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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(1)
『恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。』
これは大正から昭和中期にかけて活躍した作家、渡辺舟而 の随筆集『軒先のキャラメル坊主』に書かれた一節で、俺の赤い傍線だけが引いてある。佐和の心には響かなかったらしい。
「渡辺舟而の文章って、ロマンチックなんだもの。あまり好きじゃない」
休日の朝、オーダーメイドのソファで、佐和はパジャマ姿のまま肩をすくめ、ペアのマグカップでコーヒーを飲む。黒髪がいろんな方向へ跳ねているのは、昨夜、濡れた髪を激しく振っていたからだ。
「でも佐和は『冬扇幻談 』は気に入ってるよな。あれなんて、もっとロマンチックだろう。お涙頂戴の直球ストレートだ」
「んー。ロマンチックと、ストレートで情熱的なのは、ベクトルが違わない?」
佐和はマグカップに口をつけたまま、ぱたんと首を横に倒した。
「『冬扇幻談』がストレートで情熱的っていう評価も、俺はよくわからないけどな」
俺もソファでコーヒーを飲み、無精髭を生やしたままで首を傾げる。
「そう? 皮肉屋の渡辺舟而が、珍しくド直球に書いたって感じがするんだけど」
「だったら『終 の女房』だってド直球だよな」
「あれはロマンチック!」
「あれはロマンチック……」
がく然とした俺の表情を見て、佐和が噴き出す。
「本当のことは作者本人にしかわからないし、ひょっとしたら本人にもわからないかも。僕たちの読書において大切なのは、共通体験と相互理解であって、感覚の同調じゃない。目的はブレないようにしないとね」
コーヒーを飲み終えた佐和はマグカップを持って立ち上がり、キッチンへ向かう途中で俺の頬に唇を触れさせていく。俺は思わず目を閉じ、鼻から大きく息を吸った。
「同棲って最高だな」
すぐにコーヒーを飲み干して、佐和の隣で一緒にマグカップを洗う。
「結婚はもっと最高だといいね」
佐和は涙袋をふっくらさせた。
心臓を射抜かれた俺は、薄紙一枚の距離まで顔を近づける。佐和は俺の望みに応じて、唇へ唇を触れさせてくれた。その柔らかな感触を味わいながら腰に手を回す。佐和の手も俺の腰に回されて、互いを抱く手に力を込めながら、口づけを深めていった。
何度経験しても、舌が絡むと官能が呼び起こされる。佐和が仰け反るほど口内をむさぼった。
「ん……っ、んっ。んん」
佐和が鼻にかかった声を充分に上げてから、口を離した。額をくっつけ、唇が触れ合う距離で、目一杯甘ったるく問う。
「裸エプロンしてくれるって?」
「しないよ!」
笑い出した佐和を抱き、耳に口をつけて、今度こそ本当の質問をする。
「ベッドへ行く? それとも、ここで?」
「たまには、ここで」
「その返事を待っていた」
耳にキスをして、そのまま首筋へ唇を滑らせる。パジャマのファーストボタンだけはずし、鎖骨を舌先で辿った。
「ここ、いい?」
「ん」
佐和に頭を抱かれて、皮膚を吸った。
「ね、周防。首も」
「どこ?」
指先で示されたのは、首筋の真ん中だった。
「いいのか? 隠せないぞ?」
「ん。ゴールデンウィークだから」
「毎日ゴールデンウィークでもいいな」
佐和をキッチンスツールに座らせ、吸血鬼のように首筋を吸い上げた。
「周防……」
甘くぼんやりした声に変化して、俺は皮膚にむしゃぶりつきながら、パジャマのボタンをすべてはずした。
赤い痕をしっかり残し、心臓の上に口づけた。佐和の手が俺の髪の中へ差し込まれ、俺はまた皮膚を吸った。
「はあっ、周防」
佐和の手に頭を抱かれたまま、胸や脇腹や腰にも食らいつく。そのまま床に跪き、佐和の足を捧げ持って、佐和と目を合わせながら、足の指を一本一本口に含んだ。
「くすぐったい」
そう言って笑う顔は妖艶で、俺は舌を出して見せつけながら、舐めまわす。うやうやしく足の甲に口づけ、ズボンをまくり上げてふくらはぎを舐め上げ、膝の内側の皮膚も吸った。
そのまま手を滑らせ、パジャマのズボンも脱がせて、内腿を攻めていく。佐和の熱が高ぶっている足の付け根までもぐり込んで、薄くやわらかな皮膚を吸う。
最後の砦、ボクサーショーツも剥ぎ取って、改めて全身を見た。佐和の身体は桜の花をまとっているように赤くなっていた。
「エロくて、いい」
「周防に求められてる感じがして、嬉しかった」
「もっと求めたい」
佐和が立ち上がり、入れ替わりに俺がスツールに座らされて、佐和は寝室からコンドームとローションを手に戻ってきた。
とろとろと手に受けたローションを、俺のパジャマの上から塗りつける。胸に手をあて、俺の表情を確かめながら、胸の粒を愛撫した。
ぬるぬるして摩擦がなく、心地よい愛撫だけがあって、快感がダイレクトに身体に響く。
佐和に向けて手を伸ばすと、すぐにキスしてくれて、キスの快感で愛撫の快感を紛らわせて過ごした。
「ここ、大きくなってる」
手のひらに受けてあたためたローションをたっぷりと塗りつけられ、手に包んで形を辿られる。その手の動きや力加減を佐和は見極めていて、俺はかなり危ういところまで熱がこみ上げていた。
「ああ、佐和。もう……」
両手を広げ、佐和は俺の腰を跨いだ。
ゆっくり腰を沈め、俺の熱は飲み込まれていく。
粘膜に抱かれて、めまいがするほどに気持ちいい。
「動いていい?」
そう問うたのは佐和で、俺の硬さを根元まで飲み込んだまま、ゆるゆると腰を使った。俺の熱は佐和の中で暴れ、擦られて、締めつけられていく。
「ああ、佐和」
「ん、周防。気持ちいい」
艶めかしい腰つきで俺を誘っていたが、しだいに佐和も快楽に夢中になって、我を忘れて俺の肩を掴みながら、動きを激しくしていく。
「あっ、奥まで……奥までくるっ」
「ああ、奥にあたる」
スツールに座ったままではもどかしくなって立ち上がり、佐和をシンクに向かって立たせて、背後から貫いた。
「あああっ!」
佐和の身体が快楽に驚いて伸び上がり、逃げそうになる。俺は佐和の肩を掴んで引き戻し、しっかりと最奥を狙って穿った。最奥で触れ合うたびに熱水のような快感が全身に広がっていく。
「あっ、やあっ、周防。そんなに激しくしないで……っ」
「一緒に気持ちよくなろう、佐和」
俺が突き上げるのに合わせて、佐和も尻を突き出してきて、激甘の痺れを分かち合う。
「あ、イク。イキそう……すおう、いっちゃうっ」
「俺もイクっ」
肩と腰を掴み、高みを目指して疾走した。先に佐和が遂げて声を上げ、身体を震わせた。俺も熱くやわらかな内壁に締め上げられて、最奥ではじけた。
腰を貫く快感に全身が灼かれるのを楽しんだ。
パジャマと下着を洗濯機に任せ、裸のままベッドへ舞い戻る。
欲が離れても、まだ佐和の身体に触れていたかった。
甘い気持ちと、もっともっと優しくしたい気持ちがあふれて、キスマークが散る佐和の胸に頬ずりをし、伸び上がって佐和の頭を自分の胸に抱いて、佐和が嫌がるまでキスの雨を降らせる。
『恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。』なんて思わない。この気持ちこそが、自分たちの幸せを作っているのだと思う。
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