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【番外編】佐和が運転免許試験場に行きたい理由

 ホワイトデーのお返しが多すぎると佐和は笑うが、ちょうど佐和が見たがっていた展覧会があったので、美術館デートをした。  佐和が展示作品を丁寧に見るあいだ、俺は佐和の横顔を丁寧に見て、どの美術品よりも佐和のほうが見応えがあるし価値があると再認識した。  そしてメインビジュアルに使われた作品が置かれ、混雑している展示室では、どさくさに紛れて手をつなぐことに成功した。  もっと嫌がられるかと思ったが、佐和のほうから、手のつなぎ方を恋人つなぎに変えてくれた!  生きていればいい事があるという言葉を実感する。俺は絶対、佐和よりも長生きする。佐和の手を最後まで握るのは俺だ。それにもし俺が先に死んで、佐和を悲しませたり、寂しがらせたりすることがあったら、それは不本意だ。佐和には一生笑っていてほしい。  近くのレストランで食事をして、饒舌に語られる作品の感想に相づちを打ち、美味しそうに食べる姿を鑑賞して帰路についた。  上野から万世橋(まんせいばし)に向けて中央通りを走り、途中、午後8時を過ぎていたからいいだろうと思って転回したら、直後に鋭いサイレンの音が鳴り響いた。  植栽の陰から白バイが出てきて、思わずバックミラーを二度見する。 「えっ、俺?」  前に回り込んできた白バイの誘導に従って、ウィンカーを左に出し、ハザードを焚いて停止した。  窓を開けると、朗らかな声で話しかけられる。 「はい、こんばんは。お急ぎのところ、すみませんね。運転手さん、ここねぇ、転回禁止なんですよー」 「午後8時を過ぎてますけど?」  ヘルメットをかぶった白バイ隊員は一応同情的な声を出す。 「上野駅前交差点から万世橋交差点まで、終日転回禁止になったんですよ」 「はあ? いつから?」  そんな話はまったく知らなかったので、声が裏返った。 「今月の10日からなんですよー」  年度末に標識取っかえて荒稼ぎしてるんじゃねぇぞ! これだけ国庫に納めてんのに、まだ払えってか!  俺はこの理不尽を許せなかったが、助手席の佐和はくすくす笑って許している。 「事故を起こす前に、ルールの変更を知ることができてよかったね。はい」  差し出してくれた手のひらを、パチン! と一発叩いて気持ちを切り替え、免許証を提出した。 「今回こそゴールドだと思ってたのに!」  切符を切られ、仕事の合間に銀行の窓口で罰金を支払い、一度は忘れかけたものの、誕生日前の更新案内で再び悔しさを思い出す。  免許の更新などという面倒な手続きは、なるべく回数を減らしたい。悲劇のビデオを鑑賞する時間だって、ゴールドなら30分で済むのに! 「いい加減、飽きないか?」  休日の混雑を避け、平日の午前中に手続きに来たが、それでも午前中いっぱいはかかる。  それなのに佐和は一緒に午前中のスケジュールを空け、今回の更新もついてきて、視力検査の列に並ぶ俺の隣でニコニコする。 「周防だって、美術館に一緒に行ってくれるじゃん」 「美術館みたいに見るものがないだろう」  佐和は小さく息を吸って口を開きかけたが、黙ってちょっとだけ微笑んだ。 「ん? 何か言いかけた?」  佐和の口許に耳を近づけたが、佐和は一歩引いて距離をあけ、首を横に振った。 「あとで」  そのあともずっと佐和はニコニコ機嫌よくしていたが、待たせてばかりの俺は気が気じゃない。 「講習、1時間かかるぞ? 大丈夫か?」 「うん。建物の中を探検して、クリームソーダを飲んで、本を読んで待ってるから平気。もし我慢できなくて、ピーポくんのぬいぐるみを買っちゃってたら、ごめんね」 「そんなの、買いたければ買えばいいけど」 「うん。じゃあね」  笑顔で手を挙げる佐和に、手を挙げて応えて、俺は講習室に入った。  一応、講習中はおとなしくしておくべきかと、スマホは封印して教官の話を聞き、配布されたテキストに目を通し、のんびり佐和のことを考えた。  昨日のセックスもエロくて気持ちよかったな。佐和は照れてベッドにうつ伏せていたくせに、もっと誘ってとねだったら、横向きに寝そべって片膝を抱え、ヒクヒクとうごめく蕾を見せてくれた。そのくせ俺が誘われて舌を這わせたら、舐めるのはダメと怒って、俺は押し倒され、騎乗位で佐和にコントロールされた。  車の中でヤりたいって言ったら、ドン引かれるかなぁ。軽い冗談で打診してみるのはアリだろうけど。助手席を倒し、快感を得るために必要な場所だけを最低限露出した佐和は、きっとめっちゃくっちゃにエロい。そして佐和が感じてくれたら、俺は大興奮して、佐和がイキまくって泣くまで乳首を舐めるし、何も出なくなるまで全力でフェラをする。  どうしてこうもエロい妄想は限りがなく、時間はあっという間に過ぎ去るのか。高校生の頃、よく友人たちと、エロには時空を歪める魔法の力があるに違いないと話しあったのを思い出す。  その頃は佐和と出逢うなんて思っていなかったし、ましてや結婚するとも、結婚指輪をつけて無意識のうちにその指輪を触るくせがつくことも、想像していなかった。  自分の左の薬指を見て嬉しく思ったときにちょうど講習が終わり、ハンコをもらって講習室を出た。  探すまでもなく、目の前に佐和はいて、照れくさそうに笑いながら、ピーポくんが透けて見える手提げ袋を掲げて見せた。 「鮫洲通い12年目にして、とうとう買っちゃった」 「いいんじゃないか。ピーポくん、ようこそ」  ぬいぐるみを抱えて困ったように笑うビジネススーツ姿の三十路男と、たった1時間ぶりに再会するだけで、こんなに胸が高鳴るなんて。抱き締めてキスしたい衝動を我慢して、免許証を受け取り、車に戻った。  ランチはいつものイタリアンレストランへ行こうか、と提案しかけたとき、佐和が不意に口を開いた。 「あ、そうだ。何で僕が免許の更新についてくるのが好きなのかって話なんだけど」 「ああ」 「仕事からも日常からも切り離されて、集中して周防のことを考えていられるから……かなーって。見るものがないって周防は言ってたけど、周防のことをずっと見ていられるし、周防のことを考えて過ごす待ち時間も、その……いいかな……って」  佐和の声はだんだん小さくなり、顔はうつむいていって、膝の上のピーポくんに向かって、「ね?」と話しかけた。  佐和の照れは俺にも伝染し、頬が熱くなるのを感じながら、でも自分の気持ちを伝えたいと思って、頑張って口を開いた。 「キスしていい?」 「うん……あ、やっぱりダメっ!」  車の前を人が通り、俺の口にはピーポくんが押しつけられた。  昼休みになり、街を歩く人が増えていて、キスするタイミングはなさそうだった。  ふたりで顔を見合わせ、イタズラに失敗した悪ガキみたいに照れて、決まり悪く笑う。佐和が外からは見えない低い位置で、俺の手に自分の手を重ねる。 「ねぇ、周防。新しい免許証を見せて」 「今回もケンカ売ってるぞ」  目つきの悪い証明写真つきの新しい免許証を手渡すと、佐和は目を細めた。 「周防眞臣、いい名前! (まこと)にのみ従う人となりますように、おじい様のネーミングセンス素晴らしい! 写真も迫力があってカッコイイよ。こんなにまっすぐ見つめられたら、ちょっと照れるけど」  佐和は免許証を俺に向けて差し出したが、そのときふっと免許証が佐和の顔の前を通り、写真に佐和の唇が触れた気がした。  アクシデントなのか、キスなのか、わからないくらいの接触だったが、佐和は助手席のドアに頬杖をつき、窓の向こうを見たまま振り返らないから、これはきっとキスなのだろう。  俺は佐和の手に心を込めたキスをしてから、免許証を受け取った。

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