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18 視察が来る
王宮から視察が来る。
という情報が、突然降って湧いて出てきた。
これまでにも獣人地区には、王国からの視察団が、定期的に何度か訪れている。
ただ、定期と言ってもその間隔は長く、4年か5年に一度という頻度だ。前回の視察からは、まだ1年ちょっとしか経っていない。
それなのになぜ、今の時期に視察など? と疑問に思えるところだが、どうやら今回の訪問は、定期の視察とは別で、「近くまで来たついでに挨拶がてらちょっと寄らせてほしい」的な、気軽な感じの訪問らしい。
本当に急な話で、俺も所長さんから聞いて初めて知った。
そして、なるほどついでの訪問かあ、とすぐに納得したのだけれど。獣人地区のお偉いさん方は、「ついでの訪問」などという生ぬるい理由では、どうやら納得ができなかったようだ。
この情報が伝わってすぐに、獣人地区代表書記官とか、獣人地区騎士団事務局長とか、商業組合長さんとか、他にも偉い人が何人か、出張所事務所の俺のもとを訪れて来た。
「なぜこんな中途半端な時期に視察が来るのだ!?」
「今までさんざん放置されて自由にやれてきたのに、今さら何か問題でも?!」
「まさか税金を増やそうとか、経済に制限を加えようとかいう前準備では??」
王国の意図は?!
真の訪問理由は!
何か他に知っている情報は......!
疑心暗鬼となったお偉いさんたちが、俺のデスクに詰め寄って質問攻めにしてきたけれど、俺は王国の政治のこととか、国の意図とか全然知らないから答えられない。
たしかに俺は過去に王宮に勤めていたけれど、すみっこの部署の窓際の席で、命じられた仕事を細々とこなしていただけだった。
ただ、俺が知る限りでは、国はお金に困ってはいなかったし、近隣諸国との関係もそんなに悪くなかった。領地を広げようなんて話題もまるで聞かなかった。
やっかいごとと言えば、辺境の森でたまに魔物が出ることくらい。それだって、安全な王都にいればまるで他人事のようだった。
「これは、俺の憶測なんですけど......、」
みんながあまりにも深刻に悩むので、俺は思い切って、俺が思う今回の訪問理由について、意見を述べてみることにした。
「もしかしたら、ここのめずらしいお菓子とか、ご馳走とか、食べてみたくなったんじゃないですかね」
「............」
一瞬真面目な顔で俺の話に耳を傾けていたお偉いさん方だったが、微妙な沈黙の後、再びあーでもないこーでもないと、かたまって議論をし始めた。
どうやら俺の意見はお気に召されなかったようだった。
「......とりあえず」
それまで黙って仕事をしていた隣のデスクのゴロゴさんが、ぼそりと呟いて立ち上がった。
「鍋は片づけるべきだ」
実はいまだに事務所の隅には、この前の祭りで使った大鍋が、立てかけられたままだった。その横には、芋が3つほどころがっている。みんな祭りに燃え尽きていて、いろんな片づけがずるずると後回しになっていた。
「これも、どうかするべきだろう」
ゴロゴさんが眉間に皺を寄せて見つめる先には、『抜け毛のお手入れ忘れずに!』という色褪せて破れかけたポスターがある。そこには、可愛いチワワのアイドルが、ブラシを片手にとびきりの笑顔でウインクしている。
「......掃除をせねば......」
誰かが呟いた。
そうだ。王宮から来た高官が、気まぐれにどこを見学するか分からない。
不味い。いろいろマズい。
仕事をしながら聞き耳を立てていた事務所の職員全員が、たぶん一斉に蒼ざめた。
事務所のそれぞれの仕事机は、よく見るとわりと自由で、趣味の絵入りのペン立てや、マグカップやフィギュアや謎のオブジェなど、みんな好きなものを置いている。
部屋の隅には鍋のほかにも、しおれたバルーンや、くたびれた看板や丸まったポスターや誰のか分からない長靴など、いろいろなものが放置してある。給湯室はお菓子がごちゃごちゃ置いてあるし、外の畑は収穫が終わり、草が荒れ放題に伸びている。
「そ、そうだ! まずは掃除だ! どこを見られるか分からないぞ!」
「遊び道具は全部しまうんだ!!」
「あちらさんでは抜け毛もすごく嫌われるぞっ!」
獣臭いのも嫌がられるんじゃないか?!
食べられる草よりも花を植えなければ!
あちらさんは三度の飯よりも花が好きらしいぞっ!
お偉いさんたちは急にそぞろに色めき立って、散り散りに自分の職場へと走り去った。とりあえず、目下のやるべきことが見つかったのだろう。
出張所でも、急に掃除や片づけ、花壇作りが流行りはじめた。
気が付けばみんな、雑巾を片手にそこいらじゅうを拭いている。玄関先に設えられた花壇には、取ってつけたような花がにこにこ咲きだしたし、『抜け毛のお手入れ忘れずに!』のポスターも、新しいものと貼り替えられた。
王国の人たちはたしかに花好きが多いし、清潔なのも喜ぶだろうけど......。
三度のごはんだって大好きだぞ、と俺は思った。
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