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第31話*
風呂を出て、消毒してもらって薬を飲んで、寝室へ行ったら、僕の枕の上に三日月のクッションが置いてあった。
玉子色の三日月はまつ毛の長い目を閉じて眠っていて、柔らかなパイルの感触は思わず顔を埋めてしまう。
「あ。この匂い……」
僕が衝動買いした香水が吹きつけられていた。
数年前、海外出張を終えて帰国便の搭乗案内を待っていたときに、空港でこの香りに出会った。土産物を扱う免税店から香っていて、僕は大して上手くないスペイン語と英語で店員に話し掛け、香水がずらりと並ぶ棚の前に立って、鼻がおかしくなりそうなほどテイスティングして、ようやくこの香水を手に入れた。
トップノートは太陽の光を存分に浴びて育った柑橘類のような香りで、ミドルノートは生命力にあふれた精悍で豊かな森をイメージさせるウッディ系、夕方感じるラストノートはマグカップを両手に包み肩を寄せ合って過ごす恋人同士のような穏やかなムスク系の香りに落ち着く。
あまりにも気に入ったので、帰国便の中では、その香水を吹きつけたムエットを本の栞として使いながら読書した。
なのに実際に自分の腰に吹きつけてみると、情熱的すぎて似合わなかった。海外で買ったネクタイが、現地では違和感なく使えたのに、日本で締めてみたら色も柄も派手すぎて使えないのと同じパターンだった。
帰宅したらなぜか僕のベッドで寝ていた周防にも怪訝な顔をされ、試しに周防の腰に吹きつけてみたら悔しいほど似合っていて、僕はお土産として周防にその香水を渡した。僕はその代わりに、厳しく甘さを排除したアロマンティックな香水をもらって、仕事のときはその香水を使っている。
僕が三日月のクッションに顔を埋めて大好きな香りを嗅いでいる間に、月色の間接照明は地平線すれすれにあるときのような暗いオレンジ色に照度を落とされた。目が慣れるまで周防の顔すら判別できなかった。
ベッドの上に乗ってきた周防が、僕の右耳に向かって話す。
「そのクッション、いいだろう? さっき、ホテルのショッピングモールで見つけた」
「うん。ふわふわでずっと顔を埋めていたい」
「埋めていて。今まで隣の部屋は空室だったけれど、今日、入居したらしいから。壁の向こうまで佐和の声を聞かせたくない」
「僕、そんなに声大きい?」
ちょっと照れながらクッションに顔を埋めて、周防の真の意図を理解した。
三日月の窪みに口を押しつけると、三日月の先端が僕の左右の耳を覆う。
防音効果はわからないが、少なくともカメラの視界は遮ることができそうだ。
僕はクッションに口をあてて抱いたまま、全身に周防の愛撫を受けた。
左右の頬におどけるように音を立てたキスをされたかと思えば、真面目な顔で僕と目を合わせる。
「佐和。大好きだ」
その声は腰を貫く甘く深い響きがあって、それだけで身体はふわふわした。
周防の引き締まった身体が重なり、唇が鎖骨から胸骨を通って、心臓の上の皮膚をきつく吸う。何度もむしゃぶりつかれて、いつもより求められている感じが伝わってきて、嬉しかった。
左右の胸の粒を指先で捏ねられて、全身に甘い痺れが広がる。びくびくと勝手に身体が震えて、僕は声をクッションに吸わせた。
赤く腫れた胸の粒は周防の口に含まれて、舌先でゆっくり転がされて、その心地よさに僕の背中はシーツから浮く。
「周防、気持ちいい……」
クッションに吸わせたけれど、その言葉は周防に届いて、周防は僕の耳許にキスの音を立てた。
周防はベッドのヘッドボードに寄り掛かり、脚の間に僕を座らせる。
「しっかりクッションを口にあてていて」
頷くと、僕の足は周防の膝に掛けさせられて、そのまま左右に大きく開かれた。恥ずかしくて膝を閉じたいのに許されず、エアコンで調整された涼しい空気に一番隠したい場所を余すところなく晒す。
「んんん……っ!」
どうしてセックスしてるときって、恥ずかしいことが、気持ちいいことになるんだろう。
僕は後頭部を周防の肩に押しつけ、口許にクッションを抱えて、たまらない羞恥と快感に耐えた。
「もっと気持ちよさを上乗せしてあげる」
周防は甘い声でそう言うと、僕の左右の胸の粒を温かな指先でつまんだ。
「んんんんんーーーーーっ!!!!!」
「いきたくなったら、いっていいよ」
「んっ、んんっ」
こりこりと硬くなった乳首を少し強くつまんでねじる。僕がどのくらいの強さで刺激されたら気持ちいいのか、周防は熟知しているようだった。
痛みと紙一重な刺激がびりびりと全身に広がって、下腹部にはむずむずした快感が蓄積された。指一本触れていないのに、僕の分身は熱くなって頭をもたげ、あまつさえとろとろと透明な露をこぼす。暗いオレンジ色の照明にもその雫は光って見えた。
「んっ、周防。気持ちいい……っ」
もごもご言うと、またご褒美のリップ音が耳に聞こえる。それは周防の唇がくっついて離れる音で、その粘膜と唾液の混ざった粘り気のある音は臨場感を持って僕の興奮を煽る。
我慢できずにシーツに触れている尻を揺らしたら、後ろの蕾まで引き攣れて刺激されて、僕は恥ずかしいのに我慢できなくて、腰を揺らしながら周防の愛撫を受け続けた。
「佐和、もっと揺れて」
「んーっ……」
本当はこんなことしたくない。好きな人に変な姿なんて見られたくないし、もっとかっこつけていたいのに。好きな人とほどセックスしたくなって、気持ちがいいなんて、矛盾してる。
僕は抗えず、大きく脚を開かされたまま、周防が見ている前でゆらゆら腰を動かし、鼻に掛かった変な声をクッションに吸わせ、でも腰に周防の興奮した硬さが押しつけられているのを感じて嬉しかった。
周防は僕の頬にキスしてあやしながら、乳首を捏ねる手は緩めなくて、僕は恥ずかしいと気持ちいいの渦に巻かれて達した。
達したのに、周防はまだ僕の乳首を捏ねている。
「んっ、もういった……から……。ねぇ許して……。んっ、んんん」
「もう1回どうぞ」
「なんで……っ」
「あとで激しくするから。今のうちにたくさん楽しんでおいて」
僕はまた朝までコースか、明日も仕事なのに、特に明日はスケジュールが詰まってて、社内ミーティング5本とブランチとのWeb会議1本とグループ会社の役員会議のオブザーバー参加と外回り2件、株主総会で決議した内容を現場へ具体的に落とし込んでいく作業が一斉に始まって、チャット画面は目まぐるしく動き続けるだろうし、さらに夜は取締役会で打ち上げなのにと気が遠くなりながら、周防のたった左右2本ずつの指に勝てなくて、また腰を振り、乳首を尖らせて絶頂した。仕事のスケジュールなんて簡単にこなせると思うくらい気持ちがいい。
「もう1回いく?」
周防は指を動かし続けたが、僕は首を横に振った。自分でもはっきりわかるほど、後ろの蕾が甘く疼いてひくひくうごめき、周防を欲しがっていた。
「周防が欲しい」
振り返って訴えたら、周防は目を閉じて深呼吸した。
「その顔とセリフはずるい。いくかと思った。危なかった」
「大げさ」
笑いながら後ろ手に、周防の硬さへ指を絡め、ゆっくりと上下に動かす。
周防は僕の肩に顎を乗せて刺激を楽しみながら、僕の脚の間へ濡らした手を伸ばし、少しずつ蕾を綻ばせた。
「もう限界。俺も佐和が欲しい」
コンドームのパッケージの端を切り、自分の興奮を覆って、さらにローションを塗りつけながら、周防は僕の頬にキスをした。
僕は身体ごと周防のほうへ向き直って、腰を跨いでゆっくり剛直を受け入れた。根元まで含んで、周防の首に腕を絡める。
「対面座位は恋人同士みたいで嫌じゃなかったのか?」
僕の背中を大きな手でしっかり抱きながら、言葉だけ疑問を投げ掛けてくる。
「恋人同士みたいで、……いいかなって」
周防は僕を抱き締め、大きく深呼吸した。
「佐和のことが大好きだ」
「僕も周防のことが大好き」
抱き締め返して、肩に顔を埋めて。こんなロマンチックなのは恥ずかしい。ガラじゃない。ピアスホールが熱くなってじんじんした。でも、周防のことが大好きで、言わずにはいられないくらい気持ちがあふれてきた。セックスで声を我慢したら快感の逃げ場がなくて苦しいのと同じくらい、言わずにはいられなかった。
「大好き、周防。大好き」
周防は大きく息を吐いてから、宝物のように僕を抱き締め、ゆっくりゆっくりつなぎ目を揺らしながら言った。
「今夜は寝かせない。何度もする。でも、俺を好きにならなければよかったと佐和を後悔させないように、好きになってよかったと思ってもらえるように、めちゃくちゃ頑張って大事にする」
「後悔なんてしない。何年間、手をつなぎ続けてると思ってるんだよ。今さら手を離そうなんて思わない。むしろもっとしっかり手をつなごうって、そういうことだろ、プロポーズとか結婚指輪って」
「ならば、もっともっと惚れてもらえるように頑張る」
「僕も同じ努力をしなきゃいけなくて大変だから、ほどほどにして」
僕たちは小さく笑ってしっかり抱き合って、互いの頬にキスをしてから、再びセックスに戻っていった。
耳にピアスがついていることも忘れて、いろんな身体の重ね方をして、気持ちよさに顔を歪め、シーツを掴み、枕を抱いて、身体を揺らし続けた。周防の歪む顔は僕の興奮を掻き立て、僕は大きく足を開いて深く彼を求めた。周防も僕の姿に興奮すると、僕の腰を掴んで激しく腰を振った。
夏至を過ぎたばかりの空が白み始めても、その清澄な色を見ながらまだ僕たちはセックスを繰り返し、久々に太陽を黄色く感じながら出社した。
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