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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(67)

「ね。釣れたものを確認しよう」  佐和はまだ赤い頬を隠すようにうつむき、率先して封筒を開ける。 「板チョコ、バナナ、食パン……これは僕、勝利確定じゃない?」  嬉しそうに中身を並べ、最後の封筒をのぞきこんで叫ぶ。 「納豆っ! うわー、マジかー!」  カフェテーブルに突っ伏す佐和を笑いながら、姪も封筒を開けた。 「はい、勝利確定、レトルトカレーいただきました! パックご飯、カップ麺、イカの塩辛。カレーがあれば何でもできる!」  姪はタオルを首にかけ、下顎を突き出して拳を振りかざす。 「俺は、ホットケーキミックス、乾燥わかめ、キムチ、ヨーグルト。ホットケーキミックスは万能だからな。全ての材料を包み込んでくれる」  全員でキッチンに立ち、嫌な予感しかしない料理を始める。 「僕の料理テクニックなんて、お湯を注ぐか、レンチンするか、茹でるか焼くかしかないよー」  佐和は精一杯の抵抗で納豆を細かく刻み、食パンに塗りつけた。板チョコとバナナで表面を覆ってトースターに放り込む。 「漂ってくる匂いにヤバさしか感じない。刻んだのが裏目に出てないか」 「周防も一緒に食べるから、いいもん!」 「キスする前は同じものを食べるのが王道だよな。キスのおねだりか? じゃあ、早速」  肩を抱き、唇を突き出したら、佐和はしゃがみ技で俺の腕をすり抜けてリビングへ逃げた。  俺が両肘を直角に曲げ、片足を引き、身体を上下に揺らして構えると、佐和も正面で同じ動作をした。  しばらく様子見が続いてから、佐和がいきなり上段足刀蹴りを繰り出してきて、俺はすかさずその足を抱えてソファに押し倒す。 「うわあっ!」  笑っている佐和の顔の両サイドに手をついて見下ろした。 「『周防、愛してる』は?」 「やだっ!」  顔を背ける佐和の頬に、強引にぶちゅうっと音を立てるキスをして、俺は波動拳を食らって飛んだ。 「オジサンたち、家の中で暴れないの!」  俺たちを一喝した姪は、何の下ごしらえもせず、パックご飯とカップ麺とイカの塩辛とレトルトカレーを全て鍋にぶちこみ、いきなり火にかける。  俺はカウンターテーブル越しにキッチンをのぞきこんで、つい口を出す。 「お前、カップ麺を先にふやかさなくていいのか。悪いことは言わないから、料理はできるようになったほうがいいぞ。独り暮らしを始めたら、絶対に自炊したくなる瞬間が訪れるからな?」  くどくどと説教をたれる俺に、佐和が笑いながら口を挟む。 「そんなに心配なら、いつでもさねおみが作ってあげればいいんじゃない? おじい様のミートボールとか、お母様の餃子とか、得意じゃん?」 「俺の得意料理は佐和だけどな。とろとろに……ぐはあっ!」  またもや波動拳で吹っ飛ばされて、俺はキッチンの中へ戻る。水で戻した乾燥わかめを絞って刻み、ホットケーキミックスに混ぜ込んだ。ヨーグルトと刻んだキムチも入れて、フライパンに丸く広げる。  佐和と姪は、これ見よがしに内緒話をした。 「多笑ちゃん。敵は油断してるよ」 「ホットケーキミックスを手に入れたからって、調子に乗りすぎてるよね」  俺はターナーを振りかざした。 「全部聞こえてるぞ。めちゃくちゃ美味しいホットケーキを食べさせてやるからな!」  俺のセリフはまったくのハッタリだったのだが、佐和のトーストは納豆の個性がバナナとチョコレートの風味と大喧嘩し、姪の煮込みは味が濃く、麺が全ての水分を奪い取ったクセに芯が残って、咀嚼するのに苦労した。 「うわー、周防の料理も美味しくない。美味しくないけど、食べれる!」 「ヨーグルトとキムチが合ってるのが、ずるい!」  食材を刻み、きちんと水気をとったのが功を奏した。ふわふわしたホットケーキから出てくる甘じょっぱ酸っぱ辛い味が微妙に食べられる感じになり、消去法で俺は低レベルの闘いに勝利した。 「はい、ありがとうございます! 佐和、おめでとうのキス!」 「やだよ! 僕、早く歯を磨きたい!」  拷問のような夜食を終えて、我先に洗面台の前へ立ち、うがいを繰り返して歯を磨く。 「サワとさねおみは、いっぱいチューするから、しっかり磨いたほうがいいよ!」  姪の言葉に、俺は頷いた。 「お前もすぐ、俺みたいな世界一の男を見つけるから、準備は怠るなよ」 「世界一はさねおみじゃなくて、サワですぅ」 「タイプが違うだけで、同率1位ですぅ」  泡だらけの唇を突き出しあってメンチを切り、佐和に手で掻き分けられた。 「はいはい、いつキスのチャンスがめぐってきてもいいように、しっかり磨きましょう」  俺は口をすすぎ、佐和の前に立った。 「はい、チャンスがめぐってきた! 歯磨きチェックのキス!」 「えー! 私も! この列に並べばいい?」  佐和は眉を八の字にして笑ったが、俺が唇を突き出し、軽く飛び跳ねてキスをねだる姿に溜め息をついて、俺の頬を両手でぱちんと挟んだ。額をごっつんこして、めっと叱る。 「ワガママばかり言って、僕を困らせないで」  ごめんなさいと諦めようとした瞬間に、佐和の唇が俺の唇に重なった。 「よ、よっしゃー!」  俺は握りこぶしをして床に向かって叫び、姪は鋭い指笛を吹く。 「サワ、私も! 私も!」  姪も佐和の前でぴょんぴょん飛び跳ねた。佐和は姪の頬も両手でぱちんと挟む。さらにごっつんこして、めっと叱った。 「本当に本当に大好きな人以外に、キスのおねだりなんて、しちゃいけません」 「サワのこと、本当に本当に大好きだもん」 「ありがとう。でも、このキスは、これから出会う、もっともっともっと大好きな人のために、大切にとっておいて」  佐和は姪の耳許へ口を寄せた。 「違う意味だけど、僕も多笑ちゃんのことが、大、大、大好きだよ」  背筋がぞくぞくするようなイケメンボイスを流し込み、ちゅっとリップ音で仕上げた。 「んぎゃあああああああああああ」  姪は左右の耳を両手で塞いで床にしゃがみ込んだ。 「いいなぁ、俺もイケメンボイスして!」 「しない! 明日も早いんだから、解散っ! おやすみなさいっ!」  佐和は赤くなった顔を背けたが、ソファにシーツを敷いて姪を寝かせ、俺と寝室に入ってふたりきりになった瞬間に、俺の背中に抱きついてきた。 「っ!」  不意打ちを食らった俺は、自分の耳が熱くなるのを感じながら、腹の前で交差された佐和の腕に手を重ねる。  佐和は俺の肩に顎をのせ、俺の耳に唇を触れさせる。  さっきのイケメンボイスなんかより、もっとずっと本気で深くて甘い声が耳から流れ込んでくる。 「多笑ちゃんを笑顔にしたい気持ちはわかるけど、少しはしゃぎすぎだよ、周防」 「はい、ごめんなさい」 「僕は、周防が仕掛けて来るたびにドキドキしたんだから。周防の意地悪」  耳に音を立てたキスをされて、俺の首から腰まで震えが伝う。 「多笑ちゃんに変な空気を感じさせたくないから、今日はふわふわのキスだけにして」  俺は振り返って佐和を抱き締め、唇の力を緩めてふわふわのキスをした。 「愛してる。俺と多笑の相手をしてくれて、ありがとう」 「僕は周防のことも、多笑ちゃんのことも、愛してるよ」  同じベッドに並んで横たわり、佐和の首の下に腕を差し込む。  それだけで俺の気持ちは熱くなって、佐和の耳に苦しい溜め息を聞かせてしまう。  佐和は小さく笑って俺の腋窩に鼻先を突っ込み、さらに身体を擦り寄せてきた。 「佐和の甘えんぼ」 「今さらだろ」  そう言って笑う佐和の溜め息も甘く悩ましげだった。 「佐和の溜め息だけでイケる」 「僕も周防の溜め息だけで……ねぇ、周防」 「ん、何?」  呼びかけてきたくせに、佐和はしばらく俺の腋窩にめり込んだまま、動かなかった。  鼻先で佐和の髪を掻き分け、黒髪に唇を押しつけて待つ。とても長い時間が経ってから、佐和は顔を上げた。 「ねぇ、周防。周防は出張で、僕と離れて寝ている夜に、僕のことを考えて、エッチな気分になったりする? ……僕は、その。ひとりで周防のことを考えて、そういう気分になったりするんだけど」  腕枕をする皮膚の表面で、佐和の首が熱くなっているのがわかり、俺は唇で佐和の額の熱を測ってから、頷いた。 「もちろん。現実の佐和には打ち明けられないようなことまで考える。俺の妄想力はたくましい」  佐和はくすぐったそうに笑い、俺にしがみついた。 「ねぇ。もし、よかったら。出張中に、夜、僕のことを考えて……その……エッチな気分になったら、電話して……みない?」  佐和の声は消え入りそうなほど小さくて、俺は聞き返してしまった。 「電話?」 「うん……あの、ごめん。やっぱり何でもない」 「待って、待って、佐和。俺は今、何かチャンスを逃しかけてるよな? 話を引っ込めないで、もう少し聞かせて」  俺は熱々の佐和を抱き締め、言葉をもう一度紡いでもらえるように、頬におねだりのキスを繰り返した。 「エッチな気持ちのときに、僕に、電話して……その、僕も、エッチな気持ちで聞くし、話す、から」  佐和は俺の首に両腕を絡めてしがみつき、俺の耳に口をつけて言った。 「恥ずかしすぎて、1回しか言えないからよく聞いて。僕は周防とテレフォンセックスをしてみたい!」  俺の全身の血液が瞬時に沸騰した。 「よし、今から出張に行ってくる!」  起き上がろうとする俺を、佐和は笑いながら引き止めた。 「やだ。今夜は僕と一緒に寝て。明日から寂しくなるんだから、ダメ」  俺は深呼吸して、佐和に覆いかぶさる。しっかり見つめあってから、心を込めてふわふわのキスをした。全身全霊で愛してる!  唇から、佐和の愛も伝わってきて、とても心地よいキスになった。  身体にこもる甘い欲を、明日の夜の楽しみにとっておきながら、俺たちは互いの髪を撫でて寝た。

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