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第27話

 ピアッサーで貫かれて感じたのは、痛みよりもバネの弾けるような大きな音、そして心臓と同期して脈打つ熱さだった。  一時期、周防は結構真剣に、僕にピアスを開けて欲しそうにしていたけれど、こんなものを彼の耳に打ち込まなくてよかった。 「トラガスはちゃんと軟骨用のピアッサーで開けてあげますから、ご心配なく」  耳朶とは逆に、ピアスの軸が内側から外へ突き出して、金属製のボールがねじ込まれた。 「このボール部分にバッテリーが内蔵されています。40時間以上駆動するはずですが、念のために毎朝必ず私の指示に従って交換してください。これが充電器と予備のバッテリーです」  僕は右手で充電器を掴み上げて観察しながら、手を拭いたハンカチを左手でポケットに入れ、同時に持ち歩いているボイスレコーダーのスイッチを入れた。 「さあ、私のスマホを見てください。佐和くんが見る景色が、ここに映っているのがわかりますか」 画面の中にはスマホを持つ光島さんが映っていた。  光島さんがスマホの位置を左右に動かし、僕がスマホを追って頭を左右に振ると、映像も左右に動く。  中心よりやや右に顔を振ると、正面の景色が光島さんのスマホに反映される。左の耳たぶに着けられたピアスがカメラなのは間違いなさそうだ。 「小さなレンズですから、色が浅いのは仕方ありませんが、よく映るでしょう?」  そう話す光島さんの声が、ワンテンポ遅れてハウリングを起こしながら僕の左耳に聞こえ、光島さんのスマホからも聞こえた。 「聞こえていますか。右耳の耳たぶがマイク、トラガスの内側がスピーカーです。私と佐和くんは、このピアスを通じていつでも会話ができます。何か話してみてください」 「このような行為は迷惑です。今すぐに止めてください」 僕の声はスマホから聞こえ、小さな溜め息も拾い上げていた。 「音質もいいでしょう? 佐和くんが感じる世界を、すべて共有できます」  光島さんは、穏やかな笑顔を見せる。 「カメラもマイクもスピーカーも防水です。お風呂もダイビングもお好きにどうぞ。ダイビングのあいだは電波が届かなくなりますが、そのくらいは許してあげましょう。どうせ周防くんも、佐和くんとしゃべれませんからね」  ずっと海に潜っていてやろうか。海の中から連絡すれば警察も呼べる。つい目を伏せて考えを巡らせたのを、光島さんに見抜かれた。 「変な気はおこさないでください。この秘密を他者へ漏洩した瞬間に画像を拡散します。意図的にカメラやマイクを塞いだと思われる瞬間も、私の身に危険が及んだり、逮捕等で自由が侵害されそうになった瞬間も同様です。私たちふたりのあいだに他人を介入させるような、野暮な真似はしないでください。その他、わからないことがあれば、いつでも聞いてください。私たちは通じあっているんですからね」 「迷惑です。今すぐに止めて下さい」 「さあ、腕時計を見ましょう。今から30秒、文字盤を見たまま動かないで下さい」  30秒経過して僕が顔を上げたとき、光島さんの姿は消えていた。  パイロットウォッチは集合時間ちょうどを指していて、同時に周防がGPS検索した通知が来た。  僕は大きく深呼吸して、顔を洗った。鏡に向かい、試しに左右の髪を下ろしてみたが、耳たぶを隠せるような長さはなく、潔く後ろへ撫でつけ、身なりを整えてトイレを出ようとして、足許にある清掃中の看板に気づいた。僕は看板を端に移動して、階段を駆け上がった。 「具合が悪いのか」 控室へ戻るなり、周防が隣に立ち、そっと声を掛けてくれる。 「毎年のことだよ。緊張する」 そしてすぐにピアスへ目を留めた。 「ピアス? 開けたのか?」 「うん。今さっき」 「似合ってる。セルフで開けたのなら、一度皮膚科へ行って診てもらったほうがいい。消毒薬と抗生物質、鎮痛剤をくれるはずだ。消毒は手伝うから、やり方をしっかり聞いてきて」 『周防くんは抜かりないですね。アドバイスするふりで行動を指示して、消毒を手伝うポジションを自分のものにする』 光島さんの声が右耳の中にクリアに聞こえて、ピアスの性能に驚きつつ、無視を決めた。  株主総会は定刻通りに始まった。  事業報告はパワーポイントを使い、周防がプレゼンテーション形式で行なう。 「営業活動によるキャッシュ・フローは、ビジネスの伸長に伴い運転資金が増加した一方で、コアビジネスが着実に資金を創出したことにより基礎収益キャッシュ・フローが26億円のキャッシュ・インとなったことなどから、合計で29億円のキャッシュ・インとなりました」 周防の誠実な声と態度で聴衆の信頼を勝ち取っていく。 「当社グループは、資金運用については短期的な預金等に限定し、資金調達については銀行借入による方針です。デリバティブは、後述するリスクを回避するために利用しており、投機的な取引は行わない方針です」  僕個人がデリバティブで資金を転がすのが嫌いなだけなんだけど、この方針は株主に意外に好評だ。背中を押される気持ちで次期も同じ方針を考えている。 『チャラチャラした印象の強いSSスラストですが、この内容は堅実で、毎年好感が持てます』 光島さんの声を聞きながら、僕は考えをめぐらせていた。  この先、耳許でどんな無理難題を言われるかわからない。断れば即画像の拡散が待っている。  何とかして周防だけにでも、このピアスの機能と経緯を伝える手段はないだろうか。  口頭で伝えれば、全部筒抜けになる。  スマホは入力画面がカメラに写る。  手話や指文字の心得はない。  事業報告が終わり、僕はいろいろな手段を考えながら一礼して壇上の席に着き、議事進行を見守る。  各議案とも拍手による賛同を得ながら、粛々と行われて、気づけは質疑応答の時間になっていた。  佐和取締役、と呼ばれた気がする。  議長の顔を見ると、僕を見て頷いていて、何も聞いていなかった自分に驚愕する。 『大丈夫、障がい者雇用に関する質問です。落ち着いて、私の言う通り答えてください』 光島さんの声が耳に飛び込んできた。僕は間違っていたら落ち着いて訂正しよう、隣に座る周防がフォローしてくれるはずだと思いながら、光島さんの言葉をそのまま自分の口から発した。 「議長からの指名を受け、取締役の佐和よりご説明申し上げます。弊社は2015年に障がい者雇用特例子会社を設立し、障がい者の自立と社会参加の後押しに取り組んでいます。法定雇用率は今年の4月から2.2%に引き上げられ、3年後の4月までにさらに0.1%引き上げられる予定ですが、弊社の雇用率は常に法定雇用率を大きく上回る2.8~3.5%で推移しております。今後も積極的に取り組んで参りたいと考えております。以上、ご説明申し上げました」  質問者もほかの株主も納得したように頷いていて、手に持っていたマイクをテーブルに置いた。 『大丈夫ですよ。株主の信頼を得る堂々とした態度でした。障がい者雇用は想定問答集から漏れていましたね。来期はきちんと入れておきましょう』 僕は頷きそうになって、椅子に座り直し、背筋を伸ばすことで誤魔化した。  株主総会が閉会し、立食形式の交流会が始まった。  周防は女性の株主に囲まれ、写真撮影やサインまで求められて、ちょっとした人だかりができていた。  僕は社交の場が苦手なので、なるべく壁際に立ちたいし、裏方に徹したい。 『もっと前へ出ましょう。覇気のない様子は株主に不安を与えます。まずは、ひとりでウーロン茶を飲んでいる年配の男性に声を掛けましょう。『お飲み物はウーロン茶でよろしいですか』と話し掛ければいい』 「失礼します。お飲み物はウーロン茶でよろしいですか」 話し掛け、グラスにウーロン茶を注ぐ。 「今日は最初から株主席にいらっしゃいましたね。長時間お疲れ様でした。株主総会集中日にもかかわらず、毎年最初から最後までお付き合いくださって、ありがとうございます」  光島さんの指示通りの言葉を口にすると、その男性は顔を輝かせた。 「私はSSスラストの理念が好きなんです。風雲児のように派手に振る舞っていながら、その理念は誠実で思いやりにあふれている。周防さんと佐和さんのお人柄は経営理念にこそ現れていると思っています」 「ありがとうございます。経営理念は周防とふたりで……アドバイザーまで巻き込みながら、徹底的に話し合い、考え抜きました。10年近く前のものですが、何度見直しても、自分たちの原点はここにあると確認できる内容だと自負しています」  自分の言葉で話しながら、具体的な名前を挙げることができないアドバイザーについて、ほんの一瞬悲しくなった。  年配の男性はウーロン茶で口を湿らせると、その琥珀色を見ながらゆっくりしゃべった。 「私は孫がいないんです。それは仕方のないことなんですが、私なりの夢もあったんですよ。孫が留学したいと言ったら、資金を出してやりたいと思っていました。SSスラストの存在を知って注目していたら、株式を公開することになって、その資金で株を買わせていただきました。会社の成長をこれからも見守らせていただきます」  僕は思わず深々と頭を下げた。僕と周防以外に会社に愛情を持ってくれている人がいることに感動した。 「大切な資金を僕たちに投資してくださり、ありがとうございます。これからもご期待に添えるように、精一杯力を尽くします」 「若いうちは無理もできる。でも、無理のしすぎはよくありません。しっかり食べて、たっぷり睡眠を取って、きちんと余暇も楽しんで、健康には充分に気をつけてください。親より先に子どもが死ぬことほど、切ないことはありません」  僕がはっとして顔を上げると、男性は「失礼、少ししゃべりすぎました。今年はこれで。また来年参ります」と笑顔を残し、会場から出て行ってしまった。 「今まで、どんなお金で株を買ってくれているかなんて、考えたことがなかった」  小さく呟くと、右耳に光島さんの穏やかな声が聞こえた。 『いい勉強をさせてもらいましたね。また来年もお会いできるといいですね』 「はい」 うっかり返事をしてしまい、僕は鼻から息を吸って背筋を正した。

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