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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(52)
トークセッションには、佐和とふたりで登壇した。
展示会場の角に扇形に用意されたスペースへ仮設ステージを組み、客席にはスタッキングチェアが並べられて、すでに満席になっていた。さらに内容は会場内各所のモニターや動画配信サイトを通して中継される。
ステージ上は人数分のスツールが並び、背景にスクリーンがあって、コーディネーターが操作するパソコン画面が映し出される仕組みになっていた。
俺たちが登壇するトークセッションは、起業に興味や関心がある人を対象に、事前に募った質問に答える形で進行する。近年は脱サラを目指す中年男性よりも、20代や30代の若い人や女性の起業家が多く、客席もその割合を反映しているように見える。
業歴10年程度の企業の起業家たちが集められて、業種は違っていても、顔を見れば気軽に挨拶できる同期のような顔ぶれだ。コーディネーターも起業前から俺たちを取材してくれている経済ライターで安心できる。
朝からエナジーゼリードリンクしか口にしていなかった佐和も、壇上ではむしろリラックスしてスツールに腰かけていた。
タイトに仕立てたスカイグレーのシャドーストライプのスリーピーススーツに、薄いブルーのワイシャツと、無地のネイビーブルーのネクタイを合わせて、爽やかに着こなしていた。腕を組んでマイクを持ち、すらりと長い脚を片方だけ床につけ、もう片方の足の革靴の踵を足置きに引っ掛けている。その姿を見た俺は、心密かになんと素敵な人なのかと惚れ直す。今度の誕生日は思い切りドレッシーな飴色のウィングチップの革靴をプレゼントしたい。
佐和はほかのパネリストの話に相槌を打ち、ツッコミを入れ、楽しそうに笑って、自分の意見や考えを述べている。
撮影は自由で、むしろSNSへのハッシュタグをつけた投稿が推奨されていた。俺も含め、どのパネリストもカメラを向けられてはいたが、佐和が笑顔になると、客席から雨後の竹の子のようにたくさんのスマホが出てくる。
いいなぁ、俺も佐和の写真を撮りたい。と思ったので、俺も自分のスマホを取り出して佐和の写真を撮った。気づいた佐和がレンズを見てくれる。涙袋がふっくらしていて、これは俺にしか撮れない写真だ。ハッシュタグをつけて投稿したら、普段の10倍の反応がついた。なるほど、これからはこまめに佐和の写真を投稿しよう。
佐和も俺の写真を撮って投稿していたようだが、SNSの反応を見るより先に質問が飛んできた。
「起業に絶対必要なものは、俺は情熱だと思います。夢のために突き進もうとする、強い気持ちがないと、途中で心が折れる。特に起業したての頃は、社長の情熱や人柄がストレートに会社の評価になるから、信頼を得るという意味でも、情熱は必須だと思う」
俺の答えに佐和も頷き、マイクを口の前に持って行った。
「僕も起業に必要なものは情熱だと思う。スタートアップの時点で資金が潤沢にある人は少ないと思います。自分たちの手許にあったのは、ほんの少しのお金と大きくて生意気な夢だけ。情熱がなければ何もできなかったと思います。もちろん情熱は、これからも持ち続けていきます」
佐和はしっかり顔を上げ、張りのある声で話す。また客席からスマホが出てきた。たしかに佐和の顔は輝いていて、ずっと見ていたくなる。
コーディネーターがスクリーンにグラフを映し、内容を説明する。
「会社を始めようと決意してから、実現するまでの時間を比較したグラフです。ひとりで立ち上げるよりも、ふたり以上のグループで立ち上げるほうが、実現までの時間が半分程度にまで短くなるという結果が出ています。そのことについてSSスラストをふたりで立ち上げた周防さんと佐和さんはどう思う?」
佐和の視線を受けて、俺が口火を切る。
「時間が短くなるかどうかはわからないけど、情報収集能力が倍になること、常に客観的・批判的視点を持って経営判断ができること、役割分担ができること、苦楽を共にできる人がいることは、とてもいいと思う。ただしパートナーに関しては、充分に吟味したほうがいい。俺はどんな人をビジネスパートナーにしたらいいかという質問をいただいたとき、『愛せるライバルを探せ』と言うんだけれど、自分にないものを持っていて、なおかつ尊敬できる、コミュニケーションがとれる人を選ぶべき。そういう人が見つからないなら、ひとりでやったほうがまだマシだと思う。佐和はどう?」
佐和は笑顔で頷き、マイクのスイッチを入れながら口許へ上げる。
「そうだね。『愛せるライバル』という周防の言葉は、僕もとてもいいと思ってる。そういう人がいるなら、一緒に起業するのもいいと思う。僕たちはたまたま親友同士で上手くいった希有なケースだけれど、『愛せるライバル』を見つけるのはとても難しい。だからふたり以上でやりたいときは、誰を口説くのか、自分の部屋に閉じこもって、頭から布団をかぶって、候補をひとりずつ吟味するくらいのことをしたほうがいい」
「佐和は、そんなことして俺を選んだのか」
初めて聞く話に、手を腰に、マイクを自分の顎につけたまま佐和を見た。
「僕たちは最初から一緒に布団をかぶって考えちゃったけどね。それは今も変わらない」
佐和は笑ってマイクのスイッチを切った。
コーディネーターが俺たちの話と、事前に受けた質問を合わせて投げ掛けてくる。
「『愛せるライバル』、ビジネスパートナーを見つけたとして、良好な関係を続ける秘訣はありますか?」
俺は即答した。
「コミュニケーションをとること。たとえば俺と佐和は、毎朝ミーティングをするし、共通体験と相互理解を得るために、いつも本や新聞の回し読みをしています。共通体験と相互理解を積み重ねていれば、議論も活発にできます」
佐和も頷いて言葉を続ける。
「僕たちは、性格も得意分野も違うから、コミュニケーションをとらなくなったら、すぐに相手のことがわからなくなる。だから、コミュニケーションは積極的にとるようにしてます。今、僕たちはまた学生時代みたいに一緒に暮らしてるんだけど、とても楽しい。寝落ちする瞬間までしゃべっているし、朝目が覚めたらすぐしゃべり出す。ずーっとしゃべってる。なかなかそこまでやらないと思うけど、それができるのが、僕たちの強みかなって思ってます」
今、佐和は『一緒に暮らしてる』と発言したか? と俺は脳内のレコーダーを早戻しして再生し直した。確かに言っている! 言っていいのか!
俺もびっくりしたが、コーディネーターも佐和の顔を見た。
「学生時代は佐和さんの実家で一緒に暮らしてるって言ってたけど、また一緒に暮らしてるの?」
「今回は実家じゃなくて、ふたりで部屋を借りてるけどね。また、一緒に暮らしてる。どっちがゴミ捨てに行くか、じゃんけんで決めたりして楽しいよ。でも、気をつけているのは向かい合わないように、同じ方向を見ること。サン=テグジュペリの言葉に『愛とは互いに見つめあうことではなく、共に同じ方向を見つめることである』というのがあるんだけど、それはこころがけている。そして……」
佐和は少し照れたように首を傾げてから、小さく息を吸ってマイクを口に近づけた。
「自分たちの会社でも、方針でも、商品でも、パートナーでも、判断に迷ったときは『本気で愛せるかどうか』っていうことを僕は考える。駆け落ちしてもいいって思えるくらい愛せるなら、突き進める」
「俺は愛されてるっていうこと?」
マイクを通して訊くことではなかったかも知れないが、思わずそう訊ねていて、佐和は顔を赤くして笑いながら、めちゃくちゃかっこいい声を出して
「そうだね。愛してるよ、周防」
と言い、おどけて俺に向かってウィンクをした。
俺は自分の顔が熱くなるのを感じながら、負けじと派手な笑顔をつくり、胸を押さえるパフォーマンスをして、会場にはたくさんの笑い声が渦巻いた。
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