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第14話

   若奈とは直接自宅の前で待ち合わせした。  落ち着いて話がしたいと言われ、自室に招くことにしたはいいが、万が一にでも並んで歩いているところを相庭に見られたくなかったため、マンション前で落ち合うことにしたのだ。別に他意なんかない。椎名は誰に言い訳するでもなく思った。 「フミくん、お久しぶり」  マンションの小さなエントランスホールに若奈が立っていた。 相変わらずつやつやのセミロングを揺らし、真っ白なラビットファーがついたコートを羽織った彼女が、軽く手を振っている。上品なショートブーツの淵にもふわふわのファーがついていて、思わず抱きしめたくなる出で立ちだ。 「久しぶり」  上手く笑えているかはわからないが、少しだけ口角を上げて奥に促す。互いに無言のままエレベーターに乗り込み、狭いワンルームまで辿り着くと連れ立って室内に入った。  行儀良く靴を並べた若奈を見て、相庭と一緒だなと思う。でも彼女が富士山の渋いカレンダーを気に留めることはなかった。  遠慮がちに部屋の中に足を踏み入れ、少しだけキョロキョロした後、ほっとしたように溜息をついてコートを脱いだ。買い置きのインスタントコーヒーをひとり用のこたつテーブルに並べると、安心したように微笑む。 「どうかした?」 「ううん。コーヒーに牛乳が入ってるから、私の好み覚えててくれたんだなって。それに、部屋の中も去年のまま変わってないし」 「そんなすぐ変わらないよ」 「うん、だけど、新しい彼女ができてたらもしかしたら……って思ってたから。でもこの部屋、最後に来た日のままだね」  突然予想もしていなかったことを言われて驚いた。部屋の中を見て、椎名に女の影がないか確認した若奈のことも、一ヶ月付き合っている相手の痕跡が、少しも残されていないのだという事実にも。 「フミくん、あのね、私あんな別れ方しちゃったけど、やっぱりフミくんのことが好きなの。どうしてももう一度フミくんとやり直したくて……それで……」  真っ赤な顔をして、尻すぼみになっていく若奈の言葉を受け止めきれず、椎名は目を瞬いた。瞳を潤ませ、恥ずかしそうに、けれど不安げな面持ちで俯く姿を、呆然としたまま眺める。死ぬほど焦がれていた相手が復縁の申し込みをしてくれているのだと理解するまで、かなりの時間を要した。 「え、と、気になってる人がいるって……言ってなかった?」  掠れた声でなんとかそう返すと、若奈はパッと顔を上げ、辛そうに眉を寄せた。後悔しているのだということはなんとなくわかった。 「フラフラしてごめんなさい。あの時幼馴染から十年も私に片思いしてたって聞かされて、取り乱してしまったの……。フミくんとのこと何も知らずに話して聞かせてた自分が腹立たしくなって、ひとりでぐるぐる考えて……」  ぎゅっと拳を握り締め、若奈がまた俯く。 「進路のこともあって一気に悩みが増えちゃって……。ハッキリしてたのは、いつか結婚して幸せな家庭を作りたいっていうことだけだった。よく知ってる相手を選べば、安心できると思ったの。彼は社会人だから、引っ張っていってくれそうだなって思って……」  今更別れた理由を聞かされても、椎名は複雑な気持ちにしかならなかった。  幼馴染の彼と比べれば、学生の自分なんてさぞ頼りなかっただろう。すでにきちんとした経済力があって、尚且つ十年も愛し続けてくれた誠実な相手なら、そっちの方がいいに決まっている。女性というのは男よりよほど現実的で条件に弱い生き物だし、幼馴染に片思いされるシチュエーションもロマンが詰まっている。おそらく十人中九人はその男をとる気がした。 「じゃあどうして考え直したの? 一途で大人な彼の方が、若奈は幸せになれたかもしれないのに」 「……違ったの。彼を好きになろうと思ったけど、なれなかった。罪悪感とか同情とかでお付き合いしちゃだめだって、よくわかったの」  若奈は必死に言い募った。 「フミくんのことが好き。同情じゃそれは変えられなかった。だから、ちゃんと好きな人と、フミくんともう一度やり直したいって、ずっと思ってた……」  きめ細かい白皙の頬が桃色に染まり、涙の雫が伝い落ちる。綺麗だと思った。そんな相手に一生懸命好きだと言われるのも嬉しい。でも自分が若奈の言葉をどう受け止めているのか本当のところよくわからない。  一度は捨てられた男が、再び彼女の眼鏡に適うことはあるのだろうか。

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