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28 雨宿り
話は少し戻るけれど、あの後俺は、ラグレイドに付き添われてΩ専門の診療所にかかったんだ。
俺は1日寝ていたら元気になったし、身体の不調も特になかったから、別に医者に診せなくてもいいかなと思っていたんだけど。ラグレイドがとても気にしたのだ。俺の身体のこともだし、つまり、「中出し」をしてしまったことに、多大な責任を感じたらしい。
「こ、子ができているかもしれないだろう」
珍しく赤面し、だけど非常に真剣な表情でそう言うので、そうか、その可能性があるのか、と俺も医者にかかる気になった。
結果は特に異状はなしだったし、子はできていなかった。
俺のΩ機能がまだ未熟だから、という理由ではなくて。どうやら異種間ではそういった可能性はとても低いらしいのだ。獣人同士の系統の似た種族間ならばまだしも、人と獣人などという差異の大きい組み合わせとなると、可能性の数値はゼロに近いとのことだった。
だけどゼロではないのだよ、と白髪のお医者さんは説明してくれた。もしかしたら、ということもあるからね。それに、お互いに仲良く元気に過ごせることが一番大事だよ。
そうして、いろんな薬をたくさんもらった。
朝からどんより曇り空の日だったけれど、歩いて帰る途中に、とうとうぽつりぽつりと降りだした。
小雨にみえた雨脚は、瞬く間にひどくなって、俺たちは小さな停留場の屋根の下へと駆け込んだ。辺りの景色が煙るような土砂降りとなって、当分止みそうにない。
ぼんやり道を眺めていたら、ラグレイドが上着を着せかけてくれた。
寒いだろう、と言う。たしかに、雨に濡れてちょっと冷えていたからありがたかった。
ラグレイドは半そで姿になってしまったけれど、全然寒くなさそうだ。片手で前髪をかき揚げながら、雨空を見ている。
「俺も、黒豹の獣人だったらよかったな」
ふと、心に浮かんだ言葉を、そのまま口に出してしまった。
だって、そうしたら、子ができていたかもしれない。
えっちをした翌日にも寝込むことなく、元気に過ごせていたかもしれない。少しの雨でも冷えることなく、走って家まで帰れたかもしれないし、ラグレイドから上着を借りることもなかったに違いない。
俺は人間で、ラグレイドにくらべたらとても弱い。
どうして俺達が番いなんだろう......。根本的な疑問に思いが至ってしまう。
だって、ラグレイドにふさわしい相手だったら、獣人地区にいくらでもいるのに。そのほうが、ラグレイドにとっても幸せだろうに。どうして俺がーー。
突然がばりと抱き込まれた。
ラグレイドの腕の中だ。
「......シオがいい。俺は、シオがいい」
ラグレイドは滅多に怒らない人だけれど、この時は、もしかして怒っているのかもしれないと思った。それくらい頑なな声だった。
堅固な腕が、俺を抱き締めたまま動かない。
どうにもならないことを口にしてしまったなあと思う。それによって、ラグレイドを悲しませてしまったかもしれない。
だけど、目の前に提示された現実が、どうにも嘆くべきことのように思えてならず、笑って誤魔化したり冗談めかしてやり過ごすことができなかった。
差異の大きい異種族同士の番いであること。子を実らせる可能性が限りなく低いこと。
なんだか、「番うにはふさわしくない」と言われたみたいで。
みんな優しくて、誰もそんな風には言わないけれど。俺が勝手に落ち込んでいるだけだけど。
激しい雨の音が、すべての音を打ち消すように耳を満たす。
シオがいい
もう一度、つぶやく声が聴こえた気がした。
やがて雨は小降りになって、辺りにはうっすらと晴れ間が見えてきたけれど、獣人は俺の髪に鼻を埋めたままだった。
雨がやんできたことで、通りには行き交う人の姿が戻って来ている。
「ラグ、人が来るよ」
「............」
「誰かに見られちゃうよ。部下とか、上官とかが通りかかるかもだよ」
「............」
騎士は少しだけ身体の向きを変え、通りから俺の姿を隠すようにして、余計に抱き締めてきただけだった。
あたたかい体熱を感じる。
とくんとくんと、伝わってくる相手の鼓動が心地よくて、耳を澄ます。
俺は腕をまわし、大きな背中をそっと抱き返した。がっしりとした硬い身体は、雨でわずかに濡れていた。
......帰ろうよ。
俺はラグレイドにだけ聞こえる声で囁いた。
部屋に帰ってキスがしたい。
ソファのところでゆっくり座ってするのがいい。
お腹がぐうと鳴ってしまった。そろそろお昼ごはんの時間のはずだ。
そういえば、おなかが空いたなと思う。
「俺、ベーコンとたまごとサラダをパンで挟んだのが食べたい。この前作ってくれたマヨなんとかっていうの、いっぱいのっけるのがいいよぅ。......おなか空いた......」
「......」
静かに息を吐き出す気配がして、ラグレイドの腕がそっと解けた。
「......そうだな。帰ろう」
いつもの、穏やかな琥珀色の瞳だった。
雨上がりの新鮮な空気の中で、黒豹獣人の青年は少し眩しそうに俺のことをじっと見つめる。
綺麗だな。
雨で乱れてしまった俺の髪を直しながら、ラグレイドがつぶやいたけれど。
綺麗なのはラグレイドのほうだ、と俺は思った。ラグレイドの姿も、表情も、眼差しも、全部、男らしくてすごく綺麗だ。
大きな手に手をとられ、俺たちはそのまま歩きはじめた。
繋いだ手を意識しながら歩くのはちょっとだけ照れた。けれどなんだか嬉しくなって、俺は少し笑ってしまった。
部屋に着くとラグレイドは、さっそく俺のリクエストの昼食を作ってくれた。俺はお茶を淹れるのを手伝った。
こんがり焼いた肉厚ベーコンと、たっぷりのマヨで和えた卵サラダをパンで挟んだ、ボリュームのある昼食となった。とても美味しかった。
俺が、「マヨなんとかというのがすごく美味しい」と言うと、「じゃあ次はもっといっぱい作ろう」と、ラグレイドの料理意欲に火を付けたようだった。
「俺もさ、ラグレイドがいいって思うよ」
食後のお茶をすませ、2人でお皿を片づけながら、俺がそう言うと、ラグレイドは「おや?」と言う顔をして俺を見た。
「だってラグは優しいし、作る料理はすごく美味しいし、カッコイイし、なんかいい匂いがするし、超スパダリだし」
「スパダリ? それは何だ?」
なんと。
スパダリという言葉が伝わらなかった。
王国のほうでしか使われない言い方なのかもしれない。
「スパダリっていうのは、『すごくいい男』っていう意味だよ」
俺が説明すると、ラグレイドは片づけの手を止めないまま、微かに目元を赤らめた。
そうして、ちらりと俺に視線を寄越すと、
「そうか。スパダリか」
と、わずかに照れたようにそうつぶやいた。
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