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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(6)

 風呂から上がると、佐和は「お風呂を頂きました。ありがとうございました」と丁寧な挨拶をした上に、「よろしければ何か手伝わせてください」と申し出て、すぐに餃子の皮に餡を包み始めた。  まさか佐和だけ台所に置き去りにもできず、俺も一緒になって餃子の餡を皮に包む。 「佐和くん、手際がいいわねぇ。おウチでもお手伝いしているの?」  母親の問いかけに、佐和は風呂上がりのぴかぴかな肌で笑顔を作る。 「夜食は自分で用意する決まりなので、簡単なものは作ります。あ、このあいだ、眞臣くんの部屋で呑んだときに、ちょっとずるい羽根つき餃子を作りました。ね? あれ、結構上手くいったよね」  顔をのぞき込まれ、隣で作業していた俺は頷いた。 「佐和が図書館でレシピをみつけた」 「小麦粉を溶いた水じゃなくて、ピザ用チーズを散らすんです。ちゃんとぱりぱりの羽根ができました。あとで写真もお見せしますね」  佐和は餃子を包み終えると、本当にスマホを取り出して母親に見せていた。俺がフライパンに餃子を並べている横顔や、完成してから佐和とふたりで乾杯している笑顔、餃子を頬張って口の端にケチャップをつけている顔まで次々に披露された。 「美味しそうにできてるじゃない。部屋もきれいにしてるのね」 「余計なところまで見なくていい」  床が見える程度には片付けてあるが、ベッドは乱れているし、脱いだ服も散らかっている。この日はバイトから帰って来てそのまま寝て、佐和が来てもまだ寝ていて、そのうちに佐和も隣で寝始めた。真夜中になってからようやくスーパーへ買い物に行き、交互にスマホをのぞき込みながら大量の餃子を作って食べた。ふたりとも顔はむくんでいるし、髪は寝癖で跳ねている。 「佐和くん、この写真、もらってもいい? 子どもが大きくなると、写真を撮る機会ってなかなかなくて。写真を撮って送ってって言っても、あんまり送ってくれないし」  佐和はあっさり了承して、母親とメアドを交換した。 「周防、この写真もお母さんに送っていい?」  見せてくれたのは授業中の写真だ。広げた模造紙を前に、俺は椅子に横向きに座って足を組み、隣に座る学生とディスカッションをしている。 「送っていいけど、撮られてるのには気づかなかった」 「完成したマップを記録用に撮るとき、一緒に撮ったんだ。真剣に課題に取り組んでいる、いい顔だよね」  そのほかにも、教室や学食、図書館前のベンチなどで空き時間に撮った写真を添付して送り、俺は照れくさかったが、母親は喜んでいた。 「子どもの写真って、いくつになっても嬉しいの。また送ってくれたら嬉しいわ。ありがとう」  佐和はスマホでカメラを起動し、俺に指示を出した。 「お母さんの隣に座って。恋人みたいに肩に手を回して。めっちゃキメ顔して」 「無茶言うなよ」 「じゃあ、キメ顔じゃなくてもいいことにしてあげる。笑顔でいいよ。たくさん笑って」  佐和は最初からキメ顔なんか撮るつもりはなく、渋る俺に妥協するフリをして自分の要求をねじ込んでくる。  俺は強く息を吐き、佐和は声を立てて笑った。 「はい、笑って」  俺は母親の肩をしっかり抱き寄せ、白髪が混じる髪に自分の頬を押しつけて笑った。  母親の表情は明るく、少し照れていた。 「お母さん、可愛い!」  佐和はすかさず褒めて、撮った写真を母親に送っていたら、父親と姉の夫が一緒に帰ってきた。 「佐和くん、ようこそ」 「おじゃましています。眞臣くんと大学で仲よくしてもらっています。佐和朔夜です」  きちんと挨拶をしてから、俺と父親の顔を見比べる。 「佐和だってお父さんとそっくりだろ」 「そうだけど。遺伝子ってすごいね。親子そろってカッコイイ」  佐和は明るく笑い、父親もニッコリ笑った。 「佐和くんはかなり飲めると聞いたけど、日本酒は好きかな? このあたりは質のいい水が湧くから、いい酒がたくさんあるんだ」  一升瓶を両手に一本ずつ掲げ、さらには姉の夫も地元のクラフトビールのボトルを掲げて見せた。 「ウチの人間は、どいつもこいつもエグいくらい飲むから、気をつけて。断りにくかったら俺を呼んで」  佐和は酒に強い。少し陽気になるが、言動はしっかりしていて、記憶も残る。周りは安心して酒を勧め、佐和も喜んで飲むが、顔が赤くならずに、いきなり青くなるタイプだから油断できない。  俺は佐和の隣に座り、酒を注がれすぎないように、それとなく見張った。  皆が佐和に酒を注ぎたがり、隣に座って話し込む。姪は佐和の背中にくっつき、首に腕を絡めて離れない。  佐和は背中に手を回し、姪をあやして前後に身体を揺らしながら、皆の話し相手をしていた。 「サワ、今日は飲もう! とことん飲もう!」  そう言って隣に座り込んだのは妹で、佐和に酒を注ぎ、自分はウーロン茶をなみなみと注いだジョッキを持っている。 「呼び捨てにするな。佐和さんって呼べ」  俺がたしなめるのを、佐和はまぁまぁと笑い、小さく首を傾げて妹を見る。 「親しみを込めて呼んでくれてるんだもんね?」 「サワ、わかってるじゃーん! かんぱーい!」  佐和に笑顔を見せる妹は、俺に向かって舌を出し、舌を出し返している俺を見て、佐和は笑いながら妹と俺の両方と乾杯をした。 「サワ、合コンしよ? めっちゃ可愛い女子高生集めるから!」  妹の誘いに、佐和は爽やかな笑顔を返す。 「いいけど、僕が合コンのセッティングしたら、お兄さんを一緒に連れて行くよ?」 「えー、お兄ぃは勘弁!」  俺は意外な気がして、佐和の顔を見た。 「佐和、合コン行くのか?」 「んー、まぁ。セッティング頼まれて、断れないときもあるよね……」  佐和は言葉を濁し、妹はわかったような顔をする。 「彼女さんがセッティングするときは、一緒にやるしかないですよねー。彼女さんだけ合コン行かせられないから、自分も行かなきゃ」  妹の言葉に、佐和は「そうだね」と微笑んだ。  佐和にも独占欲や嫉妬はあるのか。合コンへ行く、行かないでケンカしたり、不機嫌になったりすることがあるのか。 「サワの彼女って、どんな人?」  俺の問いには答えないくせに、妹にははっきり答えた。 「しっかりした人。同い年だと、女性のほうが精神年齢高いよね」  ふわりと笑う姿に、俺は日本酒をひと息にあおった。 「お兄ぃは、サワと違ってモテなそう」 「んあ? ホスト舐めんな」  妹と俺がメンチ切っているのを見て、また佐和がとりなす。 「周防はすごくモテるよ。皆が紹介してってうるさいから、今はもう『直接、周防と話して』って断ってるくらい」 「お兄ぃ、顔だけはいいからねー」 「顔がよくて何が悪い? 顔がよければ上等だろうが」  とうとう姉が割って入ってきて、佐和に酒を注いだ。姪はいつの間にか佐和のあぐらの中にすっぽり納まり、佐和に世話してもらいながらエビフライを食べている。 「周防は、顔もいいけど、人間性も素晴らしいよ。真摯で、情熱的で、勤勉で、謙虚で、優しさにあふれていて、尊敬する。僕にないものをたくさん持っていて、惜しまずに教えてくれる。僕は周防と一緒にいると、本当に楽しい。本を読んでいるみたいにいろんな世界を知ることができて、わくわくするんだ」  佐和の笑顔に、俺たちきょうだいはまた息を呑んだ。姉が一番最初に息を吹き返し、笑顔になる。 「弟を褒めてくれてありがとうねー」 「本当のことです。……周防、いつもありがとう」  まっすぐな笑顔を向けられ、顔が熱くなったのは酒のせいだと心の中で言い訳しながら頷くような会釈を返した。 「こちらこそ」  姪は口の下に差し出された佐和の手に、ぽろぽろと桜でんぶをこぼしながら、太巻寿司を三切れも食べた。 「たくさん食べて、偉いなぁ!」  たくさん褒められてはにかんでいたが、あくびをして、手の甲でしきりに目を擦り始めた。 「もう寝る時間だ」  姉の夫が抱きあげようとしても、姪はいやいやと首を横に振って、佐和の胸に抱きつく。  佐和は丁寧に髪を撫で、優しく肩を叩いて話し掛けた。 「今日は僕とたくさん遊んでくれてありがとう。楽しかったね。今夜はどんな夢を見るかな? 明日、どんな夢を見たかを僕にお話しして。ね?」  姪は佐和の話に頷いた。 「サワ、明日も遊べる?」 「うん。遊べるよ。さねおみの部屋で寝てるから、明日の朝、起こしにきて」  指切りをして、佐和はほっぺに姪からのおやすみのキスを受け、おやすみと手を振った。  俺は座卓に頬杖をつき、横目で佐和を見た。 「女たらし」  うっかり恨みがましい声が出てしまったが、佐和はおかしそうに笑った。 「誰のことでもたらしちゃう周防にそう言われるなんて、僕、すごいね」  家族がそれぞれに会話を始めたところで、俺は佐和の肩を人差し指で軽く叩き、縁側から家の外へ連れ出した。  厚手のパーカーを着せ、懐中電灯を点ける。 「砂利道だから、気をつけて」  そう言い訳をして佐和の手を握った。俺たちの体温はいつも近くて、重なった手のひらがすぐに馴染むのを感じる。

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