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【番外編】6558 Archive 1993 -Black-(4/4)
桜と一緒に北上を続け、青函トンネルをくぐる手前で、俺はいつも世話になっているアイウェア専門店からメッセージを受け取った。
「クリスチャンロスの復活?」
俺は丁寧に内容を読んだ。
ロサンゼルスのアイウェア専門会社が、クリスチャンロスブランドを買収したことは知っていた。
それがいよいよ動き出したのだ。
活動再開の第1弾は、カート・コバーンが愛用していた『6558』のリデザインで、テンプルの内側に Archive 1993 の文字が刻まれるという。
俺は日報を入力する手を止めて、すぐにお姉ちゃんに電話した。
「凛々可大先生、お疲れ様です。4月29日の朝、新宿伊勢丹に行っていただけませんか。往復のタクシー代とランチ代はもちろん負担させていただきます。俺のサングラスを買うついでに、自分が欲しいサングラスも1つ買っていいから。お願い!」
詳細を送り、さらに頭を下げる。
「黒と白、ひとつずつ! 品切れでも泣きません!」
「わかった。最前は尽くすけど、期待はしないで」
「あざっす!」
「あと、私のサングラスはいらないから、函館の市場で美味しい物を買って持ってきて」
「了解ですっ!」
函館で最後の仕事を終えて、俺はすぐ佐和にメッセージを送った。
『Mission accomplished!! 明日帰る!』
そして明日、確実に佐和と会うために、俺はさらなるメッセージを送る。
『市場で新鮮な魚介を買って帰るから、俺の部屋で待機してて』
『Congratulations!!!!! 気をつけて帰って来て。周防のことも、魚のことも待ってる』
すぐに佐和から返信があって、俺は胸の前で拳を握った。
「よしっ、佐和に会える!」
翌朝は市場が始まるのと同時に飛び込んで、新鮮な魚介類をたくさん買う。さらに魚介に合う地酒も買って、1箱は実家へ送り、2箱は自分が乗る飛行機に載せた。
前日には魚介に合うワインとシャンパンとシャンパングラスも買ってあって、佐和と飲みまくる準備は万端だ。
あまりにも早く佐和に会いたくて、飛行機の便を3本も繰り上げてしまった。
そのまま空港から自宅へ直行したいが、我慢して佐和の実家に寄る。
発泡スチロールの箱をひとつと地酒を1本差し出し、引き換えにサングラスを受け取った。
「白は瞬殺。黒しか買えなかったわ」
残念そうなお姉ちゃんに、俺は笑顔を向ける。
「黒もクールでカッコイイ。ありがとうございます!」
さっそく自分の顔にのせて、靴を脱ぐ間もなく佐和家を辞した。
「やっぱり、黒は佐和に似合いそうだな。予定通り、佐和にプレゼントしよう」
色違いのお揃いにはできなかったが、佐和が6558を使うなんて、きっとカッコイイ。
気が逸るからこそ慎重な安全運転で、俺はレジデンスの駐車場に車を停めた。
スーツケースと魚介の箱は、2回に分けて運ぶほうがいいと理解していたが、佐和の顔を見たら離れられなくて、駐車場までもう一度荷物を取りに来るなんて、できそうになかった。
俺は箱を左肩に担ぎ、右手でスーツケースをひいて、強引に帰宅した。
カードキーを通して、勢いよくドアを開け、戻ってくるドアに自分の足を突っ込んで停めた。
「ただいま」
三和土には、佐和が愛用するラバーサンダルがある。それだけで嬉しくて頬の筋肉が緩む。
「お、おかえり」
佐和が玄関へ出てきた。ふわふわのパイル生地のセットアップを着ているが、赤のボーダーは俺のだ! 佐和が俺の部屋着を着てる! 俺のを!
佐和はすぐに駆け寄って、スーツケースを運び入れるのを手伝ってくれた。
ドアを閉めて、改めて俺は佐和を見た。
サングラスをかけたままの暗い視野に、佐和の笑顔とサングラスが際立つ。
佐和は白いフレームのサングラスをかけていた。俺が手に入れた『6558 Archive 1993』の色違いだ。
「いいサングラスを手に入れたな。佐和にしては珍しいチョイスだけど、似合ってる」
結構、パンクやサイケも似合うんだなぁと新しい発見をした。頭ちっちゃくて、タッパあるし、手足も長いから、その気になれば何でも着こなせるんだろうなと納得していたら、佐和は首を横に振った。
「違うよ。これは周防に。キャラバンを完走した周防に、ささやかだけどプレゼント! お疲れ様でした!」
ビジネスライクにきちんと頭を下げてくれる姿に、俺は慌てて発泡スチロールの箱を床に置いて、背筋を伸ばした。
「ああ、その。佐和こそ、お疲れ様でした。俺を思いっきり走らせてくれてありがとう。ただいまっ!」
肩の高さで両手を広げた。自然に頬の筋肉が盛り上がって、俺は笑顔になっていた。
「おかえりっ!」
佐和は腰の高さで両手を広げ、俺の腕の中に飛び込んできてくれる。俺の頭の中には、うれしい、愛しい、大好き、3つの単語しか思い浮かばなかった。
俺は浮かれたついでに、佐和の耳に口が触れる近さで笑った。
「サングラスごと、佐和をご褒美にもらっていいって?」
「そこまで言ってないだろ。サングラスだけだよ」
仕事で運を使い果たしたから、さすがにそこまでの願いは叶わなかったか。佐和のことを改めて抱き締めた。互いのサングラスのテンプルが触れ合う。
「サングラスだけでも充分に嬉しい。ありがとう。お礼に俺のサングラスをあげる」
俺たちは抱擁を解いて、互いのサングラスを交換した。またひとつ、お揃いを増やすことができた!
スマホを取り出し、顔を寄せあって写真を撮った。
ふたりは頬をくっつけあって、笑顔をはじけさせていた。俺は佐和の隣にいると、こんなにも笑顔になれる。
「いいね。僕たちはこうでなくちゃね」
画面を見て感想を述べる佐和の横顔を愛しく思って、しっかり頭を掴み、逃げる隙もなく頬にぶちゅうっと音を立てたキスをした。
「もう。だからなんで男のほっぺなんかにキスするのっ?」
佐和だから。心底佐和を愛してて、気持ちがあふれるから。
心の中だけで答えて、俺は発泡スチロールの箱をキッチンへ運んだ。
俺は佐和の青いボーダーのセットアップに着替えた。お揃いは嬉しいが、それを交換するなんてもっと嬉しい。
俺たちはキッチンで立ったまま、シャンパンで乾杯した。
レストランで飲むシャンパンも雰囲気があっていいが、ルームウェアを着て、キッチンで飲むシャンパンは、もっと親密でエロティックな感じがしていい。
俺たちは包丁を手に並んで立ち、動画サイトの説明を見ながら魚介を捌く。
頻繁に乾杯を繰り返し、いつもよりも多く互いの姿をスマホで撮影し、それぞれが捌いた魚介を、まな板から直接相手の口へ放り込んで笑った。
何が面白いというのではない。ただもう一緒にいる時間のすべてが面白くて、楽しい。会話は飛躍し、嘘も本当もごちゃ混ぜに話しては笑った。
頬の筋肉が痛くなるほどに笑って、気づけば窓の外は暗く、シャンパンと日本酒とワインは空になっていた。
「溺れそうで怖い。一緒に入ってくれないか」
「いいよ」
佐和はあっさり頷いて服を脱ぐ。大きなバスタブに並んで膝を抱えた。
「あー。自宅の風呂が一番落ち着く」
後頭部をバスタブのふちに押しつけて目を閉じた。
「お疲れ様」
佐和がねぎらって、俺の手を掴み、ゆっくりマッサージしてくれる。その手をつないで、俺は隣に佐和がいる幸せを味わった。
「覚悟していた以上に、寂しかった。佐和がいない寂しさは、佐和でしか埋まらないと実感した」
つないでいた手を軽く揺すったら、佐和は両手で俺の手を包んだ。
「寂しさの主たる原因は自己肯定感の低下だけど、たまにはそんな例外もあるよね」
俺がいなくて寂しかった? と訊く勇気は持てず、黙って佐和の手の感触を味わった。
ベッドは布団乾燥機でしっかり乾かされ、清潔なリネンで包まれていた。
俺は久しぶりの自分の枕に顔を埋め、そのあまりの清潔さを不思議に思った。
リネンだけでなく、枕も、ベッドパッドも、掛け布団までもが洗われていて、佐和の匂いがまったく感じられない。
佐和は俺の腋窩に鼻先を突っ込んで、ずっとくんくんしている。
俺の匂いを気に入っているのに、徹底的に洗濯する理由を考えて、俺は一か八か佐和に訊いてみることにした。
「ずっとここで寝てた?」
佐和は小さく肩を震わせ、腋窩に鼻先を突っ込んだまま言った。
「何でそう思うの?」
俺は自分の枕に鼻を押しつけ、大げさに匂いを嗅いでから言った。
「佐和の匂いがする」
佐和が顔を上げた。
「嘘。僕、ちゃんと全部洗ったもん!」
「やっぱりここで寝てたんだな?」
誘導尋問に引っ掛かったことに気づいた佐和は、頭から布団をかぶった。
何て愛しいヤツなんだ! 俺は布団ごと佐和を抱き締めた。
「愛してるぞ、佐和! セックスしよう!」
「しないよ!」
俺は馬乗りになって、両手で佐和の脇腹をくすぐった。
「うわ、やめっ」
「正直に答えたらやめてもいい。俺がいないあいだ、寂しかった?」
「寂しくなかった!」
「ダウト!」
俺はさらにくすぐって、佐和はベッドの上をいつまでも笑い転げた。
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