73 / 172
【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(7)
砂利道を歩き、赤い橋を渡らずまっすぐ行くと、小高い山がある。鳥居をくぐり、石段をのぼって、小さなやしろを回り込むと視界が開ける。
「遠くに街の灯りが見えるね。木のシルエットがきれい」
下界ばかり見る佐和の肩を人差し指で叩いて、頭上を指差した。
「……う、わ……ぁ」
佐和は空を見渡してから、俺の顔を見て言った。
「プラネタリウムみたい!」
都会育ちらしい感想だなと思うあいだに、佐和は再び顔を上げて空を見渡している。
「ふわふわする。空へ落ちていきそう」
俺は佐和の背後にぴったりくっついて立った。
「俺に寄りかかって」
佐和の肩を掴んで引いて寄り掛からせ、腰に両手を回してホールドした。
「ねぇ、周防。まさかと思うけど、あの白っぽいもやもやしてるのって天の川?」
「ああ、天の川だ」
「すごーい! 宮沢賢治が『乳の流れたあと』って書いたやつ。不思議。僕、今、宮沢賢治が見たのと同じ天の川を見てるんだね……怖いくらいの迫力」
腰に回している俺の手に佐和の手が不安そうに触れて、俺たちはミルフィーユのように互いの手をしっかり重ねた。
「佐和、天の川を見るのは初めて?」
内緒話をする必要はないのに、耳に口を寄せて訊いた。
「うん。僕、本当に何も知らないね」
佐和の声も小さくぽつんとしている。
「これから知ればいい。ずっと俺と親友でいてくれるんだろ。俺が知ってることでよければ、全部佐和に教える。俺が知らないことは、佐和が教えてくれるんだよな?」
「もちろん!」
佐和は笑顔で頷き、また星空を見た。
「星座もわからないくらい、たくさんの星。本当はこれだけの星の光が長い時間を掛けて地球に届いてるんだね」
俺は佐和に懐中電灯を持たせた。
「どこか佐和の好きな星へ光を送ったら、いつか届くかも知れない」
佐和はたくさんの星の隙間から、小さなひしゃく型の北斗七星を見つけて、懐中電灯を向けた。
「こぐま座とおおぐま座のしっぽが長いのは、神様が天へ上げるとき、しっぽを掴んで投げて、伸びちゃったからなんだって」
「荒っぽいな」
「ね。……ねぇ、周防。僕たちはあっという間なんだね。光が北極星に届く頃には、どこにもいない」
「神様にお願いして、一緒に天に上げてもらう? 一緒に星座になろうか」
佐和は首を横に振った。
俺はしまった、ロマンチックなことを言った、しかも重い内容だったと後悔したが、佐和は重ねている手に少し力を込めた。
「時間がいくらでもあるって思ったら、僕は油断して、何もしないと思う。一緒に星座でいられると思ったら、周防と親友でいるための努力も忘れそう。限りある時間を使うから価値があって、楽しいんじゃないかな」
佐和の髪の匂いを嗅ぎながら、俺は頷いた。
「じゃあ、一緒に核融合反応して光ろうか」
「いいね。一緒に白色矮星になるまで。ブラックホールかな?」
「面白いことをたくさん引き寄せよう」
頷きあって、冷えた手をしっかりつないで家に帰った。玄関から入ってまだ盛り上がっている居間を通らずに自分の部屋へ行く。
何の変哲もない和室だが、一部の壁がターコイズブルーの漆喰で塗られていて、子ども部屋らしく見える。
「お疲れ様。ずっと話し掛けられて、疲れただろ」
「ううん。楽しかった。ご家族は皆、周防みたいに話しやすくて、たくさんお話しできて嬉しかった」
「またいつでも遊びに来て」
「うん」
布団をふた組敷いて、並んで寝る。明かりを消して天井を見上げたが、自分の部屋なのに妙に落ち着かない。
佐和も掛け布団を抱いて、左右に寝返りを繰り返していた。
すぐそこに佐和がいるから緊張するのか? いつもなら?
俺は理由に気づいて、自分の布団の端を少し捲った。
「佐和、こっち来る?」
「うん」
佐和はすぐに俺の布団に転がり込んできた。内側になる腕を佐和の首の下へ差し込むと、俺たちは落ち着いた。
「僕たち、こうやって寝るのがクセになってるね」
佐和は俺の腋窩へ鼻先をつっこみながら、もごもご言った。
「普段、ベッドはひとつしかないからな。ああ、落ち着く」
黒髪の中へ手を突っ込み、匂いを嗅いで、俺たちはすぐ眠りに落ちた。
いつもなら眠ってしまえば寝返りを打ち、好き勝手な方向へ身体を向けるのだが、明け方に冷え込んで、佐和を抱き寄せた。
佐和の頭と手が俺の胸に乗せられ、布団の内側で足が絡む。佐和の匂いと体温を心地よく感じながらまどろんでいたら、突然襖が開いた。
「勝手に開けちゃダメ!」
姉の慌てた小さな声が聞こえてくる頃には、姪は俺たちの枕元にいた。
「サワ、おっきよー!」
俺は頭だけを浮かせ、姪に向かって唇の前に人差し指を立てる。
「まだ佐和は寝てるから、静かに」
胸の上に頬を押しつけている佐和の顔を見るため、姪も俺の腹に頬をくっつける。
「サワ、寝てるねっ。ねぇ、さねおみ。サワはいつ起きるの?」
「8時くらい?」
スマホのバックライトを点灯させ、赤い乗馬ジャケットに黒いヘルメット姿の佐和とニーケー号の画像と一緒に表示される時刻を見る。
「まだ6時前か。起きるの早すぎだろ」
「あっ、お馬さん!」
俺のスマホめがけ、姪が佐和の身体の上に乗った。佐和の頭は抱いて守ったが、さすがに佐和も目を覚ます。
「ああ、おはよう。たくさん寝た?」
まだはっきり開かない目を細め、姪の頭を撫でてから、俺のシャツに顔を擦りつけて起き上がる。黒髪は俺が手を突っ込んでいたせいで根元から浮いて、四方八方に跳ねていた。
「佐和くん、ごめんねぇ」
部屋の入口から、姪を呼び戻していた姉が申し訳なさそうな声を出す。
「平気です。さねおみの部屋で寝てるから、起こしてってお願いしたのは、僕だもんね」
佐和はスマホを持っている俺の手ごと、自分のほうへ引き寄せた。
「まだ早くない? もう少し寝なくて大丈夫? こっちの布団空いてるから、一緒にごろごろする?」
姪は素直に佐和の布団に寝て、佐和は姉に向かって「お預かりします」と、まだ眠そうな顔のまま微笑んだ。
「夢は見た?」
佐和は上半身だけ隣の布団に寝て、姪に話し掛けている。俺は佐和の腰に腕を絡め、Tシャツがまくれた背中に頬をくっつけてうとうとした。
そのまま二度寝をしたらしい。
「そろそろ起きて。朝ごはんにしましょう」
襖の向こうから母親の声がして、布団から飛び出した姪が「ばあば!」と勢いよく襖を開けた。俺はうつ伏せに寝る佐和の背中に覆い被さって寝ていて、目を開けた瞬間に母親と目が合う。
「うう……起きる。起きます」
今度は俺が佐和のシャツに顔を擦りつけ、目を覚ましてから、上体を起こした。
「ん……あ、おはようございます」
佐和も起き上がり、さりげなく布団の端を自分の腰にたぐり寄せて、母に向かって頭を下げた。
ともだちにシェアしよう!