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第9話

 一月も半ばに入った頃、椎名は相庭を花火に誘った。  天気予報では夕方から雪マークになっていて、それを承知の上で花火をやってみようと言い出したのだ。雪の中の花火は幻想的で綺麗だと誰かが言っていたのを思い出して、せっかくなら相庭と一緒に思い出を作りたいと考えた。  アルバイトが終わってすぐ自宅に戻り、花火やバケツを用意して相庭を迎えに行くと、連絡もせず現れた恋人に驚き、慌てて相庭が玄関から飛び出してきた。引っ掛けただけのマフラーが首から不格好に垂れ下がっている様子が面白くて、つい吹き出してしまう。  互いの家のちょうど中間地点にある公園に辿り着き、誰もいないのをいいことに、四阿の下ロウソクを設置して花火を始めた。  立ち上る火薬の匂いから汗ばむ夏の香りが思い出されたが、眼前に広がるのは冬の象徴である白い粒。その一つ一つに鮮やかな虹の光が飛び移る。 「はは、確かに綺麗だな。雪と花火」 「ほんと……綺麗だね」  花火と雪を交互に眺めながら、どこか遠いところを見つめるような目で相庭が呟く。ぼんやり照らし出されたその横顔が綺麗で、目を奪われた。  夏にやり残した花火の本数はあまり多くない。なんとなく相庭を意識してしまい、言葉少なに花火を消費する。黙々と続けたせいで、気がつけば残すところ線香花火のみとなっていた。 「これで最後」  ズイと繊細な紐状の花火を差し出すと、相庭の瞳が懐かしげな光を浮かべる。 「あ、線香花火」 「定番でしょ。風出てきたからちょっと寄って」 「うわっ」  軽く肩を引き寄せただけなのに、重心が傾いたせいで相庭がバランスを崩した。もたれかかるような体勢で椎名の方へと倒れ込む。 「ごごごごめん! あの、わざとじゃ……っ」 「え? なんで謝るの? 今のは俺のせいだし」  慌てて上半身を起こし、必死で謝るその顔が真っ赤に染まっている。  肩を貸すことなんて友人同士でも『普通』の範疇なのに、ここまで動揺するとは。椎名を意識している何よりの証拠だ。  知らず顔がにやける。今まで付き合ってきたどの娘(こ)よりも初心な反応がたまらない。浮き足立つようなこの感覚は椎名のよく知るものだった。 「……お前、笑ってるだろ」 「いや、だって、なんか」 「なんかなに。……やっぱもういい。花火やろ」  羞恥心を怒りにすり替えた恋人は、唇を尖らせてそっぽを向いた。だってなんか可愛いんだもん。――とは言えず、さっさと線香花火に火をつける彼を追いかけるように、自分も花火に手を伸ばす。  どっちが長く燃え続けるか勝負しようと自分から言い出したくせに、たいして集中していない椎名が「線香花火って、パセリを逆さにしたみたいじゃない?」と呟いた。思わず「ハア!?」と素っ頓狂な声を出した反動で、相庭はあえかな灯火を落としてしまった。 「ああーっ! 嘘だろ! 今ので火が落ちた!」 「……あーあ、残念。相庭の負けー」 「なんかすっごい理不尽……っ!」 「でも負けは負けだから罰ゲームね」 「ええ!? そんなの聞いてない!」  納得がいかないとばかりに不満いっぱいの瞳で睨まれ、椎名は諦めたように頬を掻く。おかしなことはもう言わない、ズルもしない、と誓いを立て、仕切り直すことになった。  再勝負の結果、椎名は堂々と勝利を収めた。ガクリと肩を落として本気で悔しがる相庭が、子どもみたいで微笑ましい。照れ屋なのを知っていて、いじめたい気持ちが湧き上がる。 「いつ、俺のこと好きになってくれたの?」 「バ……ツゲームって、それ?」  案の定、提示された罰ゲームの内容に動揺した彼は、ますます頬を紅潮させた。下手につつくとヘソを曲げてしまうかもしれない。口を挟まずじっと待っていると、相庭は半ばヤケクソな声を出した。 「……最初から。……一目惚れだったんだよっ!」 「は……? え、ええ!? 一目惚れ!?」  今度は椎名が動揺する番だった。  一目惚れなんて自分には縁のない言葉だと思い込んでいたのに。『椎名くんっていい人だよね』と言われ慣れた男が、自分より何倍も格好良い相手にそんなことを言われるなんて。 「えっと、あのさ、俺取り立てて一目惚れされるような容姿じゃないと思うんだけど……」  呆けたようにそう言うと、相庭がムッとして不機嫌な声を出した。 「どうせ椎名にはにわかんないよ。……俺にとっては一目見て気になるくらい、好みど真ん中だったの! 気の利いたこと言えなくて悪かったな」 「え!? ちがっ、ごめん! 不満とかじゃなくて、その、見た目が好みなんて言われたの初めてで、えっと……」  存在感のなさがコンプレックスだった椎名にとって、それは奇跡のような話だった。一目見た瞬間、彼は椎名を【特別】にしてくれた。そのうえ三年近く報われることのないまま、ひた向きに想い続けてくれたのだ。  二の句が告げない。何かがせり上がってきて喉が詰まった。誤魔化すように口元を掌で抑えたが、顔中が熱くて余計に火照ってしまう。  椎名の様子を黙って眺めていた相庭が柔らかな声音で尋ねた。 「今まで言われたことない?」 「ない。……優しい、ならよく言われるんだけど」 「あはは、だろうね。でもそういう椎名のいいとこも全部、外見に滲み出てる」  さっきまで唇を尖らせていた相庭が、もう無邪気な顔で笑っている。彼が誰かを褒める時は、自然体で少しも無理をした様子がない。当たり前のように認め、敬意を払うことが、相庭にとってはなんでもないことなんだとその表情を見て思う。  持たない自分がむりやりそう振舞うのとではわけが違う。あったかい、安心感のようなものに、椎名の胸が満たされていく。同時に、ああ、好きだな……と思った。

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