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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(55)
出張先でのスケジュールは予定通りにこなし、東京での毎日の生活が再開された。
セックスはまだ俺が怖くてできずにいて、佐和を腕の中に抱いて愛撫して、遂げる姿を見守って満たしている。
「ほら、佐和の乳首は下から指先でくすぐられると弱い」
佐和は眉間に力を込め、顎を上げて身体を震わせる。
「あんっ、気持ちいい。すごい……周防、気持ちいい」
「つまむときは上下よりも、左右からつまむ。感じてきたら、強めにつまんであげる」
「あ、すおう……そんなにしないで……いっちゃう」
「いっていいよ。ほら」
強めにつまんだまま少し左右にねじると、佐和は容易く絶頂を迎えた。
「ああっ、すおう……っ」
全身を強ばらせてびくびく震え、息を吐きながら弛緩する。
「ほら、まだ油断しないで、佐和。平等に反対側の乳首でもいこう」
俺はローションをつけた指で佐和の胸の粒を捏ね、佐和は俺に身を委ねて快楽を追う。
ときどき募る快感が苦しくてキスを求めてきて、俺はキスに応じてあやしながら、指先だけで佐和を絶頂まで押し上げる。
「あっ……ああっ!」
俺にイキ顔を見せてくれながら遂げ、くったりと抱きついてくれる。
「気持ちよかった。いっぱいいっちゃった」
「まだ、もっとエッチで気持ちいいことがあるだろう」
俺は下腹部へ潜り込み、大人しくなっているものを口に含んで育てながら、後孔にゆっくりと指を侵入させて、触れる膨らみをそっと撫でる。
「前と後ろ、一緒なんて……っ」
「気持ちよくて、大好きだろう?」
佐和が素直に頷くのを確かめてから、口淫と愛撫を再開する。
ほどなくして佐和の先走りが口の中にあふれ、後孔の膨らみを軽く押すと、佐和は声を上げ、爪先を丸めて、腰を震わせながら射精した。甘く苦い味を一滴残らず味わって、行為は終わる。
「僕ばっかり気持ちよくて、ごめんね」
「ごめんじゃなくて、ありがとうがいい」
「ありがとう、周防。愛してる」
佐和には言えずにいたが、鉄さびのような臭いのするコールタールの感情は、まだ自分の中に残っていた。セックスをして欲と快楽に我を忘れたら、またあのコールタールが隆起してきそうな気がして怖かった。
そんな不安が俺をセックスから遠ざけていたが、日々の生活はいつも通りに巡る。
出社すれば、佐和と新聞を回し読みして互いの健康チェックをし、1日のスケジュールを把握して、「今日も1日よろしくお願いします」と握手をして仕事が始まる。
1日仕事をして、佐和は自分の仕事が終わったら容赦なく退社し、俺は取引先との会合を終えて、遅い時間にひとりでレジデンスに帰宅した。
防犯の都合上、駐車場から住居フロアへは直接行くことができず、コンシェルジュが控えるフロントの前を歩いてエレベーターを乗り換えなければならない。
「周防様」
コンシェルジュに呼び止められて、一通の手紙を差し出された。
「こちらのお手紙が、前のお部屋のポストに間違って投函されていたようです。今の住人の方が気づいて、届けてくださいました」
白封筒に太字の万年筆で、以前住んでいた部屋番号の住所と、周防眞臣様と宛名が書かれていた。郵便番号のアラビア数字を読みやすく正確に書く几帳面な文字に、胸騒ぎがする。
裏を返したら、住所もフルネームもきちんと記されていた。光島の名前に、怒りよりも、今さら平然と手紙を寄越す神経を疑う。
「不都合がございましたでしょうか」
眉間に皺を寄せる俺の顔を、若いコンシェルジュが不安そうにのぞき込んでいた。
「いいえ。お手数をお掛けしました、ありがとう」
左右の口角をさっと上げて手紙をスーツの内ポケットに入れ、俺は駐車場に引き返して、自分の車の運転席で改めて白封筒の差出人の名前を見た。この名前は、二度と佐和の目には触れさせたくない。
開封しないまま受取拒絶のメモを貼って返送する手もあるが、どうしようか。
封筒を外側からまんべんなく触り、硬いものは入っていないようだと確認しながら思案する。
どちらとも決められないまま、自分の指をナイフ代わりに差し込んで開封し、数枚の折りたたまれた便箋を取り出した。
拝啓 時下ますますご清栄のことと拝察致しますという書き出しで、文字も特に乱れた様子はない。
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その節は大変なご迷惑をおかけ致しました。申し開きのしようもなく、平身低頭お詫び申し上げるのみです。当時のことを振り返りますと、なぜあんなにも強い執着を抱いていたのか、悪魔に取り憑かれていたのではないかと思うほどです。おかげさまでよい先生に恵まれ、気づきが多く有意義で効果的な治療を受けることができました。心より感謝申し上げます。
今は故郷に近い街で小さな会計事務所に所属し、主治医と相談しながら、体調に合わせて働いております。地元で頑張っておられる経営者の方々のお役に立てる嬉しさと手応えを感じつつ、日々穏やかに暮らしています。
過日、展示会のトークセッションに登壇されたお姿を、インターネットで偶然拝見致しました。溌剌としたお二人の姿に、こちらも元気のお裾分けをいただきました。
ですが、相も変わらず、佐和君に執着する周防君の様子が心配になり、勝手ながら手紙を差し上げた次第です。
佐和君が魅力的な人物であることは、私もよくわかります。ですが執着してつきまとうことは、佐和君の迷惑になります。
当時の私は、佐和君が私のことを好きだと思い込んでいました。客観的に見れば、そのような事実はなかったのに、佐和君の仕草や言動のすべてを曲解していたのです。
周防君も、今は佐和君に好意を持たれていると思っているでしょうが、勘違いしているということに早く気づかれたほうがいいと思います。
佐和君の姿を毎日写真に撮り、生活を共にして洗脳し、先回りして行動をコントロールして、自分のものにしているかもしれませんが、それは愛ではなく執着です。
ステージの上で「愛している」と言われても、それはリップサービスです。真に受けてはいけません。
私のようにあらゆるものを失ってしまう前に気づいていただきたく、一筆申し上げました。
時節柄、ご自愛専一のほど、お祈り申し上げます。
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俺は静かに息を吐いた。心臓の底に静かにへばりついている、鉄さびの臭いがするコールタールのような感情がぬるりと動くのを感じた。
便箋を元通り封筒に戻し、車を降りる。再び駐車場専用エレベーターに乗ってエントランスまで上がり、コンシェルジュに光島からの手紙を差し出した。
「処分してください」
あとはいつも通りに帰宅して、クローゼットの前でスーツを脱ぎ、ワイシャツや下着類、ハンカチをすべてランドリーの通い袋へ入れて、バスローブを羽織ってバスルームのドアをノックする。
「ただいま、佐和」
「おかえり。お疲れ様」
佐和はバスタブの中で読書していた。
唇を重ねてから、シャワーブースで全身を洗い、バスタブに戻って佐和の背後に座る。佐和が胸に寄り掛かってきて、俺は佐和の肩に顎をのせた。
「愛してる」
「僕も愛してるよ」
後ろ手に頭を撫でてくれる佐和を抱き締める。心臓の底にあるコールタールの中から湧き上がった気泡がはじけた。佐和が言う『愛してる』は、佐和の本心なのだろうか。俺が洗脳したから口にしている言葉なのだろうか。
心臓の底のコールタールをこらえながら、佐和の肩に閉じた目を押しつけ、愛しい人の身体をきつくきつく抱き締めた。落ち着け。俺は今、幸せなんだ。
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