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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(73)

 俺のことを絶倫だと非難する佐和だって、その絶倫ぶりはなかなかのもので、足を絡めたり、キスをしたり、愛撫をしたり、何度も嬉しいお誘いとおねだりをされた。 「そんなにつきあいきれない。自分で慰めて。見ていてあげる」  見え透いた嘘にも、佐和は照れながら頷いた。  枕に頬を押しつけ、シーツの上に肩をつき、高く尻を上げる。俺が佐和の指にゴムを嵌め、ローションを塗ってやれば、その手を自ら蕾に突き立てた。  佐和の指は、俺の指の動きを再現していたが、奥を探ることはできず、もどかしそうに尻を揺らした。 「助けて、すおう……っ」 「焦らないで。時間をかけて、自分をゆっくり焦らしてあげて。指が馴染むまで手を止めて……そう、気持ちよくなって、もっと欲しいってひくひくしてくるのを待って、ゆっくり撫でてごらん」  佐和の紅い蕾が収縮を始め、俺はそっと手を添えて指の抜き差しを手伝った。 「あっ、ああ……すおう……すおう」  悦びの声を上げて、佐和は自分の内壁を掻き回し、敏感な膨らみに触れたらしい。 「はあっ! や……っ、でちゃう!」 「大丈夫。怖くないから、追い詰めて。下から上に押し上げるようにすると、佐和は気持ちよくなる。もっと意地悪して」  佐和の指は、粘り気のあるローションと空気をかき混ぜていて、内壁を擦り上げるたびに空気が潰れて音を立てる。目の前に展開される卑猥な音と佐和の痴態に、俺は息を止めて見入った。 「んっ、んんっ、すおうっ、はあっ、やあ……っ、出ちゃうっ! すおうっ! あああああっ! ああっ!」  腰が震え、佐和の雄蕊から白い蜜が零れた。  蕾から佐和の指が抜け落ちるのと入れ違いに、俺は自分の熱を佐和の中へ押し込む。 「や、やだ、すおうっ」 「もっと気持ちよくなろう、佐和」  内壁はぬめぬめと収縮を繰り返していた。自然に飲み込まれて最奥へ誘われ、佐和の敏感な場所に先端が触れる。 「あんっ」  甘い声が、その気持ちよさを伝えてくる。佐和の気持ちがいいところをピンポイントで狙って責め立てた。俺も腰が痺れるように気持ちよくて、動きを止められなくなった。 「ああん、すおうっ。あんっ、ん……んっ」  佐和の手が俺を探して宙を彷徨い、俺はその手を握りながら、抽挿を続けた。 「あっ、すおう……っ、来る。変なのが来る」 「ああ、俺もいく。佐和の中でいくから、一緒にいこう」  マグマのような熱がこみ上げてきて、佐和がたなびくような嬌声を上げるなか、高みを目指して疾走した。 「あ、もう……もう……っ、イク、イっちゃう」 「俺も。愛してる、佐和」  佐和が身体を大きく震わせ、俺も気持ちよく爆ぜた。  何度身体を重ねたのかなんて数えきれず、シーツの海にダイブするようにして眠った。  朝食を食べさせあい、ようやく服を着てチェックアウトして、助手席に座った佐和は目を細める。 「太陽が黄色く見えるたびに、ペース配分を考えようって思うんだけど、ね」 「毎日のことじゃない。たまにはいいだろう」  信号待ちのたびにキスをかわし、ドラッグストアに立ち寄って、内出血用の軟膏と大きな絆創膏を買う。  帰宅して風呂で温め、患部を軽くマッサージをしてから、佐和を洗面台に座らせた。 「周防って、キスマークつけるの上手いよね。赤くて鮮やか。コツがあるの?」  振り返って鏡を見ながら、佐和はキスマークを観察している。  俺はキスマークに、跡をつけてごめんねのキスをしてから、軟膏を塗り、絆創膏を貼りつけた。 「皮膚を舐めてから吸うと、唇との密着度が高まる。それと、吸うときに唇はすぼめる。やってみる?」  俺は時計のバンドで隠れる左手首を差し出した。佐和は小さく舌なめずりをして頷き、俺の手首の内側を舐めて吸った。 「ホントだ! 一回でちゃんと赤くなる!」  佐和は喜んで、俺の左手首にぐるりと一周赤い跡をつけた。  俺はこれ見よがしに手首の匂いを嗅ぐ。 「佐和の唾液の匂いがする。くさい」 「変態!」  佐和は洗面台から飛び降りて、俺の手首を掴んで洗った。  さらに軟膏を塗ろうとしてくれるのを、押しとどめる。 「腕時計で隠れるから平気。このままがいい」 「仕事中に思い出すなんて、エッチ。追加でどこかつけてあげようか?」  話しながらベッドに向かい、逆さまになって愛しあいながら、互いの内腿の皮膚を吸った。  月曜日の朝、佐和の首筋の絆創膏を取り替えて、俺は左手首にダイバーズウォッチを巻きつけて、いつも通りに出社した。  新聞を読みながら、無意識に絆創膏の上からキスマークを引っかいている佐和が可愛い。  俺も治りかけのキスマークがくすぐったく疼いて、つい腕時計のバンドに右手を重ねる。  テーブルの上には、いつもの新聞の束のほかに『株式会社 (べに)高尾(たかお)』の会社経歴書とパンフレット」がある。  上場しておらず、四季報の未上場会社版にも掲載されていない。検索してヒットするのはデザインの古い、メンテナンスされていないホームページと、化粧品のクチコミサイトくらいだ。 「佐和は、この会社を知ってるか」 「んー、名前くらいは。江戸時代の創業で、吉原の遊女が愛用していた『花魁紅(おいらんべに)』っていう口紅を作って売ったのが始まり」  佐和は会社のリーフレットを開き、商品案内のページを指し示した。白い磁器に季節の花を描いた華やかな猪口があり、その内側に玉虫色の塗料が塗ってある。 「紅? どう見てもメタリックグリーンだぞ?」 「水を含ませた筆でとって唇へ移すと、赤色になるんだ。逆にその赤色を塗り重ねると玉虫色になる。そのメカニズムはまだはっきりとは解明されていないらしい」 「はあ」  使用例の写真には、赤く紅を差した唇に重ね塗りする筆と、その筆の軌跡に金色がのびる様子が見えている。 「金色の細かいパウダーを使って、見た目を近づけることはできるけど、完全に再現することはできないらしいよ」  俺は大学のゼミで学生が使っていた口紅を思い出した。 「『朔夜』っていう名前の口紅を見た」 「ああ、あれはコストを下げて、この金色の再現を試みた商品だね」  佐和は表情ひとつ変えずに言って、さっぱりしていた。 「佐和の名前が語源?」  俺はおそるおそる質問したが、佐和はあっさり頷いた。 「そうだよ。名前を使っていいかって言われて、どうぞって。それだけだ」  それだけだ、という言葉に食い下がることもできず、俺もそうかと頷いた。 「『花魁紅』は、紅花から採れるわずかな赤色の色素を集めて作る、超高級品。日本でこの紅を作れる職人は一人か二人しかいないらしい」 「確かに値段も跳ね上がるはずだ」  学生や姪が使っているフェアリーワンドの口紅の20倍の値段がついている。 「山形県に工場があるのは、そこに広大な紅花畑と、その職人を抱えているからだ。山形は紅花栽培が盛んなんだって」  パンフレットには濃い黄色の花を咲かせる紅花畑の写真もあった。 「薄く塗ると紅色だけど、塗り重ねると玉虫色になる。それが『笹色紅(ささいろべに)』と呼ばれて、江戸時代の一時期に大流行した。女性はこぞって下唇を笹色に光らせていたらしいよ」 「下唇が玉虫色? なぜそんなのが流行る?」 「ゴールドと同じ重さで取り引きされるっていうほど高価な紅を、おごって塗り重ねないと出ない色だから、憧れの対象になったんじゃない? 実際とても高価だったから、庶民は、今でいうプチプラコスメや100均コスメで、最初から緑色の紅を買って塗ったりしたらしい。江戸時代にも十九文屋っていう、何でも19文で買える100均みたいなお店があったんだって」  佐和はスマホに浮世絵を表示させ、見せてくれた。 「前に周防と一緒に出かけた美術館で観た、喜多川歌麿の『深川の雪』だよ。この女性の唇をよく見て。下唇が笹色に塗られてる」  黒く豊かな髪に大きなかんざしをつけた、白くふっくらとした面長の女性の絵があって、小さな口許が拡大されていた。上唇は赤く、下唇は緑色に塗られている。 「マジか。江戸時代だから、この赤と緑のあいだに、お歯黒も塗るんだろう? 俺、口を吸う気になれるかな。佐和がつけていたなら、もちろん吸うけど」  首を傾げる俺を見て、佐和は笑う。 「周防、勘違いしないほうがいいよ。メイクは他人のためのものじゃない。自分のためのものだ」 「そうなのか。思い上がっていた」 「だって、女性に口紅や洋服を見せられて、どっちがいい? って訊かれて、その通りのものを使ってもらったことがある? 本人が気に入ったものしか、結局は使ってもらえないんだ。メイクやファッションは本人のためのものだよ」  佐和はコーヒーを飲みながら笑った。 「あと、この会社はウグイスのふんを扱ってる」 「は?」  主力商品一覧のうち、梅の枝にウグイスが止まっている紙袋を指差した。 「ウグイスのふんに含まれている酵素に美肌効果があるとかで、洗顔料に使う。僕も1回だけ使わせてもらったことがあるけど、少しだけ独特な香りがする」 「独特な香り、か。美容に掛ける情熱には圧倒される。お姉ちゃんもめちゃくちゃ洗ったり塗ったり貼ったり飲んだりしてるもんな」 「最近、美容鍼もやってるね」 「ああ、あの写真」  お姉ちゃんと佐和と3人のグループトーク画面に、顔中に鍼をぶっ刺した笑顔の写真が送られてきて、俺たちは思わず呻いた。 「『株式会社 紅や高尾』の創業当時からの商品はそのふたつ。現在の主力商品は周防も知っている『フェアリーワンド(妖精の杖)』っていう10代から20代前半の女性をターゲットにした、低価格帯のメイクアップ用品だ。当時の社長が娘のために開発したんだって」 「高尾古都社長は、屋号や歴代社長と苗字が同じだが、創業家じゃないのか?」 「創業家だよ。先代の社長が父親だ。彼女は海外の老舗化粧品メーカーのマーケッターを経て、実家に帰った。跡継ぎを視野に、紅や高尾の営業部長として入社した。僕が知っているのはそこまでで、なぜ彼女が社長就任にあたり、親に株を売ってもらえなかったのかは知らない」  俺は顔色を変えずにコーヒーを飲んだつもりだったが、佐和は俺の顔をちらりとみて、身体ごとまっすぐ俺を見た。  「周防。はっきり言っておくけど、これから死ぬまで、僕が世界で一番愛しているのは、周防眞臣だ。いい?」  大きな黒い瞳で、まっすぐに俺の目を見て言い切られて、思わず胸を押さえた。 「惚れる」 「今まで惚れてなかったの?」  伊達メガネのフレームの越しに睨まれて、そのクールさに痺れるのを感じながら、慌てて首を横に振る。 「いや、惚れてた! 惚れてます! 一目惚れでした! 大好きです!」  佐和は涙袋をふっくらさせて笑い、俺はさらに射抜かれた。

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