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第16話*
僕たちはつながったまま、互いの頬や顎をそっとくすぐったり、絡めている指の爪を撫でたりしながら、ゆったりと過ごした。ふたりの身体のつなぎ目から立ち上る緩やかな快感が全身に広がって温かく、温泉に浸かるような心地よさだった。
「佐和。キスして」
周防が頬を僕に見せてねだる。
「マジか……」
それでも軽く身体を揺すってねだられれば、甘い快感が腹の底から責めてきて、僕は目を閉じる。
「ん。周防……っ。あっ!」
さらに胸の粒をつまんでねじられて、僕は身体を震わせた。
「だめ……いっちゃう。周防っ、いっちゃう」
それでもくりくりと絶え間なく責められ続け、仕上げに軽く突き上げられて、僕は周防の手を握ってふわりと達した。
「撮るなって!」
周防が構えているスマホ画面は静止して、教会に置かれた大理石像みたいな顔をした僕がいる。
「キス顔を撮らせてくれたら、このデータは消去してもいい」
僕は観念して頷き、周防の頬に唇を触れさせた。
「佐和、レンズを見て。さもなくばさっきのイキ顔は永久に保護される」
仕方なく視線をカメラに送ったら、画面の中で周防と視線が合った。周防の素直な笑顔に、つい一緒になって微笑んだ瞬間を切り取られた。
「こんな構図、どこの芸能人ブロガーだよ」
でも悪い気はしなかった。反対に周防が頬にキスしてくれたとき、僕はくすぐったくて笑っていて、周防の笑顔は包み込むようなあたたかさで、少しぶれているのも楽しさが一緒に写り込んだように見えてよかった。
ふざけて笑って、写真を撮って。からかって突き上げられて、変な声を出して恥ずかしくて、でも気持ちよくて。周防と目が合って、静かになった。
目を伏せたら先には周防の唇があって、僕はどうしようと迷ったけれど、思い切って自分の唇を周防の唇に近づけた。周防の唇も一度軽く相手から柔らかく閉じられて、きっと僕が舌を差し込んだら迎えてくれる。
そのとき、周防のスマホが電話の着信を知らせて鳴動した。
「お母さんだ」
周防の笑いを含んだ声に、僕は枕に突っ伏した。
「周防です。うん、ご無沙汰。元気だよ。……え、佐和? 今、一緒にいる。別に喧嘩なんかしてないよ、大丈夫。代わろうか?」
僕は小さく首を横に振ったけど手遅れで、周防は笑いながらスマホを押しつけてくる。セックスの途中に母親と電話なんて最悪すぎる。
「うん。わかった。あとで周防と一緒に行くよ。はい、はい、じゃあね」
周防にスマホを返却しながら、僕は周防と交わしたどのセックスよりもぐったりした。
「さて。そろそろおしまいにして、出掛けよう」
周防は僕の腰を抱いた。つなぎ目はすっかり蕩けて、比喩でなく境目がわからなくなっていて、これからまた2つの個体として動き始めるなんて信じられなかった。
「離れたくない」
「俺も。またあとで、俺と一緒にして?」
こういうときに可愛らしくおどけて少し下から顔を見せて、相手の気持ちを乗せるのって、めちゃくちゃ遊び慣れてる感じがするけれども、実際遊び慣れているんだろう。
僕は頬に音を立てたキスをされ、さらに首、肩とキスされながら、始まった律動に身を任せた。
「ん……周防、気持ちいい……。大好き、周防……」
セックスの最中に、それも腰を振ってるときに好きなんて言われるのは、自分はすごくすごくすごく嫌いだ。でも気持ちがあふれて、周防の逞しさに押し上げられて、つい口をついて出てしまった。今までに僕が突き上げてきた女性たちも、こんなふうに僕のことを思ってくれていたのだろうか。その立場になってみないとわからないことはたくさんある。
僕は後ろ手に周防の頭を抱き、心の底からいつまでもこの人と一緒にいたいと思った。
「佐和……いきそう……」
周防の苦しげな声に、僕は目を閉じる。
「来て、周防。僕もいく」
「大好きだ、佐和っ」
はじける瞬間は、乾いた大地に流し込まれた水が泡立ちながら染み込むようで、全身の奥深く、すみずみまで快感が広がった。
***
「あ、また。いつの間に」
スマホで自分の首の後ろを写真に撮って、赤い跡に気づく。
「周防、襟付きのシャツ貸して」
クローゼットを勝手に開けて、ぼやけたチェック柄のシャツを引っ張り出す。
「これ見よがしに絆創膏を貼ればいい」
「こんな場所に絆創膏を貼るのも不自然だ。虫刺されって誤魔化す方がまだマシ」
「虫刺されって言えるのも最初の1日だけだけどな」
「明日はワイシャツを着るからいいよ。総会リハーサルと打ち合わせで1日終わる」
明日のスケジュールに、周防はふうっと息を吐いた。
周防の部屋から僕の実家までは車で10分程の距離だが、絶対に飲まされるとわかっているのでタクシーで向かった。
何となく窓の外の景色を見ていたら、シートの上に置いていた手に周防の手が重なった。振り向いたが、周防は反対側から窓の外を見たままで、僕たちは海中の安全停止のときのように手を握って遊んだ。
「おかえりなさい」
ドアを開けてくれたのは姉の凛々可だった。
「お姉ちゃん、久しぶり」
周防が笑うと、姉も笑った。
「60時間ぶりくらい?」
「俺とお姉ちゃんにしては、ずいぶん長く離れてた」
「そうね、寂しかったわー。あ、主人も来てるのよ。リビングにいるわ」
姉は笑いながらキッチンへ戻っていく。手首のテーピングはいつの間にか両手に広がっていた。その姿に、僕まで株主総会の緊張が伝染してくる気がする。
僕たちはそれぞれ自分のスリッパを履き、まずリビングへ顔を出す。
「光島さん、お疲れ様っす」
周防の体育会系の挨拶に、経済誌を読んでいた光島さんが顔を上げた。
「お休みの日まで僕たちと会う羽目になってすみません」
1年ほど前に姉と結婚して義兄になった光島さんは、日だまりに丸くなる猫のように柔和な笑みを見せる。
「こんにちは。佐和くんの顔なら毎日だって見飽きないから、お気遣いなく」
「ありがとうございます」
笑顔につられて僕の表情筋も緩んでいたら、周防に尻を叩かれた。
「お母さんの手伝いに行くぞ。……お母さん、ただいまー!」
リビングからダイニング、キッチンまではつながっていて、周防はリビングの中からダイニングテーブルの脇を通って、キッチンまで行った。
周防はキッチンに立つ母親にも朗らかな笑顔を向け、話し掛ける。
「お母さん、ただいま。電話ありがとう。鶏の唐揚げって聞いたから、大急ぎで家を出て来た。あと、この日本酒はお父さんと一緒に飲もうと思って」
「周防くん、おかえりなさい! 元気そうね。お父さんもじき帰ってくるわ。……朔もおかえり」
「めちゃくちゃついでの挨拶をありがとう、ただいま」
笑いながら僕と周防はエプロンを着け、シンクで手を洗う。お姉ちゃんはすでに料理に戻って、蒸し器に卵液が入った茶碗を並べていた。
「お姉ちゃん、ひょっとしてそれってうどんが入ってる茶碗蒸し?」
「そうよ。周防くんの好きな小田巻蒸し」
好物の登場に、周防は小さくガッツポーズをして見せる。
「もし結婚するならお姉ちゃんがいいと思ってたけど。やっぱり結婚しておけばよかったな。……でも光島さんには敵わない」
渋面を作って見せる周防の姿に、姉は鈴が転がるような笑い声を立てる。
「残念でした! ずっと結婚したいって言ってたんだから、さっさとプロポーズすればよかったのに」
キッチンに向かったまま首を傾けた姉の首の付け根には、ほくろが2つ並んでいる。
「でも結婚してから、お姉ちゃんすごく落ち着いた感じがするし、幸せそうだからいいと思うよ。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
僕たちはダイニングテーブルに座って、生春巻きの皮に具材を包む役目を仰せつかった。
「あなたたち、かっこいいネックレスしてるじゃない。お揃い?」
缶ビールを差し入れてくれたお姉ちゃんに指摘されて、今日の朝はまだオヤジさんのところにいたのを思い出す。
「久しぶりにダイビングに行ってきたんだ。ショップの娘さんの試作品をもらった」
「あなたたち元気ね。相変わらずちっともじっとしてない」
「今日は風が強くて波が高くて潜れなかったから、昨日1本潜っただけ。でも楽しかったよ。写真見る?」
周防は簡単にスマホを姉に預け、姉はスマホを母親にも見せる。
「こんなにフル装備じゃ、どっちが周防くんでどっちが朔かわからないわね」
母はメガネを頭の上に持ち上げながらスマホを近づけたり遠ざけたりしている。周防は笑顔でスマホを取り戻すと、リビングへ行ってテレビをつけた。簡単な操作ですぐペアリングされて、リビングの大きなテレビ画面いっぱいに海が広がった。一定時間が経過すると次の写真に切り替わるよう設定し、
「青い袖のウェットスーツが佐和、赤が俺」
簡単に説明して、ダイニングテーブルに戻り、また生春巻きを作り始める。
僕は身を乗り出して、そっと周防に訊ねた。
「ヤバい写真、出てこない?」
「どうかな? そのときは諦めろ」
「絶対に嫌だ」
「アクシデントは、笑って堂々としているほうが上手くいく」
「そうだけどさぁ」
母親はリビングで光島さんの向かい側に座り、海の世界に釘づけで、姉はその隣で相槌を打ったり、光島さんに話し掛けたりしている。
そこへ父親が帰ってきたので、リビングはさらに賑やかになった。
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