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20 危険は回避された

 恐れ戦く俺を余所に、歓迎パーティは思いの外和やかに進んでいった。  獣人地区の人々の良いところは、意外人懐っこいところだなぁと思う。  飲み物を勧める獣人たち。  食べ物を勧める獣人たち。  王国の人々の食べる姿をじっと見守り、「美味しい」の言葉が出ると、たちまち破顔する人々。揺れるしっぽ。ぴこぴこする耳たち。  護衛の騎士らも、食べ物や飲み物を勧められて、それまで硬かった姿勢を崩し表情を緩めている。  偉い人たちは、騎士団設備や郷土料理のあれこれについて、語り合ったり聴き入ったりしているようだ。  ああ。平和的に交流できているようでよかった。 「あれ、シオ、泣いてるの?」  となりのレアルさんに声を掛けられ、俺は「ちがう」と首を振った。 「ほっとしているんです。街が滅びなくてよかったなぁと思って」 「相変わらずキミ、面白いことを言うね」  眼鏡をクイと押し上げながら、珍しく白衣ではないレアルさんが言う。  さすがに今日は、みんな正装をして来ている。俺も今日は、きちんとした襟のあるシャツにタイを結んでいた。  護衛の一人として騎士団長の背後に控えるラグレイドも、今日は騎士の正装をしている。遠目に見てもとても格好良い。  そういえば、獣人地区にもラグレイドのような強い魔力を持つ騎士がたくさんいるのだ。訪問する王国の人々が警戒してくるのは当たり前か。  俺だって、よく知る前は獣人のことが怖かったし、獣人地区のことを得体の知れない恐ろしい場所だと思っていた。  住んでみたら、すごく良い場所で、いまでは滅多に怖いなんて思わないけど。 「それより、いろいろ食べるんじゃなかったのか?」  野菜を山盛りにのせた皿を片手に、フォークに刺したトマプをもう片方の手に持ちながらゴロゴさんが言う。 「そうだっ。俺いっぱい食べるんだった!」  今日一番の目的を思い出した。  豪華なご馳走が勢揃いしているのだ。食べないなんてもったいない。  俺は談笑する人々の間を縫って料理のテーブルのもとへ行き、お皿にご馳走をのせてまわった。そうしてまた出張所の人たちのいる窓際へと戻ってもりもり食べる。  周りからは「いっぱいのせてきたなぁ」と笑われたけれど、美味しいからいいのだ。好きなものを楽しく美味しくが一番いいのだ。 「シオ、シオじゃないか?」  次の料理をおかわりしようと、ご馳走の並んだテーブル前でトングを片手にあれこれ物色していると、うしろから知っている声に呼び掛けられた。  俺はいそいで口の中で溢れそうになっていた涎を飲み込んだ。 「はい、そうです」  振り返ると、元上司の第3事務室長がそこにいた。 「やあ、久しぶりだね。思ったよりも元気そうで本当に良かったよ。頑張っているようだね」 「はい」  室長が俺にこんな親しみのある笑顔で話しかけてくるなんて、初めてのことではないかと思った。  俺は王宮ではずっと第3事務室の末端の席で、地味な事務処理の仕事をしていた。室長が話しかけてくるときは、ミスを指摘してくる時と、仕事の指示をしてくる時と、あとは雑用を頼みにくる時だけだった。 「もう大分慣れたのかい?」 「はい、おかげさまで」  過去の俺は、思えばすごく従順な職員だった気がする。  忙しい時は休憩を削って何時間も残業をしたし、暇な時期には掃除や書類整理ばかりをしていた。面倒な雑用も、つまらない作業も、黙ってまじめに取り組んでいた。  室長と最後に話したのは、異動の辞令をもらったときだ。「君にとっては良い話だから、勉強だと思って行きなさい」そう言われ、俺がなにか質問をしようとしたら、「これは決定事項だから。何を言われても覆らない」と目を逸らされた。そうして会話は一方的に打ち切られたのだ。 「実は良い話があってね」  俺の父親よりも年輩であろう白髪の上司は、笑顔で俺の顔を覗き見た。 「君にまた、王宮に戻ってもらってはどうか、という話しが持ち上がっているのだよ」 「え」  室長は、周囲の喧騒を遮るようにして小声で囁く。 「君の頑張りを評価してね。どうだろう?」 「.........」  メラメラと、自分の中に猛烈な勢いで沸き上がる感情があることに気が付いて、俺は大理石の冷たい床に視線を落とした。  ふと、気配を感じた。  目を上げて見れば、大広間の遠く、主賓をもてなす華やかな場所の一部から、黒豹騎士の黄金の瞳が、まっすぐに俺と上司の姿を捕えていた。  じりじりと燃えるような眼光だった。  もしちょとでも俺に何かが起こったら、きっと黒豹の騎士が黙っていない。そうしたら、結果的に、会場が吹っ飛ぶような大惨事に発展するだろう。  俺は上司に視線を向けた。 「異動の話ならば拒否します。どうしても戻れと指示があるのなら、俺は仕事を辞めたいです」  室長は驚いたように口をぱくぱくさせて固まった。拒否されるとは思っていなかったのかもしれない。 「俺はここでの仕事が気に入っています。このままここに留まりたいです」 「う............っ、そ、そうか」  上司にも何となく、このピリピリとした剣呑な気配が伝わったのかもしれない。 「よっ、よく分かった。上にもそのように伝えておこう」 「はい」  じゃ、じゃあ、わたしはちょっとあちらの様子を見てくるよ。などと言い、室長はぎこちなく俺の横から離れて行った。  こうして、なんとか危険は回避された。      

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