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第40話*

***  今日の1曲は周防が選んだ、Billy Joel(ビリー・ジョエル)の『Just the Way You Are(素顔のままで)』だ。  周防のお父さんがビリー・ジョエルのアルバムを持っていて、まだ学生だった頃に実家へ遊びに行って聴かせてもらった。  どんな困難があっても君を離さない。今までもやってこれた僕らだろう。何でも話せる、素顔のままの君でいて。 「いいな。いつかこんなことを言いたい」 歌詞カードを見て周防は言い、僕は彼をロマンチストだと笑った。  でも、今の周防はこの歌詞を本気で口にできる。聞かされる僕は照れくさいけれど幸せだ。 「周防、誕生日プレゼントは何がいいか決めた?」 「まだ。腕の中に佐和がいると、ほかに欲しいものなんて思い浮かばない」 「ロマンチスト。僕がショートブーツをもらうから、周防も靴にする?」 「そうだな、サンダル。かっこいいサンダルが欲しい」 「いいよ。今度の休みに探しに行こう」 「佐和とデートだ」  僕の肩に額を擦りつけて上機嫌だが、メッセージしてきた内容は不機嫌だった。 『周防:残念なお知らせ。光島は起訴猶予。納得いかない』 『佐和:初犯で示談成立、社会的制裁、客観的には当然の判断かも』 『周防:お姉ちゃんへの接近禁止命令はまだ生きてるから、すぐに危険な目に遭うことはないと思うけど、気をつけて』 『佐和:ありがとう。気をつける』  僕たちはノイズを聞きながら「愛してる」と言い合った。  光島さんは、周防の恋愛術を僕に解説し、僕の仕事術について適切なアドバイスをくれるだけで、何もしてこない。 『周防:会社の金を横領しろ、人前で突然裸になれ、そういう命令なら、強硬手段もとれるのに。やり方が地味すぎ』 『佐和:僕たちを知ってる人だから、暴れさせない術もわかってるんだろうね』  僕がスタンプをひとつ添えると、周防は唐突に変な話題を持ち出した。 『周防:この間、霊感が強い人の話を聞いた。成仏したくて困ってる地縛霊を肩に乗せて、その人のために手を合わせてあげるのが、自分の役割だという人』 『佐和:祈祷師?』 『周防:普通の小料理屋の女将さん。面白いなと思ったのが、拾われた地縛霊が女将に話しかけてくる。成仏させて欲しいから女将を困らせることはしないで、味付けや献立にアドバイスをくれる。そのうちに成仏するらしい』  周防の話を読んで、僕はちょっと首を傾げる。 『佐和:光島さんを地縛霊だって言いたいの?』 周防はYesと飛び跳ねるスタンプを送ってきた。  僕はつい笑ってしまって、周防はそれでいいと言うように、僕の耳許でキスの音を立てた。  そうか、僕はおりこうな地縛霊を背負ってるのかと思ったら、楽しさすら感じるようになった。 『佐和くんは仕事を整理して、ほかの人に振り分けましょう。他人にお願いして任せるのは面倒ですが、仕事が人を育てるのもまた真です。人作りは大切です』  説教くさいことを言われても、地縛霊だと思うと何となく笑ってしまう。 「佐和は笑顔がいちばん似合う」  周防は耳許でキスの音を立ててくれて、仕事も上手くいって、ベストではないにせよ、しばらくはモアベターな状態で切り抜けられそうな生活サイクルができあがった。  今年の七夕は日曜日で、僕と周防はサンダルを探しに行き、いいレザーサンダルが見つかったので、少し早い誕生日プレゼントを手渡した。そのまま夕食を食べに出掛けようという話になって、僕は選択肢を与えられた。 「ビリヤニ、カレー、ケバブ。どれがいい?」 「ビリヤニ食べたい」 「では、ビリヤニが美味しい店へ行こう」  その店のビリヤニは細長いお米がふわふわで、スパイスの香りがよくて、もちろん味もよくて、店員さんがフレンドリーで、僕たちは食事を存分に楽しんで店を出た。  店の前にちょっと大きな公園があって、周防は指をさす。 「腹ごなしに少し散歩しよう」  都心にあるとは思えない緑豊かな公園で、大きく育った木々がベンチや歩道に真っ黒な影を作る。  風が吹くたびにシャラシャラと葉擦れの音を立てるクスノキの影に差し掛かったとき、周防の左手が僕の右手を掴んだ。 「この影を抜けるまで、いい?」  周防の声は少し緊張していた。僕は了承のしるしに、周防の指の間に自分の指を交互に滑り込ませて握った。公園にはそれなりに人がいて、こんな場所で手を繋ぐのは初めてだった。  クスノキの影は大きかったけれど、僕たちが歩くのはあっという間で、周防は影を抜ける前で足を止めた。 「安全停止」  歩道の端に寄って、周防は僕の右手を掴んだまま、左手首の腕時計を見た。海の中で過ごす最後の3分間のように、僕たちは何となく遠くの景色を見ながら、意識はつないだ手に集中した。周防の親指の腹が、僕の親指の爪を愛撫して、僕も周防の爪を愛撫した。  また周防は腕時計を見て、秒針まで確かめて、3分間きっかりで僕の手を離す。 「ありがとう、佐和」 周防は自分の両手を押さえつけるように、ダメージジーンズのポケットに突っ込んで、街灯が照らす明るい道を歩き始めた。  周防は大きく息を吐いた。 「緊張した」 『周防くんの今日の目的が、公園で手をつなぐことだったからでしょう。ビリヤニ、カレー、ケバブ、佐和くんがどの料理を選んでも同じ店へ連れて行き、食後に公園へ誘う計画だったはずです。狡猾な』  周防は見えない天の川を見上げ、僕はつい笑ってしまった顔を俯いて隠し、うっかり光島さんに返事をしてしまった。 「僕はそんな周防が好きです。そこまでして公園で手をつなごうと思ってくれたことが嬉しい」 『佐和くんは寛容ですね。だから周防くんがつけあがる。あまり一緒にいると取り込まれて離れられなくなりますよ』 「僕は周防と離れるつもりはありません」 『依存や執着と愛しあうことは違います』 光島さんとの会話はそこで終わった。  翌朝、周防との擦り合わせを終えて、メールの返信をしていると、秘書室から連絡があった。 「監査法人の佐々木さんがお見えです。アポなしですが、いかがしましょう?」  アドバイザーの彼が、このタイミングで何の用だろう。考えを巡らせるより先に、光島さんの声が飛び込んできた。 『会ってください。命令です』 「お通ししてください。9時からのミーティングは12時半に振り替えて、関係者に連絡してもらえますか」  秘書に案内され部屋に入ってきた彼は、青ざめていた。洗いざらしの髪がほつれ、白目は真っ赤に充血して、唇は白っぽく乾いて薄氷を割ったようになっている。 「おはようございます。今日はいかがなさったんですか」  笑顔を向けても、表情は強ばったままだ。  そして唐突にソファに向かって真っ直ぐ歩き、「失礼します」と呟いて、どすんと座った。  スマホをローテーブルの上に置いたが、その手はぶるぶると震えていて、反対の手で震える手を押さえ込まなければならないほどだった。 「体調悪いの? 熱中症かな、横になって」  内線で秘書に連絡しようと思ったとき、彼は裏返った声を震わせながら話し始めた。 「この、動画をっ、見て、ください」  彼の左右の耳には、僕と鏡写しに3箇所ピアスが打ち込まれていた。真っ赤に腫れていて、打ち込まれた日の僕と同じ状態だった。 「そのピアス、光島さんの……?」 彼は頷き掛けた首を途中で止めて、僕から顔を背けた。 「動画を見ればいいんだね?」  スマホを受け取り、再生ボタンを押すと、すぐに僕の嬌声が響いた。僕は寝室のベッドの上で、周防と対面座位でつながっていた。僕は周防の首に両腕を絡め、両足を腰に巻きつけて、周防は僕の背中を抱いていた。  部屋の中は照明がなくてもレースのカーテン越しに光が差して明るい。 『はっ、ん。気持ちいい、気持ちいい……。周防、愛してる』 『ああ、佐和。愛してる』  マットレスが軋む音や、ふたりの息遣い、互いの肌へ唇を押しつけて離す音、すべてがマイクに拾われている。  しかも、カメラのアングルは僕のピアスとはまったく関係ない、クローゼット付近からの固定された視点だった。ピアスをつける前から会話の内容を把握されていたから、どこかに盗聴器はあるだろうと思っていたが、カメラも仕掛けられていたのか。  映像の中の僕たちは、そのまま騎乗位になって、僕は周防に乳首を捏ねられながら腰を振っていた。 『あっ、またいく……っ、いく』 『いいよ、おいで』  周防はまだ余裕があって、僕がひとりで天井を振り仰ぎ、身体を震わせて達した。  僕たちが好む体位はそんなに多くないし、手順だって決まってきているから、どれもこれも似た映像になるだろうけれど、昨日の日曜日の朝も、目覚めてすぐに僕たちはセックスをした。少し眠くてリラックスしていて、体力は回復していて、とても気持ちのいいセックスだった。 『デートが楽しみだ』 周防がそう言っていたのは明らかに昨日のことで、僕はこのセックスで得た快感をまだ自分の身体でありありと思い出すことができる。 「僕たちのことなのに、迷惑がいって申し訳ない」  周防が背中を丸めながら腰を突き上げて、僕の身体の上に倒れ込んだところで映像は終わっていた。 「あのっ、オレは……この動画で、オ……っ、オ、オナニーをしました……」  震えた声で言う彼の姿に、僕は光島さんの残酷さを感じる。 「そうですか。僕は気にしません。気にしないでください」 「どんなふうにしたか、見せます……」  彼は震える手で、腰のベルトを外し、トラウザーズの前立てをくつろげた。 「光島さん。やりすぎじゃないですか」 僕の鋭い声に肩を震わせたのは彼で、光島さんの声は日だまりで丸くなる猫のように穏やかだった。 『佐和くんと周防くんの行為を見た人は、こんな劣情を煽られる。可哀想ですね。性欲に溺れて、依存や執着と愛を履き違えるからですよ』 「意味がわからない」  僕は斬り捨てたが、そのあいだにも彼は自分の陰茎に手を掛けていた。左右の目尻からは涙が流れていて、僕は自分のジャケットで彼の肌色を覆った。 「佐和くん、現実から目を逸らしてはいけない。しっかり見てください」  仕方なく僕が彼の隣に座ろうとしたら、また声が響く。 『ジャケットを退かして、彼の正面に座って、しっかり見てください。彼の耳たぶのカメラに映って。醜いからと目を閉じて誤魔化すことのないように』  僕はGPS検索のボタンを押してから、その結果を待たずに秘書室へ内線を掛けた。お姉ちゃんの声が聞こえて、社内用PHSを握る手に僅かに力がこもる。 「周防のスケジュール、どうなってる? この後の周防の来客って時間ずらせるかな? 蒸しタオル数本と、バスタオル、水を用意しておいてほしい。周防以外は僕がいいと言うまで部屋に入れないで。あとは周防の指示に従って」 一方的にしゃべって姉の声が聞こえる前に通話を切った。ほぼ同時に周防からGPS検索された通知が来た。大丈夫、周防は状況を把握している。  せめて少しでも彼の羞恥心を軽減できるように、行為に集中できるように、僕は部屋の照明を消し、ロールカーテンをすべて下ろして、ドアの前にスクリーンを立て、ボックスティッシュをテーブルの上に置いて、彼の前に座った。 「心配しないで。僕も一緒にする。修学旅行の夜みたいだ」 こういう男子同士にありがちな遊びは、別の部屋のメンバーから伝え聞いたり、周防から思い出話として聞いたことがあるだけで、僕自身は修学旅行でも部活の合宿でも経験しないまま大人になった。完全なハッタリだけれど、僕は堂々とベルトを外し、前立てのファスナーを下げた。  彼は彼で、何か光島さんから指示が出ているらしい。言葉も発せず、目も合わせずにうつむいていた。  僕たちの動画を再生しながら、彼は右手を動かし始めた。陰茎は少しずつ充血し始めた。僕の喘ぎ声も、周防の睦言も全部聞こえる。イヤホンを使えば集中できて、時間を短縮できるだろうに、ピアスを開けられたばかりの耳では痛くてそれもできないんだろう。 『あっ、周防……っ』 『逃げないで、佐和』 『あああああっ』  突き上げられる衝撃から逃げる身体を引き戻され、快感を味わった。はっきりと僕は覚えていて、思い出せば身体が疼く。  僕はワイシャツの内側へ手を這わせて乳首を弄り、盛りあがってきた己を下着の中から掴み出して、自慰を始めた。

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