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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(85)

「ここからは私、周防がメインで担当させていただきます。ほかにサブの担当者を1名か2名つけさせていただきたいと思っていますので、決定次第、改めてご挨拶申し上げます。実務の窓口は秘書室長の佐和凛々可が担当させて頂きます。そちらからもご連絡を差し上げることがあるかと思います。よろしくお願い致します」  自分の名刺入れから、お姉ちゃんの名刺を抜き取って大門氏に渡し、タブレット端末のバックライトを点灯させて、箇条書きにしてあるメモを見る。 「契約書につきましては、もし差し支えなければ、頂戴したご提案を元に、手前共の契約部で叩き台を作らせていただきます。弊社としては、契約書には大筋の内容だけを盛り込み、詳細については覚書に記載して、契約書と覚書に相違があった場合には覚書を優先するという一文を入れさせていただくようにしておりますが、ご都合はいかがでしょうか? このやり方でよろしければ、今週中には叩き台のPDFを送らせていただきます」  俺が一気に話す内容を、佐和がいつの間にか入力し、自分の端末のモニター画面に板書してくれていた。  大門氏と古都は板書を見ながら頷き、自分たちの要望やスケジュールを述べる。双方の落としどころを探ってディスカッションし、合意された内容をまた佐和が端的に記録して、1時間もかからずに、次のアクションについて、誰がいつまでに何をするかがコミット(強く約束)された。 「いやぁ、スピーディーでしたね」  同じテンポで対等に話していたのに、大門氏はふうっと大きく息をついた。  「あ、すみません。早すぎましたか」  佐和との打ち合わせやディスカッションはもっと早い。俺が佐和についていくので精一杯なスピードで進む。それに比べれば、かなりスピードを落としたつもりだったが、初めての取引先で緊張して、早口になっていたかも知れない。 「いやいや、大丈夫です。どうにか食らいつきました」  大門氏はハンカチで額の汗を拭いた。俺はさらに提案を付け加える。 「あともうひとつ。このプロジェクトに地方創生推進コンソーシアムの後援をつけたいと思います。今はまだ名義後援の制度すらないので、その制度を作るところからですが、明日が議題提出の〆切ですので、そこへ滑り込ませて、次の会合で提案すれば、通ると思います」 「そうですか。後援をいただければ社会的信用も上がりますし、話を持って行きやすくなります」 「ではそうしましょう。この場所を15分ほどお借りしてよろしいですか。忘れないうちに議題提案をしてしまいます」 「どうぞ、どうぞ、お使いください」  俺は指定されているフォーマットを立ち上げた。クラウド上にファイルを作って、早速入力を始める。  赤色の文字で議題に『地方創生推進事業後援の可否』と記入し、担当者名は周防、所要時間は5分と記入する。文字の色を赤くしているのは下書きの意味で、確定した文言は黒へ変更する。  後援の定義の参考になる文章を、どこかから引っ張ってこなくては。と思っていたら、画面が数回切り替わって、青色の文字でテキストが貼り付けられた。佐和が共同編集で入ってきていた。 ----- 「後援」とは、本会以外の第三者が開催の主体になる事業について、本会がその催しの趣旨に賛同し、応援、援助することをいう。応援、援助の内容は、原則として名義使用の承認に限る場合をいう。 ----- 「ありがとう。ついでに対象と細則の叩き台も欲しい。どっち探す?」 「細則」  わざわざ複雑で文字数の多いほうを選んでくれて、俺は自社の規程や官公庁が公開している細則を参考に文章を書く。 ----- 【対象】当会の理念・目的を理解した事業者による、地方創生の推進となる事業を対象とする。なお、営利を目的としない事業、本会が後援に適さないと認める事業等への後援は行わない。 -----  この文章は直されて、『当会の~事業者による』は削除された。 「後援に適さない、に全部含んじゃっていいよ」  佐和の言葉に頷き、文字を黒に反転させて、佐和が用意してくれた細則案と一緒に事務局のフォルダへ放り込んだ。  すぐに電話がかかってきて、俺は表示された太宰さんの名前に苦笑する。 「お疲れ様です。そんなに俺のことが好きですか?」 『たまたま同じフォルダを開けていたんだ。いい提案だ』 「ありがとうございます。おかげさまで、ご紹介を頂いた紅や高尾さんとの業務提携が決まりました。これから提案書をあちこちにばらまくんで、後援で名前を使ってコンソーシアムの知名度も上げます。一石二鳥でしょう」 『佐和に替われ』  隣で笑っていた佐和にスマホを差し出すと、佐和はわざとらしく嫌そうに眉をひそめてスマホを耳に当てた。 「お疲れ様です、佐和です。……もう。何でわかるんですか。そのへんにあった細則をコピペして、ちょっと手直ししただけなのに。……大丈夫、僕の名前は周防眞臣っていうんです。……だって、僕、朝からまともに食べてなくて。お腹が空いたから、早くご飯を食べに行きたいんです」  佐和は笑っていたが、太宰さんの言葉に背筋を伸ばして、表情を厳しくした。 「はい。おっしゃるとおりです。この先の内容がよくなるとお約束を頂いた上でのジャッジです。経営陣の皆様のこれからの意識向上とご努力、大門専務と高尾社長のお人柄にも点数を入れました」  佐和は太宰さんの言葉を聞きながら立ち歩いて、次の間にいる人たちに軽い会釈をしてドアを閉め、充分にドアから離れてから、静かに話す。 「高尾社長とは初対面じゃないです。姉の同級生で、僕の部活の先輩です。私情は挟んでませんけど、いい人か悪い人かくらいは。……ええっ? 僕、太宰さんにどれだけ人間不信だと思われてるんですか? たまには信頼できると思える人もいるんですよ。……まあ、本音はそうですけど。周防ひとりで充分です。……ほら、そういうことをおっしゃる! だから僕、太宰さんと話すの嫌なんですよね」  窓際に寄り掛かって腕を組み、窓の外の景色を見ながら佐和は苦笑していた。窓の外は藍色とオレンジ色が混ざり合っていて、その混沌を見ながら佐和は首を傾げた。   「うーん、そうだな。たとえば……、高尾社長は僕の元カノだから、って言ったら納得できます?」  嘘とも本当もつかない口調で明るく笑い、太宰さんを煙に巻いて、俺にスマホを突っ返した。 「困りますよ、太宰さん。佐和の機嫌を損ねたじゃないですか。ただでさえ空腹で機嫌が悪そうなのに。今夜は太宰さんの驕りですよね?」  冗談です、と言うより先に、太宰さんから言葉が返ってきた。 『不忍池(しのばずのいけ)の近くに俺の行きつけの天ぷら屋がある。最近顔を出せていないから、俺のかわりに行ってきてくれ。連絡しておく。メンツは?』 「俺と佐和と大門専務と高尾社長の4人です」  通話は切れて、すぐに店の情報が来た。歩いて10分も掛からない距離だ。 「30分後に予約がとれたそうです。天ぷらを食べに行きましょう」  大門氏は帳簿と自分のデスクを片づけに行き、古都も自席のデスクトップの電源を落とし、椅子の上に置いたバーキンに、筆記具や読みかけのハードカバーをかき集めて押し込んでいる。 「私、片づけが苦手なのよね」  独り言のような呟きに、佐和は無言で何度も何度も頷いた。 「そんなに?」  俺が訊くと、佐和はまた深く頷き、静かにため息までついて、首を横に振った。  さらに佐和が何かを言おうとしたとき、帰り仕度を終えた大門氏が社長室へ入ってくる。 「お待たせ致しました」  ドラマの中の大門団長と同じ紺色のトレンチコートを羽織っていて、抜かりないコスプレに舌を巻いた。

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