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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(50)

 佐和の日報を読み返したら、内容が更新されていた。明日の朝イチで動かせなかったはずのアポが、夕方に済まされている。スケジュールもリスケされていて、明日の午前中はフリーになっていた。 「今夜から明日の午後までフリーってことか」  もし佐和が、このアポの変更を朝から知っていたのなら、出勤前に品川駅のコインロッカーにスーツケースを預けておけば、仕事帰りにそのまま空港へ向かえる。  古都と連絡をとれば、一夜を共に過ごすくらいできるだろう。  そこまで考えて、俺は強く頭を振る。 「落ち着け、眞臣(さねおみ)! 明日、佐和に会えば、すべて解決する。自分の名前を思い出せ! まことにのみ従う者であれ!」  はっきり声に出して自分に言い聞かせた。  眞臣の眞はまこと、臣は臣下、従う者。  命名してくれた祖父に感謝しながら、両手で自分の頬を挟むように叩く。 「何か、何か、別の集中できるものはないか」  手持ちの本を開けば、そこには佐和が引いた青色の傍線があり、動画配信のアプリを開けば佐和からのリコメンドが表示され、音楽アプリには佐和のプレイリストがあって、ハンカチには佐和の香水を吹きつけてある。  スマホのロック画面すら、海を飛ぶように泳ぐ佐和の姿だ。 「佐和がいない世界なんて考えられないのに、佐和と両思いの世界は考えていなかったからなぁ」  ふたたびベッドに倒れ込み、結局、スマホで佐和の写真を眺めて過ごす。  どれもこれも、俺が一方的に佐和を大好きだと思いながらシャッターボタンを押した写真だ。 「俺、本当に佐和と両思いなのか? 結婚するのか?」  ぎゅうぎゅう自分の頬をつねっていたら、スマホが鳴動した。  佐和に検索され、すぐに電話がかかってきた。俺は飛びついて通話ボタンを押す。 「佐和っ?」  前のめりな俺の声にも、佐和はいつもどおりの爽やかな声だ。 「ごきげんよう、周防。お疲れ様……っと、すみません……肩がぶつかっちゃった」  佐和は歩きながら話しているらしく、声が上下に揺れていて、その向こうには賑やかな人々の話し声や行き交う車の音が聞こえる。 「外にいるのか」 「うん。明日の朝のアポが、今日の夕方に変更になったんだけど、話し込んじゃってさ。会社を出るのが遅くなっちゃった」 「日報を見た。いい内容だったみたいだな」  佐和と仕事の話を始めた途端、いつもの自分を取り戻す。長年の習慣で、仕事の話になったら気持ちが切り替わるようになっているらしい。まったく波立たない自分の心に我ながら驚く。 「今回は、これから活躍してほしい人を中心にメンバーを選抜しようって話になって、先方も乗り気だった」 「それはよかった。こっちも初日からいい手応えだった。太宰さんに会ったから、会食の予定を入れたぞ」 「うん。スケジュールを見たよ、ありがとう。そういえば今朝、太宰さんと品川駅ですれ違ったんだけど、気づいたときには距離が離れちゃって、挨拶し損ねちゃった」  佐和からその話題を振ってくるとは思わず、心臓が一瞬硬くなった。なるべく平静を保とうと、強引に口角を上げて柔らかな声を作る。 「ああ、太宰さんも気づいていたみたいだ。スーツケースを持って歩いている佐和の姿を見たと言っていた」  佐和が隠すのか、誤魔化すのか、白を切るのかと怯えたが、返事はあっさりしたものだった。 「そうそう。出勤前にアポの変更がわかったから、会社に行く前に駅に寄って、スーツケースをコインロッカーに預けたんだ」 「何で? 出発は明日だろう?」  少し緊張しながら訊いたが、佐和の声は甘く響く。 「だって。スケジュールが空いたら……会いたいじゃん」  誰に、と訊くより先に、部屋のチャイムが鳴った。そのチャイム音はスマホからも聞こえてくる。 「え?」 「ねぇ、周防。会いたいよ。ドアを開けて」  耳許に囁かれて、俺は息を飲んだ。もう一度チャイムを鳴らされて、俺は半信半疑のままドアを開ける。  目の前には髪をオールバックに撫でつけ、スリーピーススーツを着た佐和が立っていて、サファイアブルーのスーツケースと一緒に黙って押し入ってきた。 「佐和?」  背後でドアが閉まるのと同時に、佐和は俺に抱きついてくる。 「会いたかった」  俺の目は見開かれ、胸の中はときめきでいっぱいになって窒息しそうだ。なのに佐和にはカッコつけたい俺は、優しく佐和を抱き締め、甘く深い声であやした。 「今朝まで一緒にいただろう」 「朝からずっと離れてた。気づくと周防のことを考えてた。僕、こういうロマンチックなことは苦手なんだけど、たまにはいいよね?」 「たまにはなんて言わず、毎日ロマンチックでいてくれ」  佐和は照れ笑いをした。 「僕ばっかり、こんなにロマンチックな気持ちで恥ずかしい」 「俺なんか、佐和と出会った日からずっとロマンチックだ。ロマンチックな俺はカッコ悪い?」 「ううん。大好き」  俺は微笑みながら顔を傾け、うつむく佐和の顔の下へもぐりこんで、キスをしながらすくい上げた。やわらかな唇同士がふわふわと触れ合って、心臓の中心まで温かな血液が流れ込む。  口を離し、真っ直ぐ見つめ合ったら、佐和の涙袋がふっくらした。  改めて佐和を抱き締め、耳に口をつける。 「洗って食べたい」  佐和が頷いたので、さらに言葉を付け加えた。 「洗いながら、つまみ食いするかも」  小さく笑った佐和は、俺の耳に口をつける。 「つまみ食いって美味しいよね。たくさん食べて」  バスルームになだれ込み、唇の形がねじれて歪む強いキスをしながら、手探りでシャワージェルのボトルを掴む。佐和の口の中へ自分の舌を押し込んで食べさせながら、キャップを切り、ノールックパスでボトルごとバスタブに放り込んで、カランの栓を最大まで開けた。  攻守交代、今度は佐和が舌を差し込んでくる。俺はその舌を果汁が滴るフルーツのように音を立ててしゃぶりながら、佐和の服を脱がせ、自分の身体からも布をすべて剥ぎ取って、俺たちはまだ水位の低いバスタブに飛び込んだ。  イランイランの香りと泡にまみれ、キスは一層激しくなった。佐和がシャワーの栓をひねって、俺たちは土砂降りの雨の下でカルキの味がするキスを続けながら、相手の髪を両手でかきまわす。  充分に髪が濡れるのを待てず、強引にシャンプーを塗り広げて髪を洗い、ようやく水位が上がってきた泡風呂の中で、互いの身体を愛撫しながら洗って、キスの合間に喘いだ。  泡の下で互いの昂りを探り当て、指を絡め、手の中に包んで撫で回す。見つめ合いながら目を眇め、熱く短い息を吐く。 「あっ……ダメ……僕、イキそう」 「俺も」  俺は佐和の腕を掴んで立ちあがり、佐和を壁際に追い詰めた。壁に背中をつけて立つ佐和の前にぴたりと立つ。さらにバスタブのふちに片足を掛けて、佐和の退路を断ってから、ふたりの屹立をまとめて握った。 「うわ、エッチ」  見下ろして呟く佐和の顔をのぞきこむ。 「エッチなことは、嫌いだっけ?」 「ううん、好き。周防とするエッチなことは大好き」  頬を赤く染めてうつむく佐和とごっつんこして、至近距離で相手を上目遣いに見る。目が合うだけで、手の中にあるふたりの芯は硬度を増した。 「続けていい?」 「ん。僕も一緒にする」  手を重ねて、キスを交わしながら上下に動かす。そのうちに佐和が手のひらで先端を撫で回し始めて、側面と先端の両方からの容赦ない刺激に腰が熱くなった。 「すおう、きもちいい……もう……」  言葉を紡げず、俺に向けて首を左右に振って見せる。俺も頷いた。  一気に速度を上げて、高みを目指した。電気のような快感が血流に乗って全身をめぐり、蓄積されていく。苦しさをキスで紛らわせ、波の到来を待った。 「あっ、いく。すおうっ、いくっ」 「俺も……佐和っ」  鋭い快感が腰を貫き、全身を震わせた。数回に分けて放たれた白濁は混ざり合い、どちらのものともわからなくなって、ふたりの手を伝っていった。  しばらくは荒い呼吸だけがバスルームに響き、それから互いに上目遣いで相手を見て照れ笑いを交わした。  バスタブの栓を抜き、身体とバスタブから泡を流し、ミスに気づいた。 「水浸しだ」  シャワーカーテンを引くのを完全に忘れていた。脱ぎ捨てた佐和のスーツが濡れている。 「もう1着、持ってきてるから大丈夫。明日の朝、ランドリーサービスに出せば夕方には仕上がるよ……そんなことより」  佐和は俺を壁際に追い詰め、バスタブのふちに片足を掛けて逃げ道を塞ぎ、俺の耳に口を押しつけた。 「ねぇ、もっと僕を食べたいって思わない?」  俺はぞくぞくとした快感に目を閉じて、正直に答えた。 「思います」 「正直だね。早くベッドに行って、僕をどうやって料理するか考えていて」  ふうっと耳に息を吹きかけられて、俺は操り人形のように頷き、バスルームを出た。

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