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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(58)

 後半はマーケティングアンケートの工夫をテーマに質問文について考えた。 「『あなたは猫を飼っていますか?』のように、YESかNOで答えることができる質問は、クローズド・クエスチョン、閉じられた質問と呼ばれます」  俺はホワイトボードに下手くそな白猫の絵を描く。 「明確な回答を得たり、ターゲットをふるいにかけるのにはいいですが、それ以上の情報は引き出せない。反対に『どのような猫を飼っていますか?』という自由に答えられる質問をオープン・クエスチョン、開かれた質問と呼びます」  白色、短毛、雑種、マスカット色の目、長い尾、かぎしっぽ、カリカリ派、猫じゃらし好き、カーテンレールの上から降りられないと答えを書き込む。 「アンケートの質問文によって、得られる情報には大きな差が出ます。よく精査して、ターゲットのニーズを把握できるようにします」  グループに分かれて、3つの質問文だけで商品開発をするというシミュレーションゲームをやってみたら、意外に発想力が豊かで、面白い答えが出揃った。 「男性用リップバームです。デザインが女性向けで使いにくい、すぐになくしてしまう、という声に応えました。チューブタイプでデザインは男性向けにシンプルなモノトーン。キャップはスクリューで、先端にストラップをつけます。スマホケースやキーホルダーにつけて持ち歩けます」 「それは面白い。俺もすぐになくして、探すとまとめて何本も出てくるから、それは欲しいな」 「あと、こっちは市販のスティックタイプのリップクリームを入れるケースです。同じくスクリューキャップとチェーンがついていて、スターリングシルバーでできています。リップクリームを持ち歩くこと自体に抵抗がある男性にも使ってもらえます」 「なるほど。これも面白いな。俺も欲しい。ところで、皆さんはリップクリームをよく使うの?」 「このあたりは冬になると山から乾いた風が吹くので、リップクリームはよく使います」 「そういうニーズがあるから、この商品を思いついたのか」  そんな話をしながら、許可をもらって全グループの成果をスマホに納め、全員で記念写真を撮った。 「私は部外者ですから」  光島はカメラマンをかって出て、自分は写らなかった。一応、自分は控えるべきと思う程度には罪悪感があるのだろうか。  その後は交流会と称して、駅前の居酒屋へ行った。光島もいたが、一番端の席で教授を相手にソフトドリンクを飲んでいた。  俺は反対側の端に座り、学生たちの会話に耳を傾けていた。 「グループディスカッションから役員面接まで、学生側の顔ぶれが全然変わらなかったんだよ。毎回、趣味について訊かれてさぁ」 「あるある。エントリーシートにはもっといろんなこと書いてるのに、なんで同じ事ばっかり訊くんだろうね」 「だろ? 俺もそんなにいろんな答えなんか用意してねぇっての。『旅をする経験を重ねるなかで、事前準備の大切さを知りました。あらゆるトラブルを想定し、下調べや準備を入念にするようになりました』って、言うしかねぇし」 「だねぇ。そんなにアドリブ言えないやろ?」 「ほかのヤツらも同じ事を訊かれて、同じ事を答えるしかないからさぁ。もう聞き飽きてるっちゅーに、毎回『わー、初めて聞きましたぁ!』みたいな顔で、真面目に感心した相づちを打たなきゃいけなくて、笑いをこらえるのに必死! 終わったあとは仲良くなっちゃって、来週みんなで一緒に温泉行くことにした」 「おんせーん? 仲良すぎやろー?」  就職活動の経験がないから、こういう話は興味深い。大変そうだが、面白そうだ。  静かにハイボールを飲みつつ、聞き耳を立てていたら、反対側の隣から声を掛けられた。 「周防先生は彼女いるんですか?」  そういえば、恋愛話も学生の大好物だ。俺は佐和の姿を満月のように思い浮かべてから、小さく首を横に振った。 「あ、結婚してるんですか?」 「いや、これから。婚約者がいます」  わあっと騒いでいただいて、俺はどうもと会釈して唇の前に人差し指を立てた。 「教授にまだ話していないから、しばらくは内緒で」  学生たちは素直に頷き、自分たちの唇の前に人差し指を立てて笑った。  が、同じ座敷にいたら、そんな騒ぎはすぐ教授にバレる。 「周防君、こちらへ来なさい」  教授と光島が向かい合って座っているところへ呼ばれ、仕方なく教授の隣に座る。 「どちらのご令嬢とご縁があったって?」 「ご令嬢ではないです。強いて言うなら、ご令息?」  首を傾げて答える俺の姿に光島は噴き出し、顔を背け咳払いをして誤魔化している。  教授は訝しげに片眉を上げ、俺に向けて手を出す。 「写真を見せなさい」  素直に佐和と頬をくっつけて撮った写真を見せたら怒られた。 「佐和君じゃないか! 私をからかうのもいい加減にしなさい!」  男同士だから驚かれるのは覚悟している。好奇の目で見られることだってあるだろう、ひょっとしたら嫌悪感を示す人だっているかも知れないとは思っていたが、からかうなと怒られるのは想定外だった。面食らって、一瞬出遅れた。 「教授、本当ですよ。周防くんと佐和くんは真剣です」  光島は穏やかな笑みを浮かべて徳利を軽く掲げ、教授の猪口に酒を注ぎながら、柔らかく話す。 「私はこれ以上ないくらい、お似合いなカップルだと思います。周防くんと佐和くんが、学生時代からずっと互いを思いあい、支えあって、ここまで来たことは、教授がもっともご存知じゃありませんか。そのふたりが結婚するなんて、喜ばしいことですねぇ」  こうやって穏やかにとりなすテクニックは、さすが光島だと思う。  教授はすぐに笑顔になった。 「言われてみればそうだな。周防君と佐和君はいつだって最高のパートナーだ、お幸せに。周防君、もっとたくさん写真を持っているんだろう? 見せなさい」  メガネを額の上に上げ、俺と佐和の写真を次々に見て、親戚のおじさんのように相好を崩す。 「そうそう、君たちはいつもこうやって笑っていた。今もあまり変わらないな。見ていると懐かしくなってくる。周防君のほうが勝ち気なようでナイーブで、佐和君のほうが神経質に見えて芯が強い。それにしても、周防君の指導には困った。思い出したぞ」  教授は酒をあおり、呵々と笑う。 「指導を受ける俺も困りました。何が教授のお気に召さなかったのかもわからず、戸惑いました」 「そういうところだよ。私が気に入る、気に入らないじゃない。研究とは、教授の顔色を窺うものではないんだよ。もっと青臭いものなんだ」 「はあ」  教授は困ったように笑った。 「周防君は、ただ佐和君にくっついて、私のところへやってきただろう。しかも、すでに社会で揉まれていて、ビジネスライクな取捨選択ができるようになっていた。優先順位が低いと判断したものについては、適当にあしらったり、小手先で片づける、変に大人びたクセがついていた」  教授が言うとおり、俺はゼミなんかには興味がなくて、ただ佐和と一緒にいるために入ったし、卒業に必要な単位がとれればいいと思っていた。そして、自分の生意気をそんなふうに見られていたのかと、初めて知る。 「私は、『研究というものは、そうじゃないんだ、もっともっと学究の()として、道に這いつくばり、わずかに生えている雑草を掴んで、苦しんで、苦しんで、苦しまなければダメだ』と言いたかったけれども、周防君の能力は高くて、どこまでも小手先で乗り越えてくる。結局、私の指導は及ばなかったな」 「お手数をおかけしました」  素直に頭を下げて、笑いあった。光島はただ穏やかに笑っていた。

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