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第15話*
ボートを降りた僕たちは、店の脇の水槽で機材に水を流し込み、息を吹き込んだり、ボタンを押したりしながら塩分を洗い流した。
「また近いうちに来たいね」
「ああ。株主総会を乗り切ったらまた来よう」
僕たちは店の脇にバーベキューコンロを広げ、オヤジさんと一緒に酒を酌み交わしつつ肉や野菜を焼いて食べ、海の話をたくさんして、圧倒的な自然から学んだ人特有の謙虚でしなやかな人生訓も惜しみなく聞かせていただいて、手持ち花火を楽しんだ。
「久しぶりに来てくれたのに残念だったな。これ、ふたりにひとつずつ残念賞」
次の日の朝、やっぱり強風でクローズと決まって、帰り支度をした僕たちにオヤジさんがくれたのは、シルバーのペンダントだった。ペンダントトップは海色のシーグラスで、釣り針をデザインしたフレームで固定されている。
「最近、娘が作っているんだ。いずれは売りたいらしいけど、まだ練習段階なんだよ。もらってやって」
袋には手書きのメモが同封されていた。
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釣り針のモチーフには
「幸せを釣り上げる」
「大切な人と離れない」
「心臓に引っかかり命を落とさない」
という意味があります。
フックが左(心臓)側に向いているのは、あなたの命を守りたいという気持ちの表れです。
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そう書いてあるのに、僕たちのフックはどう見ても右向きに作られていた。
「これは、どう解釈したらいいんだろう?」
僕と周防が顔を寄せて何度も説明書きを読み直していたら、オヤジさんがペンダントと説明書きを見比べた。
「あいつ、右と左と間違えやがったな。昔からそうなんだ。……でもまぁ、周防くんと佐和くんなら、向かい合ってお互いの心臓を引っ掛けるんじゃないの。って、適当だけどさ」
ニヤッと笑われて、周防も僕も納得して頷いた。
さっそくペンダントをつけさせてもらい、僕たちは礼を言って白いスポーツカーに乗り込んでダイビングショップを出た。
集落を出た直後に周防は意味ありげに笑う。
「佐和、寝ていていいぞ」
「遠慮なくっ!」
僕は腕を組み、さっさと目を閉じた。明け方まで這って逃げても引き戻されながらめちゃくちゃに抱かれた疲労で、あっという間に眠りに落ちた。
変化する景色を見ないまま、目を開けたらいきなり東京タワーが見えて、周防が住んでいるレジデンスの車寄せにいた。
「先に上がってて。ガソリンスタンドに寄ってから上がる」
僕は自分の荷物を手に、合鍵を使って専用エレベーターに乗り、周防の部屋のドアを開ける。
独り暮らしをするようになってから、僕たちは必ず合鍵を交換している。僕がインフルエンザで高熱を出し、さらに脱水症状を起こして身動きとれなくなったときや、周防が別れ話をもつれさせて、相手の女性に鍵の束を丸ごと東京湾に投げ込まれたときなど、合鍵を交換しておいてよかったと思った事例はいくつもある。
最近は周防ですら手を焼くレベルで僕の機嫌が悪かったから往き来していなかったけれど、基本的に互いの部屋への出入りも自由で、かつては疲れて家に帰ったら先に相手がベッドを占領していたとか、朝目が覚めたら隣に寝ていたなんていうのは日常茶飯事だった。
周防も、僕も、自分の感情は自分で捌く。でも僕たちも人間だから、理由や原因がわかっていても解決しえず、ひとりで抱えるには苦しい感覚というものはあって、そういうときには無理せずひとりで過ごす夜は捨てて、相手のベッドに潜り込む。
どうしてもというとき甘えて休める場所があるから、僕たちはひとりよりも強いんだと思う。
僕が一番最近、勝手に周防のベッドに潜り込んだのは1年前。
友好的TOBを実施しようと先方企業と合意の上で準備を進めていたが、先方の株式を多く保有する創業家が突然意を翻した。そこから一気に崩れて、誰が何を言っているのか、その発言は事実かフェイクか、いつどうやってこの取引から手を引くか。状況はポーカー・ゲームの様相を呈し、神経が冴え渡って眠気が来ない日が何日か続いた。明け方にコンビニへ行くつもりで部屋を出たら、白み始める空にますます神経が研ぎ澄まされる感じがして耐えられなくなって、そのまま寝ている周防の隣へ潜り込んだ。
最終的には先方経営陣と僕たちが望む方向で友好的TOBは成功したのだけれど、あまりにも緊張を強いられる局面が連続したので、周防がダイビングに連れ出してくれた。それなのに変な夢を見て、僕は周防への気持ちに気づいてしまい、避けまくって恩を仇で返した。僕はずっと不機嫌で、周防はずっと手を焼いた。
今の関係だって、セックスが入り込んでいて健全とは言い難いけれども、本来のふたりの姿にだいぶ戻ってこれたと思う。周防には感謝しなきゃいけない。
僕はそんなことを考えながら荷解きして、勝手にバスルームを使い、バスローブを着て、周防のベッドに倒れ込んだ。
「周防の匂い」
枕を抱いて気持ちよく目を閉じていたら、いつの間にかうとうとしていたらしい。ベッドの沈む感触で意識が浮上した。
「待ちきれなくて、枕とセックス?」
横向きに寝ている僕の背後から耳をくすぐるような声で言われて、僕は枕を抱いたまま笑った。
「周防の枕はおりこうだよ。僕の言いなりだ」
「俺だっておりこうにしてるつもりだけどな」
「本気で『やめて』って言っても聞かないくせに。うしろなら何度でもいけると思ってたけど、いきすぎると、いきたくてもいけなくなるなんて初めて知った」
枕をきゅっと抱いてふてくされる僕の耳に周防の唇が押しつけられて、甘い囁き声が流し込まれる。
「それでも佐和は『周防、気持ちいい』って言い続けていた」
僕が肩をすくめて笑っている隙に、周防は僕のバスローブの裾をたくし上げた。太腿を撫で上げながら僕の尻をむき出しにする。さらに尻の狭間へ指を這わせ、すでにほぐして濡らしてあるのを確かめた。
「んっ」
「佐和は敏感すぎる。午後はすぐにいかないで、ゆっくりしようって約束しただろう」
周防は僕の頬にキスしながら自分の支度をして、僕は枕を抱えたまま、レースのカーテンの向こうの空を見た。薄い雨雲に覆われて、空気を潤す細かな雨が降っていた。
「いい?」
「うん」
ゆっくりと周防が侵入してくる。押し広げられるだけでも快感を覚えるのに、摩擦され、内部の膨らみを押される。
「あっ、や……。いく」
「我慢して」
「だって……っ。押さないでっ」
「ゆっくり息を吐いて、逃して」
「んんーっ」
「1回いくごとに罰ゲームをする約束は覚えてる?」
「絶対にやだ!」
「佐和のイキ顔で俺のスマホがいっぱいになるのは時間の問題だな」
「いーやーだー」
僕が枕に口を押し当てて叫んでいるあいだに、周防は己を納めた。
「はい、よくがんばりました」
周防は掛け布団を引き上げてふたりの身体を包むと、その内側で僕のバスローブを脱がせた。
「寒くないか?」
「あったかい」
周防の腕が僕の身体をホールドしてくれて、僕は周防の手の甲に自分の手を重ねた。お腹の中には周防の楔があって、僕たちは互いの身体で隙間なく埋め尽くされているという感じがした。
「ねえ、周防」
「ん」
「僕を見捨てないで、追いかけてくれてありがとう。ずっと避けててごめんなさい」
重なっている手の上に、さらに周防の手が重なった。
「どういたしまして。佐和の頑固にも、佐和を追いかけるのにも、俺は慣れてる。俺と一緒に手をつないで飛んでくれる奴なんて、佐和しかいない。ありがとう」
ありがとうの言葉を閉じ込めるように耳にキスされて、僕は嬉しさと心地よさに目を閉じた。
「『大好き』って言っちゃいそう」
「言って。セックスのあいだは言いっぱなし、聞きっぱなしなんだろう?」
鼻先で髪を掻き分けてじゃれながら周防は言った。
「周防、大好き」
「俺も佐和が大好きだ」
周防の声は蜂蜜のように僕の耳から全身へ行き渡り、ふたりのつなぎ目は甘く疼いた。
僕たちの胸には相手の心臓を引っ掛けて救うための、シーグラスのペンダントがあった。
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