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第20話
「……は、はあ!?」
相庭の声がきれいに裏返った。呆然としたまま椎名を見つめ、頭をくしゃくしゃとかき混ぜる。
「ごめん、ちょっと意味がわからない。さっき別れ話をしたと思うんだけど、これ、どういう状況?」
「相庭のことが好きだ。だから、もう一度始めからやり直したい」
きっぱりと本心を告げる。これだけはもう絶対に誤解させたくない。椎名は今、同情でもお試しでも軽い気持ちでもなく、想い合っていることが前提で、きちんと相庭の恋人になりたいのだ。
「……お、俺のこと好きってなに? 若奈ちゃんは?」
去年から誤解したままだった相庭はなかなか状況が飲み込めない――信じることが難しいといった様子で、戸惑いを浮かべながら何度も椎名の気持ちを確認した。同じような質問をされるたび、若奈への気持ちは過去形でしかないこと、若奈に好意を示されても相庭しか欲しくないのだということを告げる。
根気強く会話を繰り返していると、相庭の体から無駄な力が抜け、無防備な呟きがこぼれ落ちた。
「……ほんとに俺のこと……」
想いがようやく通じたのが伝わって、思わず目の前の男を抱きしめる。
「ちょ、なにしてんの! それにここ外……!」
「相庭、……返事は?」
「え……」
「まだ俺に望みはあるのか」
狼狽える相庭に構わず告白の返事を促す。言葉が契約になるなら早くもぎ取ってしまいたい。
しかし相庭はまだ半信半疑な様子で、本当に男の自分でいいのか、そもそも自分なんかのどこがいいのかと返す返す訪ねてくる。そうさせているのは他の誰でもなく椎名自身なのだと悟り、足りない言葉を補うために必死になった。
「相庭と付き合うようになって、若奈と一緒にいた時の自分は無理して背伸びしてたことに気づかされた。今までずっとひとりよがりな恋愛をしてたんだって、相庭に教えられたんだ」
素直に想いを吐露すると、相庭が息を呑む気配がした。気持ちを言葉にすることで、愛おしさが増していく感覚を味わう。じっとしていられず、人差し指を擦りつけるようにして相庭の頬を撫でた。
「譲るなって、何度も言ってくれただろ」
「あ、ああ、言ったけど……」
「そんなこと誰にも言われたことなかった。恋人相手に譲るのは当たり前だと思ってたけど、俺が意見を引っ込めるのを嫌がって、いつも対等でいたいと思ってくれる人がいるのって、すごいなって思った。寄り添うってこういうことなのかなって。相庭と付き合うまで考えたこともなかった」
恋人同士のそういうあり方が、今の椎名にはしっくりくる。相庭の隣に並ぶ心地良さを知ってしまった以上、もう若奈を好きだった頃の自分には戻れない。
「俺も富士山になりたいってずっと思ってた」
「え……富士山?」
全く繋がりのないことを突然口にした相庭に驚き、確かめるように聞き返すと、彼は密着した椎名の肩口に顔を埋めながら、ポツリと呟いた。
「椎名は前に富士山みたいになりたいって言ってたけど、三年前からずっと、俺にとって椎名は富士山だった。……俺も富士山になれる? なっていい?」
ひたむきで真っ直ぐな好意の滲む声に、椎名の胸が詰まる。何年も前に一度だけ話したことを相庭は覚えていてくれたのだと、今のセリフでわかった。
富士山に対して、普通とは言い難いほど強い憧憬の念を抱いていた椎名は、無価値で無個性な自分を脱ぎ捨て、いつか存在感のあるどっしりとした人間なりたかった。そして、愛する人にとって何よりも特別な存在になりたいと願っていた。そんなコンプレックスだらけで情けない男の戯言を、相庭が大切なこととして受け止めてくれたのは明らかだった。
「……もう、なってる」
気の利いたことも言えず、無様に声が掠れた。身体が軋むほど勢い任せにギュッと相庭を抱きしめる。「だからここ外!」と腕を叩かれたが、離れることなどできるはずもなく、首筋にぐりぐりと顔を押しつけた。
「今の返事だって思っていいんだよな……」
もう絶対に誤解やすれ違いが発生しないよう念を押すと、相庭が声を震わせながら「うん」と答えてくれた。
安堵、喜び、愛おしさ、切なさ、あらゆる感情がごちゃごちゃと混ざり合い、受け止めきれず溢れ出す。
「ここじゃなにもできないから、俺の部屋に行こ」
「え、な、なん……」
「俺を不安にさせた責任とってもらうからな」
「ちょっと、手繋ぐのなしって! おい!」
相庭の抵抗を無視して人目も憚らず手を繋ぐ。いわゆる恋人繋ぎで歩き始めると、相庭が面食らった様子であわあわしながらついて来た。
自分だけが恋人だと思い込んで浮かれ、そうじゃないと言われた時の絶望感など、きっと相庭にはわからない。腕の中でその体温を貪り、今度こそ本物の恋人になれたのだと、早く肌で感じたくてたまらなかった。
「始まりの場所からもう一度やり直せてよかった」
遠回りな再スタート。ようやく自分たちは本当の意味で始まったのだ。
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