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第4話*
スーツを脱いで、バスルームへ直行し、頭から一気に湯をかぶる。固めた髪を両の指先で掻き壊すと、整髪料がぬるぬると全身を流れていった。
閉じたまぶたの裏に映るのは、見ないように心掛けていたのに、いつの間にか見ていた周防の姿ばかりだ。グラスに触れる唇、東京タワーを見る瞳、箸を操る右手、シフトレバーに掛かる左手、「おやすみ、また明日」と挨拶する人懐っこい笑み。
僕は全部を振り払うように泡立てたシャンプーで頭を掻きむしり、全身をボディタオルで擦って洗って、さらには身体の内側まで洗浄してから、身支度を整える。
会社へ行くときとは正反対に髪は下ろし、ほとんど度が入っていないメガネは外した。
特徴のないマリンボーダーのボートネックカットソーと、ありきたりなチノパンを履き、少しだけ裾をロールアップして、くるぶしまで顕になった素足を黒革のサンダルに突っ込む。
サンダルはソールのふちを黄色いステッチが囲んでいて、一目でドクターマーチン社製とわかるのが、この服装唯一の特徴だろうか。
周防と別れて30分も経たないうちに、僕は会社で見せる副社長の姿に決別し、どこにでもいる青年の姿になって、アプリで呼んだタクシーに乗り込んだ。
ターミナル駅を越えた先、繁華街の外れでタクシーを降りて、バーや居酒屋が入居するビルの6階へ上がる。
ドアを開けると、屋内プールのような湿度の高い空気が肌にへばりついた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうに立つ体格のいい男性に、僕は会員証を提示して料金を支払い、引き換えにロッカーキーを受け取る。
「本日は仮面・エロ下着ナイトです。この箱の中からお選びください」
目の前に置かれた箱へ手を入れた。
ロッカーの前で衣類を全て脱いで、顔の上半分だけを隠す黒のベネチアンマスクと布面積の小さなジョックストラップだけをつける。ジョックストラップは尻の外側をV字のバンドが通り、尻は剥き出しになっていて、アピールにはちょうどいい。
僕は店のルールに従って左手首へロッカーキーを巻きつけ、バックOKの意思表示をした。
ミラーボールが回転し、大音量でEDMが流れる交流スペースへ行く。それなりに人影は見えるが会話はなく、目の端で好みのタイプを探し、軽いボディタッチで合意がとれたら、個室へ移動するなり、休憩スペースへ移動するのがこの店のルールだ。
入口付近に立って薄暗い部屋の中を見回しているだけで、隣りに並んで立って手の甲をぶつけてくる男が現れた。細い手の骨が触れ、皮膚が擦れる。見ると顔にはファントムのような左右非対称のマスクをつけていた。
さらに反対側から太腿に触れてくる装飾のような筋肉をつけた男と、耳を舐めてくる脂肪をまとった男がいて、全員右足首にロッカーキーを嵌めている。
3人同時に相手するのも悪くない。目配せで同意をとって、揃って休憩スペースへ向かった。
休憩スペースはオレンジ色の間接照明が天井を照らして薄暗く、床には一面、黒のマットが敷きつめられていて、ローションとコンドーム、使い捨てのウェットタオル、ティッシュペーパーが用意してある。
交尾は部屋のあらゆる場所で展開されていた。汗と粘液の匂いが充満し、肉のぶつかる音や切なげな呻き声、熱っぽい息づかいが聞こえて、ゴーギャンが力強い線で描く南国を連想させる。
僕たちは部屋の隅を陣取った。壁に寄り掛かるように促され、3人の男たちと向き合う。
脂肪をまとった男がゆっくり顔を近づけてきて、僕はそっと顔を背けた。
「キスはNG」
すぐに理解されて、その唇は耳へ向かう。ゆっくり耳朶をしゃぶられ、耳の形に沿って舌が這わされて、僕は目を閉じてその刺激を楽しんだ。舐めてくれる男の太ももへ指先で触れ、そのまま辿って小さな布に覆われているものを撫で上げる。
耳の中を舌で探りながら、男は少し腰を揺すり、悩ましげな吐息を僕の耳に吹き掛けた。
男のものは形を辿るうちに硬化してきて、男は僕の耳に向けて息を吐きながら、さらに手のひらで胸を撫で、反応して尖った乳首をつまんできた。
「ん、ああ……」
顎を上げ、目を閉じて声を洩らしたのは僕だ。その声に反応して、筋肉質の男がいきなり僕の乳首を口に含んだ。柔らかな舌が押しつけられ、充血すると舌先でコロコロと転がされた。
「はっ、あんっ!」
変な声が出ても、こんな場所で会う相手なら何とも思わない、それより性欲を満たしたい。気持ちよくしてくれる筋肉質の男の股間にも手を這わせ、指先で形を辿り、握りこんで上下に摩擦した。
最初に手の甲をぶつけてきたファントム男が僕の前に膝をつき、布越しに硬くなり始めているものを咥えた。舌が押しつけられ、布に熱と唾液が浸透する。
さらに耳を舐めていた男も、指先でなぶられひりひりと尖った乳首を舐め始め、僕は左右の乳首を舐められながら、左右の男の股間をまさぐり、自分の興奮を目の前のファントム男に突き出して、ビクビクと身体を震わせながら快感に耐えて立っていた。
「ああっ、はあ……、ああ、イきそう。イきそう……」
僕の泣きそうな声に乳首はさらに激しくしゃぶられ、下着は引きずり下ろされて、直接口内へ含まれた。
張り詰めた僕の性器へ粘っこい舌が絡む。しつこく口淫されて、吸い出されるように射精した。
「あっ!」
一瞬腰を貫くような快感があり、それきり熱が冷めた。
ファントム男は僕の背後に回ると、上から肩を押し、床に四つん這いにさせる。続けて始まる行為に、僕はまた期待と興奮を膨らませた。
後孔を探られ、ローションを塗りつけられる間、目の前には脂肪をまとった男が立ちはだかった。腹の肉の下から突き出しているものを僕の唇へ擦りつける。
僕は口を開き、その男のものを含んだ。髪を掴まれ抜き差しされる。
「もっと舌を使えよ」
強引に押し込まれて辟易としていたら、後孔へ男性器が差し込まれた。僕は上下の口を突かれながら、自動的に湧き上がる腹腔内の快感を自覚し、同じように欲に疼いた別の夜を思い出していた。
それは1年前の夏至の日だった。株主総会直前だったが、2回目の総会リハーサルを終えた足で、そのまま周防とダイビングに出掛けた。午後から欲張って2本潜り、さらに貸し切り風呂の中でガキみたいに両手を組み合わせた水鉄砲で遊び、地元の寿司屋のカウンターでまだ動いているタコの足に騒ぎ、日焼けした手の甲の色を較べながら歩いて、僕たちは腹の底から笑い続けた。
明日も帰る前に1ダイブしようと話しながら、狭い部屋に端を重ねるように敷いた布団へ潜り込んだ。
「佐和、夏至の夜に見る夢には、運命の相手が出てくるらしい」
周防は唐突にそう言ってから、おやすみと目を閉じた。
僕はただ『こいつ2週間に1回くらい突然ロマンチックなことを言い出すよな』と思っただけで、疲労に任せて心地よく眠りに落ちた。
そして明け方に淫らな夢を見た。
周防が僕の隣で腕枕をしてくれて、僕は周防の肩に頭を乗せて、穏やかな愛撫に身を任せていた。
額や頬やこめかみや鼻先にキスされながら、大きな手が浴衣の上を這い回り、乳首がぷつんと布を押し上げると、指先でからかうように引っ掻かれた。
「あっ、ん……」
声を上げると褒美のように額にキスをしてくれる。僕は眠気でぼんやりして、全身の力を抜いて身体の上を這い回る周防の手の動きを楽しんだ。
ふたりの浴衣の裾は乱れていて、互いの膝が交互に重なり、内腿の滑らかな皮膚が触れ合って、さらに周防は僕の膝の間の太腿をぐっと深く突き上げてきた。
「あっ!」
僕の充血が刺激されて、逃げる腰を抱き寄せられ、僕は周防の太腿へかくかくと興奮を擦りつけた。
「恥ずかし……っ」
「夢の中だから平気だよ」
周防は笑って僕を抱き締め、僕は周防の腕の中で絶頂した。
夢はそこで終わっていたが、翌朝、下着は濡れていた。夢精なんて今まで一度もしたことがなかったので、ショックは大きかった。
「佐和、おはよう。よく眠れた?」
後頭部を鳥の巣みたいにしながら、周防は枕を抱えて僕のほうへ身を乗り出す。
「うん、まぁ」
人懐っこい笑顔から目を逸らし、濡れた下着がリネン類に触れないように庇いつつ、周防に背中を向けた。
「夢見た?」
「お、覚えてない。何かは見た気がするけど。忘れた」
「それは残念」
軽やかな声に、僕は湧き起こっている不安をぶつけた。
「僕、変な寝言を言ったりしてなかった?」
「変な寝言? どんな?」
周防は上体を起こし、僕の顔をわざわざ覗き込んできて、僕は変な夢を見てしまった罪悪感に苛まれる。
「わかんないけど。ちょっとエッチな夢を見た気がするから、変なことを言ってなかったかなって」
僕は周防の榛色の瞳を、左右小刻みに見比べて返事を待った。
「……何も。大丈夫」
「そう。ならいいんだけど」
トイレで下着を替えて朝食を軽く食べて、ショップで着替える。昨日も使ったウェットスーツはまだ湿り気が残っていて滑りが悪く、周防に手伝ってもらいながら着た。
いつもなら気にしないのに、肌に直接触れる周防の手の感触が気になって仕方なかった。僕は俯き、腹に力を込めて耐えた。
僕のファスナーを引き上げるとき、周防の指が首の付け根の骨に触れた。僕はぞくりと身体を震わせ、誤魔化すために明るい声を出した。
「ほくろ? 周防、いつも触るよね」
「ああ、見ると触りたくなる。きれいにふたつ並んでいるからかな」
それから一番上までファスナーを引き上げてくれて、僕のほくろは隠された。
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