛かったりするのだろうか?
そんな疑念を感じつつ、灯りの少ない住宅街の裏通りにさしかかった時だった。
違和感を感じた。
......なんというか。
ラグレイドの歩みが急激にゆるまり、手を繋いでいた俺も、つられるようにして歩みをゆるめた。
どうしたの、と聞こうとして、思わず言葉を呑み込んだ。
黒豹獣人の騎士は、雲間から露わとなった満月の下に立ちすくみ、浅く苦しげな呼吸をしていた。只ならぬ様子の荒い息が漏れ、白い呼気が闇にたなびく。
まずい気がする。
なんとなく。よく分からないけれど。
「......すまない」
なぜだか謝られた。
ラグレイドが変だ。
月の影となって、相手の表情がうまく読めない。
状況が理解できないまま俺が立ち尽くしていると、ラグレイドの呼吸が一瞬途絶えた。
「......?!」
いきなり腕を強く引かれた。
あっという間に板塀に背中を押さえ付けられ、全身を抑え込まれて身動きが取れなくなった。
俺は呆然として、目の前の存在へと視線を上げた。
そこには、黒々とした大きな影と、らんらんと耀く双眸があった。
持ちそうにない。
押し殺した囁きが鼓膜を揺らした。
屈み込んでくる大きな影。押しつぶされそうだと錯覚して身を竦める。
シオ
苦しげな声に名前を呼ばれた。
すぐに、噛み付かれるかのような激しい口付けが襲ってくる。
再び魔力を奪われている。
そのことに気付いたけれど、どうすることもできなかった。俺にできることといえば、ただ受け入れて、耐えることだけ。
息継ぎが苦しい。いつもの余裕が感じられない。いつもだったら、もっと優しくゆっくりされる。さっきの静養室でだってこんなふうじゃなかった。
熱がどんどん奪われる。舌を喰い千切られそうな勢いで吸われるし、唾液も呼吸も魔力も全部、容赦なく奪い取られる。
.........怖い。
こんな風に、酷く求められたことがない。
いつものベッドの中での交流が、いかに手加減されていたかが分かる。
これは、まずいと思う。これではすぐに限界が来る。俺の体力は、只でさえ今日一日の作業と、先程の魔力の移譲で落ちている。
逃れないと、身体が持たない。
......だけど、逃れようとは思わなかった。
退けたいとも思えなかった。
だって、さっきから、俺の身体を抑え込む腕や圧し掛かる身体から、わずかな震えが伝わってくる。
「......シオ......、シ、オ......」
縋り付くかのように。或いは、救いを求めるかのように。ラグレイドは俺を掻き抱き、何度も何度も俺の名を呼ぶ。
「......ラグ」
俺は必死に手を伸ばし、その大きな身体を抱き返した。
ラグレイドは、きっと限界が来たんだ。いっぱいいっぱいがんばって、耐えてきたつけがきっと今出てしまったんだ。そうでなきゃ、こんな風に苦しげに俺を抱かない。痛いくらいに貪るようなキスをしたりしない。
帰ろう。
うちに、帰ろう。
必死に囁くと、
......グウウウゥゥ
獣人の喉の奥底から、押し殺したような呻きがあがった。
「うわぁっ」
と思ったら、視界が大きく反転した。気が付けば俺は、ラグレイドの肩に荷物のように担ぎ上げられていた。
そうして獣人は、風を切る速さで夜道を駆け出す。
宿舎の部屋に辿り着くと、ラグレイドは素早い動きで内鍵を締め、俺を床に降ろすや否やすぐに口を塞ごうとする。
「ラグ、ベッド、ベッドがいいっ」
ベッドに辿り着いても、解放される気配はなかった。
足りない、もう少し、あと少しだけ......。
何度か、そんな言葉で懇願された。
魔力を奪われ、流し込まれて、また奪われる。
気が付けば、俺は上半身のシャツをはだけられていて、肌を吸われ、噛まれて撫でられまた擦られる。無意識に身を捩ろうとする身体は、引き摺り戻され、また吸い付かれる。
限界はすぐに訪れた。身体が辛くて、与えるのも、与えられるのももう無理で。耐えられなくて、俺は幾度か嗚咽を漏らした。そうすると、獣人は苦しそうに俺を抱き締め、しばらくじっと動かなくなる。
『今までは、一人で耐えておられましたから』
簡易事務所の若い騎士が言っていた言葉の意味が、少しだけ理解できた気がした。
魔力を失う状態は、きっと想像以上に苦しいことで、肉体的にも、精神的にも、不安定になってしまう。
その状態をもっとも効率よく埋め合わせるのが、番いとの魔力交流なのだろう。
俺にできるのは、ラグレイドの苦しみを半分引受け、寄り添って、癒やすこと。
俺の身体を抱え離そうとしない獣人に全身を委ねながら、俺は俺の役割りについて、ぼんやりとそう考えた。
魔力での戦いを求められる騎士として、隊を率いる副隊長として、番いを持たない獣人として、今までラグレイドが、いったいどれほどの不安や苦しみを耐えてきたのか。
俺は夜の間中、でき得る限りその身体を抱き返し、求められるまま魔力を交流させ続けた。時には激しい酩酊に泣き、時には同じ渇望に喘ぎながら、夜が明けるまで寄り添い続けた。
【シオの書いた報告書】
獣人地区には美味しい食べ物がたくさんあります。獣人は食べることはもちろん、他者のために作ること、ふるまうことにも大きな喜びを感じるようです。一緒に活動していると、そうした喜びがこちらにも伝わってきて、いつの間にかとても幸せな気持ちになります。
ところで芋ですが、獣人地区にはすごく沢山の種類の芋があります。一番のおすすめは「紅イモ」という芋で、その実はとても甘くて栄養があります。蒸かしてもよし、バター焼きにしてもよし、蒸して潰して「芋あん」にするのもおすすめです。もちろん芋汁に入れても美味しいです。
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