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第34話

 株主総会の打ち上げは、過日、周防に下見と称して誘われたホテルの中華料理店だった。  あの日は味なんてよくわからなかったけれど、今日は隠し味の紹興酒の風味まで楽しむ余裕があって、僕はノンアルコールビールを飲みながら、皆の談笑を楽しく聞いていた。 「オレ、本当は佐和さんが高校生の頃から試合を見てるんですよ。シルクハットに燕尾服を着て馬場馬術にエントリーしていて、オレたちは勝手に『K高のクールビューティー』って呼んでいました。騎乗してるときの身体のラインがこう、頭から踵まで真っ直ぐで凛としていて上品で、馬が自分から喜んで演舞しているように見えるんです。一目惚れでした!」  新任のアドバイザーは周囲の人に喧伝する大きな声で、身振り手振りも交えて話す。 「そんなニックネームで呼んで頂けるようなものではないです……」  乗馬も真剣に打ち込んでいたから、認めてもらえるのはありがたいけれど、自分の生意気や青臭さを思い出して恥ずかしい気持ちにもなる。  仕事に関してはいくらでも頑張るし、舞台の上にも矢面にも立つけれど、それ以外の部分では、そっとしておいて欲しい。プライベートに踏み込まれても、おっしゃるとおりと堂々笑っていられる周防のような度量はない。 「大学で障害馬術にエントリーされて、その姿がまた優雅でかっこいいんです。馬との呼吸がぴたりと合っていて、踏み切るタイミングや距離は天才だと思いました」 「あの、もう本当に僕の話はいいので、ほかの方の話を……」  本気で困ったとき、周防が僕たちの輪の中へ入ってきた。 「佐和の姿は確かにかっこよかったし、こんなに優雅なスポーツがあるのかと驚きました。俺も佐和選手とニーケー号のファンになって、1回生のときの試合は全部応援に行った」 「そうですよね! 応援に来ている周防さんも女子の注目を集めていたのに、周防さんは佐和さんしか見ていなくて、ベタ惚れなんだなって思いました。一緒に会社を立ち上げるなんて、相当佐和さんを口説かれたんでしょう?」  周防は苦笑いでやり過ごしたが、僕は容赦なく口を開いた。 「邪推は止めていただきたい。周防と僕は恋愛感情でこの会社を立ち上げた訳じゃないし、僕は周防に流されてここにいる訳でもない。役割分担はしていますが、僕たちの関係は常に対等です。互いに全幅の信頼を置いているし、フォローし合ってもいるけれど、仕事において甘えて寄りかかることはしていない。日々株主を始め社内外の方たちの信頼を得られるよう努力しているのに、こんな近しい立場の方にご理解いただけていなかったのは、非常に残念です」  1日分の苛立ちを、ついにここで巻き散らしてしまった。家に帰るまであと数時間だったのに。静まりかえった部屋の中で、僕は獲物を掴まえ損ねた猫が自分の身体を舐めるように言葉を紡いだ。 「失礼しました。株主総会を乗り越えて、少し疲れが出ているのかも。週末にしっかり休養を取ってリカバリーに努めます。お許しを」 立ち上がって右手を差し出し握手を求め、手を握り返してもらって僕は左右の口角を意識して強めに上げた。  そこへ朗らかで穏やかな周防の声がテーブルに供される。 「俺たちが恋愛関係にあると感じる方は多いらしい。彼はプライベートはあまり公にしたくないタイプで、俺も佐和の恋人は一度も紹介してもらったことがありません。佐和の機嫌を損ねると、俺の損失が大きいので、今後は少しお気遣いいただければ」  周防の少しおどけた笑顔に場は和み、僕はそっと席を外してトイレに立った。  左右のピアスを交互に覆って最低限のプライバシーを守りながら用を足し、手を洗うついでに顔も洗って気持ちを入れ替える。  外したメガネのレンズを拭いていたら、アドバイザーの彼がトイレに入ってきて、僕に向かって真面目に頭を下げた。 「申し訳ありませんでした! 佐和さんとお近づきになりたくて、ずっとチャンスを狙っていたので、今日は目の前でお話しする機会を得て、少し浮かれていました」 「そんなに難しく考えないでください。僕も今日は余裕がなくて、みっともない姿をお見せしました。これからも変わらずお仕事をさせていただければ」 「もちろんです。こちらからもお願い致します」  それで話は終わりだと思ったのに、顔を上げた彼は大きく深呼吸してから、また真面目に僕の顔を見た。 「佐和さんはプライベートを公になさらないと伺いました。SSスラストの仕事関係者は、佐和さんの恋人には立候補できないんでしょうか?」 「ぼ、僕の? ……いや、確かに周防に恋人を紹介したことはないですし、今後も紹介することはないと思いますが。いずれにせよ、そういうのはご縁のものだと思うので、仕事関係者かどうかで判断できるものでもないかと。最低限のマナーとして、仕事中に周りのかたに気を遣わせるような態度をとらなければいいんじゃないでしょうか」 「じゃあ、立候補させてください!」 一歩踏み込まれて、僕は同じ距離だけ後ろに引いた。 「あ、すみません。今のは一般論です。僕は婚約者がいますので、そういった話はお受けできません」 「婚約者! 結婚されるんですかぁ?」  目を見開き、眉尻を下げた顔を突き出されて、僕はさらに一歩後ろへ引きながら、メガネを持った手を顔の前で振った。 「あ、あの、まだ親にも報告していないので、ご内密に。それに結婚といっても指輪をつけるくらいのことで、仕事については何も変わらないと思いますし、公にすると義理で何かしなくてはと思うかたや、いろいろお気遣いをくださるかたも出てきてしまうと思うので、どうぞご放念ください。っていうか、マジでそっとしておいてほしいです」  彼は「そうですか」と呟いて肩を落とした。 「すみません……」  小さく頭を下げると、彼は僕の顔の横の壁に手を突いた。 「メガネを外した顔、やっぱり美人で最高です。いつから視力悪くなったんですか。ピアスは思い切りましたね。イヤーカフも似合ってます」  顔を近づけられて、僕は頭を引き、背中を壁にくっつけた。 「ええと……これらのアイテムはすべて、外すとたぶんとても面倒くさいことになるので、どのようなご感想をいただいても、このスタイルは変えることはないと思います。このことに関しましても、どうぞご放念ください。今後も変わらぬお付き合いを。SSスラストをよろしくお願いいたします」  レンズを拭き終えたメガネを顔に戻し、しゃがんで腕の下をくぐり抜けて一足先に部屋に戻った。イヤーカフで筒抜けだったはずなのに、周防は機嫌を損ねる様子もなく、あとから部屋に戻ってきた彼にも同じように朗らかな笑顔を向けて接していた。 「お疲れ様でした」  ホテルのロビーで解散し、タクシーに乗る人を見送って、僕と周防は地下駐車場へ行く。白いスポーツカーのシートへ身体を滑り込ませ、ドアを閉めるなり、周防はジョンみたいに元気よく僕に抱きついてきた。 「婚約者!」  僕の肩に額を押しつけて、周防ははしゃいだ声を出す。 「あ、うん。言い過ぎだった?」 周防は額を擦りつけたまま、大きく首を左右に振った。  周防の背後にジョンのしっぽが揺れて見える気がして、僕は周防の頭をしっかり抱いた。 「周防、大好き」  頬に唇を触れさせていたとき、視線を感じてフロントガラスの向こうを見た。  そこには足を止めて口を開けているアドバイザーの彼の姿があって、僕は周防の頭を抱いたまま、自分の唇の前に人差し指を立てた。

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