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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(16)

 約束通り、次の日曜日に佐和家の庭でバーベキューをした。  前日に食材を調達し、下ごしらえをして、当日は朝からテラスにクーラーボックスを置き、氷水を用意して飲み物を入れた。  お姉ちゃんは、俺がバーベキューの話題を出したその場で古都を誘い、本人も乗り気だったが、前日になって欠席の連絡を寄越した。  佐和が嫌がったんだろうことは、容易に想像がつく。だからって、姉の友だちなのにキャンセルさせるのも、やり過ぎじゃないだろうか。 「せっかくの楽しいイベントだし、今から彼女も呼べば?」  つきあっている相手の素性は知らないふりで、佐和に直球で話してみたが、バーベキューコンロを組み立てながら、佐和ははっきり不機嫌になった。 「何それ。そんな人、僕にはいないけど」 「別れたのか」 「僕のプライベートに入ってこないで欲しい!」  落雷のような剣幕に、俺は慌てて謝った。 「ああ、ごめん」 「違う。周防のことじゃない。周防と僕は、互いのプライベートにどっぷりだろ」 「はぁ」  では、誰のことですかと問う前に、佐和はすうっと息を吸った。 「だいたいさぁ! 何で女性って、付き合いが長くなってくると、僕の友だちに紹介してほしいって言い出すの? 周防に彼女を紹介してどうなる訳? ただぎこちなく挨拶をして、ひたすら周防に気を遣わせるだけじゃない? もし僕じゃなくて周防とつきあいたいなら、最初からそうすればいいじゃん!」 「それは、俺とつきあいたいという意味ではないのでは……」 「わかってるよっ。言葉のアヤ! 僕の親に挨拶したいとか言い出すのも、訳わかんない。彼女の親が心配して、相手の男を連れてこい、親にきちんと『おつきあいさせてください』って挨拶しろって言うのはわかるよ。でも僕の親は僕の彼女に会いたいなんて、一言も言ってない! 周防だって冗談で言うことはあっても、本気で彼女に会わせろなんて言わない。僕が彼女を紹介したくないってポリシーを尊重してくれてる。だいたい、結婚するつもりもないのに、僕の家族や親友に会ってどうするの? 僕に結婚願望がないだけで、本当は向こうは結婚したいから、外堀を埋めたいってこと? そんなあざといのは、もっと嫌だよ!」  佐和は組み立て終えたバーベキューコンロに山ほど炭を入れ、着火剤を使って一気に火をつけてうちわであおぎ、俺は煙の直撃を食らってまばたきをした。 「それに、僕の服だって! 僕は必要だと思えば自分でハンガーに掛けたり、たたんだりできるよ。旅館やホテルの布団だって、使ったあとはある程度整えるのがマナーだと思うから、それだって自分でやる。先回りして全部やった挙げ句に、何もできないガキ扱いされるって、どういうこと? 僕は年下だけど、自分の事は自分でできる! ままごとの人形じゃない! ……ああ、今回、僕は年上とつきあってたんだけどねっ」  年上とつきあってたことは知ってます、錠前のネックレスで気づきました、とも言えず、タオルで口許をふさぎ、炭を組み直しながら「はぁ」と間の抜けた相づちを打った。 「たった3年だよ? たった3年の人間に、僕はそんなに根気よくつきあえない!」  盛大なため息をついて、佐和は冷やし始めたばかりの缶ビールを取り上げ、勢いよくプルタブを引いてごくごく飲んだ。  俺もホイルに包んだじゃがいもと玉ねぎを仕込み、同じように缶ビールを開け、佐和の隣で飲んでから、質問した。 「で、3年って、何? 転勤の予定でもあったのか」 「違う。恋愛の賞味期限だよ。フェニルエチルアミンっていう、相手を見てときめく脳内ホルモンは、最長でも3年程度しか分泌されないんだって。だから恋愛の賞味期限は3年!」 「なるほど、3年。意外に短いんだな」 「だろ? たった3年しか恋愛しないってわかってる相手に、プライベートまで踏み込んでこられたり、結婚とか、将来とか匂わされるの、嫌じゃない?」 「でも、恋愛しながら、この相手とのあいだに将来結婚の道があるかどうかを探るんだと思うし、シミュレーションはあってもいいんじゃないか」 「僕の恋愛の先に、結婚はない!」  そう言うと缶ビールを飲み干して、缶チューハイをあけた。  俺も缶チューハイをあけて飲んでから、首を傾げた。 「どうしてそんなに断言できるんだ? 佐和は、結婚に憧れがないのか?」 「あるよ! 僕の両親は仲睦まじいし、周防のご両親も笑顔で会話をされていて、いいなぁって思う。そして、おじい様とおばあ様のお話には、本当に心を打たれた」 「全員、恋愛結婚だぞ? 3年で終わっているようには見えないけどな?」 「皆、親友だもん!」 「は? 夫婦だろ?」 「夫婦って、恋愛してセックスする親友だろ。何十年も一緒に生きるなんて、ただの恋愛なんかじゃとても無理。親友だからできるんだ。親友は一生のつきあいだ」 「はあ。夫婦は親友……その考えはなかったな。俺と佐和も結婚して夫婦になれるってこと?」  ちょっと期待を込めて訊いてみたが、佐和はあっさり首を横に振った。 「周防と僕のあいだには、恋愛とセックスがないだろ」 「おっしゃるとおり」  缶チューハイをひと息にあおって、吐き出す炭酸ガスにため息を紛れさせる。  佐和はチューハイの缶を両手で包み込み、ゆっくり言った。 「でも、僕は、周防を超える親友なんて、見つけられないと思う。だから恋愛はしても、結婚はしない。できない」  庭の入口にあるオリーブの木が陽の光を浴びる姿を見て、眩しそうに目を細めた。 「ありがとう。俺も、佐和しかいない」  心を込め、本心で言ったのに、佐和は小さく嗤った。 「周防は、結婚できそうな気がする。僕は周防の恋愛にはノータッチって決めてるから、手伝ったりはできないけど。でも、僕ともずっと親友でいてね」 「もちろん」  佐和は立ち上がると家の中へ入って行ってしまい、入れ違いにお姉ちゃんが出てきた。 「朔に、これを周防のところへ持って行ってって言われたんだけど。どこに置けばいい?」  下ごしらえした肉を入れたバットと、バーベキューソースが入った密閉容器を持っていて、俺は慌てて立ち上がった。 「ありがとう。俺のバーベキューソース、味見した?」 「まだ」 「上手くできてるはず……うん、美味い。お姉ちゃんも味見して」  スプーンの先にほんの少しすくって、お姉ちゃんの口に入れてあげた。 「美味しい! 何が入ってるの?」 「さて、何でしょうか? 全部当てたら、俺のワッチキャップあげる」  俺はお姉ちゃんに向けて頭を傾け、ワッチキャップを見せた。先日お姉ちゃんに貸してあげたワッチキャップだ。 「本当? 玉ねぎをすりおろしてたのは見かけたのよね。あとはにんにくと、ケチャップと、ウスターソース、お醤油も入ってそう。甘いのはお砂糖かな? 合ってる?」 「全部合ってる。けど、ひとつたりない。砂糖のほかに、みりんを少々」 「みりん! 甘さがべたべたしすぎないのは、みりんの効果かな」 「そう。いいレシピだろ?」 「周防くん、バーベキューソース大臣に任命!」 「恐悦至極。謹んで拝命致します」  お姉ちゃんに拍手をもらい、俺は手を胸にあててお辞儀をした。 「みりん以外は全部当たったから、キャップはあげないけど、タグに『リリカ』って名前を書いて、使いたいときは勝手に使っていいよ」 「やったー。さっそく書いちゃおう」  家の中から油性ペンを持ってきて、俺の頭からワッチキャップを脱がせ、内側の洗濯表示タグに『リリカ☆』と書き込んで、自分の頭にかぶる。  サッシ窓に自分の姿を映して髪を直し、俺のほうに向き直った。 「ほら、やっぱり! 周防くんより私のほうが似合う!」 「それは認める。みりんを当てられなかったから、あげないけど」  ダッチオーブンを仕込みながら、俺はお姉ちゃんにさっそく報告した。 「佐和が、俺と一生親友でいてくれるって。恋人とは別れても、俺とは別れないでいてくれるらしい。とにかく佐和にとって、俺が一番だということはわかった」 「そっか。よかったね」 「佐和と恋愛できなくても、そんなのは些細な悩み。俺は幸せ」  佐和はなかなか戻ってこず、結構長い時間、俺はお姉ちゃんとふたりで好きな音楽をスマホから流し、飲んだり味見したりしながら、バーベキューの準備をした。  それがまさか、俺がお姉ちゃんに弟扱いされながら片思いしていると思い込んだ、佐和なりの気遣いだったとは、俺もお姉ちゃんも、まったく気づかなかった。

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