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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(90)
佐和はすぐに寝てしまうだろう。そうわかっていても、念の為の用意はしておきたい。
夜は天使の寝顔でも、明け方に視線が絡む可能性だってある。
「ドラッグストアに寄りたい」
平静を装ってカーナビを操作しながら告げたら、佐和が地図上の一点を指さした。
「ディスカウントストアに行こうよ」
24時間営業の大型ディスカウントストアは、ジャングルの中を探検するような楽しさがある。
圧縮陳列された棚の隙間を縫うように歩き、見ても見きれない商品の数々と、目に飛び込んでくる手描きのポップに、俺も佐和も購買意欲を刺激される。
「結局、顧客の目線に立つっていうシンプルな大原則にやられるんだよな」
枕ジプシーな俺は、もう何個目かわからない低反発枕を買ってしまった。
エスカレーターで1段上に立っている佐和は、俺たちと同じくらいの身長がある、大きなくまちゃんのぬいぐるみを抱えている。完全に酔っ払いの所業だ。
「僕、今日は衝動買いをしていい日なんだもん」
昼間にペアのバングルを買った佐和は、俺の髪と似た色のくまちゃんをキツく抱きしめ、本日2回目の衝動買いに強がりを言う。
俺は肯定して頷いた。
「買い物も一期一会だからな。これだと思ったときに買っておかないと、二度と手に入らないかも知れない」
「周防は、僕のことも『これだ!』って思った?」
佐和がくまちゃんの頬に自分の頬をくっつけて、一緒に俺の顔をのぞきこんでくる。俺はしっかり頷いた。
「思ったし、毎日思ってる。いくらで買える?」
「結婚指輪1個!」
ときには日本刀とまで評される、最高にクールでカッコイイ男が、でっかいぬいぐるみを抱えて笑う姿は、愛おしくてたまらない。
どこかのアダルトムービーのように今すぐ時間を止めて、佐和を抱き締め、キスの雨を降らせ、激しいセックスもしたいと思った。
でも佐和の時間を止めて、俺の時間だけが進んだって、面白くも何ともない。仕事も人生もディスカウントストアも、佐和朔夜と一緒に歩くからこそ面白い。
お前も佐和と一緒がいいって思うよな? 佐和の肩に顎をのせて甘えているくまちゃんの手を握り、心の中で話しかけたら、大きな頭が頷くように上下に揺れた。
目指すエリアは最上階にあり、プラスチックビーズののれんで仕切られていた。
一歩手前で立ち止まり、俺はあらためてくまちゃんの半円形の耳から、肉球が刺繍された丸太のような足の先までを見た。
「なぁ、佐和。くまちゃんは、入れないんじゃないか?」
「えっ? くまちゃんは未成年なの? こんなに大きいのに、まだこぐまちゃん?」
佐和は目を丸くして、俺は首を横に振った。
「いや、そういうことじゃなくて」
潰すように抱いてようやく佐和の両手が重なる洋ナシ体型は、おそらく通路の幅いっぱいだろう。さらに手足がぷらぷらと揺れたら、怪獣のように商品をなぎ倒すのは、火を見るよりも明らかだ。
説明したら納得して、佐和は店員にくまちゃんを預けた。くまちゃんは耳の商品タグに『サワ様』と書いた紙片を貼られ、俺たちはバックヤードへ担がれていくのを見送った。
入れ違いにやってきた男女のカップルが、のれんの前でしばし立ちどまる。男が何やら耳許で説得をして、のれんの内側へ連れ込んだ。
次にやってきたのは大学生とおぼしき男性グループで、小声で何かを話し合っては顔を赤らめ、互いの肩を小突きあいつつ、のれんの向こう側へなだれ込む。
俺たちを追い抜いた女性は、迷いもためらいも見せず、慣れた足取りでのれんを割って入って行った。
「さて、佐和。俺たちはどんな顔をしてのれんをくぐる?」
佐和は背筋を伸ばして答える。
「楽しく、笑顔で!」
宣言通り、佐和は楽しそうな笑顔で、率先してのれんを掻き分ける。俺も佐和に続いてのれんを掻き分けた。
区切られたエリアは人を照らさず、商品だけを照らす配慮がなされていた。青白い光の中に男根や女陰だけが浮かび上がる光景は、猥雑を越えてポップさすら感じさせる。
棚には性器の形状や感触を再現したセルフプレジャー用品から、マッサージ器具、コンドーム、ランジェリー、コスプレ衣装、フェロモン香水、精力剤や媚薬と称された食品まで、性を楽しみ、欲を満たすためのアイテムがずらりと陳列されている。
商品をライトアップする照り返しに、人々の目が光っていた。静かに商品を手に取って検分する人もいれば、互いの耳に囁きあって相談する人たちもいる。
「ねぇ、周防。見て、業務用だって! 2リットル!」
佐和はぬいぐるみを選ぶのと変わらない明るさで商品を持つ。
その大きなペットボトルは、粘度の高い透明な液体で満たされ、シンプルなラベルが貼られていた。
商品の成分表示を確かめる俺に、佐和が甘い声で囁く。
「ねぇ。僕と一緒に、これで遊んでみない?」
くまちゃんを抱えて喜び、明るい笑顔で商品を選んでいたくせに、急に大人の男のセクシーさで斬りかかってくるから、この男は油断ならない。
この先の時間を想像させられ、甘い疼きが湧き上がり、俺はほんの一瞬目を眇めた。佐和は俺の小さな表情の変化を見逃さない。返事を待たずに、買い物カゴに商品を入れた。
コンドームは棚をひとつ占領するほど種類が豊富だった。実用性重視のパッケージから、ロリポップキャンディのような遊び心あるパッケージまで賑やかだ。佐和は俺が愛用するイソプレンラバー素材のLサイズをカゴに入れる。
周防はLサイズのほうがいいと思うよ、と教えてくれたのは佐和だった。俺は半信半疑だったが、言われたとおりにサイズアップしてみたら、キツさがなくなって快適さが増し、佐和との摩擦を一層楽しめるようになった。
よくわかったなと言ったら、佐和は小さく舌を出して笑った。俺と距離を置いて不機嫌だった一時期に、きっとたくさんの色や形やサイズを見る機会があったのだろう。
佐和を追って足を踏み入れた、あの部屋を思い出した。
蒸れた空気に絡む汗と精液の臭い、一定のリズムで肉がぶつかりあう音、連動して口から洩れる嬌声。
あの部屋のどこかに光島もいた。
余計なことを思い出して、俺は強く息を吐いた。
それが佐和の目には、身体の変化を鎮めようとする姿に見えたらしい。寄り添って隣に立ち、目の前に並ぶ商品を何となく手に取っては棚に戻すのを繰り返して、時間を稼いでくれる。
むしろ萎えきっている俺は、自分の気持ちを持ち上げたくて周囲を見回し、ローションの棚に一緒に並べられたガーゼを見つけた。
「ガーゼ? 何に使うの? ケガしてるの?」
立て続けに質問をぶつけてくる佐和に向け、軽く目を細め、唇の前に人差し指を立てて見せる。佐和は自分の胸に手をあてて、「うっ」と言った。
「どうした?」
「僕、周防のそのジェスチャーが大好きなんだよね。一目惚れして会社を作っちゃうくらい」
そんなに気に入ってくれているならと、俺はもう一度唇の前に人差し指を立てた。片目を瞑るのと同時に口の中でキスの音を立てたら、佐和にとっては刺激が強すぎて、ときめくのを通り越したらしい。
「ロマンチスト!」
佐和は怒ったように大きな声を出し、俺の手を掴んで引っ張った。
「くまちゃん、迎えに行こっ!」
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