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第4話

 窓から街灯の明かりが微かに差し込む。電気もつけず、真っ暗な部屋の中、椎名は焦点の定まらな瞳で黒い天井を見つめていた。  情けなく相庭にすがりついたおかげで、若奈がいないこと以外表面上は何も変わらなかったが、親友だった男がギリギリ友達みたいな顔をして、他人行儀な態度をとるせいで、椎名の傷は癒えるどころではなかった。  だが、気軽に頼れる人間なんて他にいない。弱みを見せられる相手も、ましてや無条件で弱っている椎名を受け止め、哀れんだり諭したりしないでくれる相手なんか、どこにも。  「残念だったな」とか「お前にも原因がある」なんて言われようものなら、椎名は余計に自信を喪失するに違いないし、大体の友人たちにはそう言われる気がした。  相庭はやはり無駄なことは一切言わなかった。代わりに自暴自棄な告白と、決別という名の最後通牒をつきつけた。  思い出すともやもやしてくる。一方的過ぎる告白、一方的すぎる絶縁宣告。話し合う余地もなく、清々しいほどなにもかもが一方的だった。しかも椎名が人生で一番落ち込んでいる時に。  どうしてそんなことが出来たのか理解できない。全く意味がわからなくてイライラした。  若奈の方がもっと一方的で、その上不貞を働いていたにも関わらず、それでも今この瞬間どうしようもないほど相庭に腹を立てていた。なぜ、なぜ、と頭の中でしつこく問い詰める。  全く冷静になれずとうとう沸点に達してガバッと上半身を起こすと、携帯電話を手にとった。  開いた通話履歴に若奈の名前だけがズラリと並んでいるのを見て、頭を掻き毟りたい衝動に襲われる。なんとか堪えたものの、大きく膨らんだ負の感情は、頭の中に浮かんでいるたった一人へと集中した。  ムカムカした気持ちのまま電話帳から相庭の番号を引っ張り出し、勢いに任せて発信ボタンを押す。何を言うかなんて考えていない。  どうせ連絡したって迷惑そうな声でよそよそしく対応されるだけなのに、どうしても止められなかった。――何か言ってやらないと気が済まない! 「――もしもし? 椎名、どうした?」  液晶画面の発信者通知で相手が誰かは既にバレている。たった今まで部屋の中でくつろいでいたような穏やかな声に、椎名は言葉を詰まらせた。 「えっと、その……」  思う存分苛立ちをぶつけるつもりが、電話口の落ち着いた声のせいで勢いを削がれた。 要件を言わない椎名に対して呆れたようなため息が聞こえ、心にトゲが生える。 「……相庭は勝手だ」 「え……」  突然の攻撃的な言葉のせいで相手が驚いた気配が伝わった。 「失恋したばっかりなのに、友達やめるなんて……!」 「え、と? ……うん、そうだね」  脈絡のなさに首をかしげながらも、相庭が肯定したおかげで勢いがつく。 「好きだって言われても、相庭は男なのに応えられるわけない」 「……まあそうだよね」 「一番大事だと思ってた友達を失う気持ちがわかるか?」 「ごめんね、俺はゲイだから、友達は永遠に友達っていう椎名の感覚がわからない」  ヒートアップしていく椎名とは正反対に、冷静なまま少しも乱れることのない相庭との温度差が歯がゆい。淡々と『文化の違い』みたいな説明をされ、負けじと反論してやった。 「ゲイにも友達くらいいるだろ。わからないはずない」 「いるけど、俺にとって友情は不確かな――幻想みたいなもんなの。……俺が椎名の感覚を理解できないように、椎名も俺の感覚なんてわからない。俺たちは違う世界の人間なんだから」  あらゆる意味が含まれた言葉だったが、椎名にはその半分も正しく理解できない。 それどころか相庭の諭すような喋り方のせいで、また心にプツプツとトゲが生えた。 胸の内で怒ったハリネズミが威嚇している。 「だったら俺を放り出してもいいっていうのか」 「うん。異世界の人間とはずっと一緒にはいられないんだから、しょうがないだろ」  一秒たりとも間を空けず「うん」と言われたことが猛烈に腹立たしくて、椎名は憤慨した。 「なんで! じゃあ俺を異世界に連れて行けばいいだろ! 絶対ついて行ってやる!」  くくくと口元を抑えたようなくぐもった笑い声が、電話の向こう側で響いている。 こんなに真剣に話しているのに笑うだなんて、と心の中でハリネズミが暴れたが、気の済むまで笑った相庭が咳払いを一つして、また口を開いた。 「こら、酔っ払い」 「へ……?」  ――酔っ払い? ……とは自分のことだろうか。  ふと周りを見渡すと、薄明かりの中酒缶が大量に散乱しているのが見えた。そういえばアルバイトが終わった帰りにコンビニに寄って、ビールを沢山買い込んだんだっけ――。 「全部俺のせいにしていいから、文句言うだけ言ったら早く寝な」 「文句……?」  しょうがないな、と言わんばかりの優しげな声が鼓膜をくすぐり、椎名の心に生えたトゲが一瞬で吹き飛ばされる。トゲの抜けたハリネズミは威嚇することもできず、無防備に鳴いた。 「……相庭の側にいたいと思ったらダメなのか」 「俺は異世界から来た悪者だから、椎名のこと裏切っちゃうよ」 「相庭は悪者じゃない、いいやつだ!」 「ごめんな。それは見せかけの姿なんだ」 「そんなはずない。俺は相庭が好きだ」 「………………も~、勘弁してよ。早く寝ろ酔っ払い」  分からず屋のどうしようもない愚痴が子どもの甘えた発言そのもので、相庭は時折「うっ」と詰まりながらも相槌を打ち、真面目に受け止めないよう流した。  堂々巡りの押し問答を続け、喋り疲れた椎名がいつの間にか寝息をたて始める。 スースーという穏やかな呼吸音を確認して、相庭は大きくため息をついた。 「まあ、わかれったって無理な話しだよな。ごめん――」  ポツリと零された呟きが椎名の耳に届くことはなかった。自嘲を含んだ声は電波に乗り、酒缶の散らばる真っ暗な部屋の中に紛れて消えた。

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