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【番外編】6558 Archive 1993 -White-(2/4)

***  周防がキャラバンを始めてから半月が過ぎても、社内は平穏無事で、むしろミスは少なかった。  皆で入念に準備したからか、僕が隠しているつもりの緊張が伝播して、ほかのスタッフも気持ちを引き締めてくれたのか。たぶんその両方だ。僕は緊張感を持って、入念に準備をして仕事をする大切さを改めて感じた。  周防は、行く先々でビジネスの種を蒔き、花を咲かせながら北上を続けていて、あまりの反応のよさに、スケジュールは当初の予定よりさらに過密になっている。スケジュール管理ソフトには、見慣れない地名が次々に書き足され、僕は周防がどこにいるのか、何度も検索して調べた。  寝る前にほんのひと言、ふた言のメッセージは交わすけれど、いつも周防からの反応がなくなって途切れる。 『昨日はごめん。気づいたら寝ていた』  そのひと言から始まる会話も、またすぐに途切れる日がずっと続いた。  僕も周防を少しでも休ませてあげたいから、メッセージを送るのは最低限にした。ときにはまったく会話をしない日もあった。 「普段の僕たちがしゃべりすぎなだけで、男同士なんて寡黙なものだよ」  そう言い聞かせて自分から会話を控えていたくせに、会話が途切れてから、たった36時間の我慢で僕は周防に話しかけたくなった。しかもたった36時間のブランクで、僕は周防との会話のきっかけを見つけられなくなっていた。 「僕、いつもどうやって話し掛けてるっけ?」  自分たちの会話をどこまでもさかのぼってみたら、会話は周防から始まっていることがほとんどだった。  突然『今夜空いてる?』と訊かれたり、僕が好きそうな美術展のポスターの写真が送られてきたり、『後ろを見ろ! 狙われてるぞ!』と言われて、振り返ったら向かいのビルの窓から周防が手をピストルの形にして振っていたりする。 「周防って、会話のきっかけをたくさん持ってるよな」  写真だけを送ってくることもよくあって、駐車場で集会をしている猫や、焼き立てのパン、街路樹の木洩れ日、昼の空に浮かぶ白い月、高音質のヘッドホン、無意味な会議に飽きて描いた下手くそな似顔絵、前転しそうな勢いでお辞儀をしている福助人形など、改めて見返すと、受け取った僕が返信しやすい写真が選ばれているように感じた。 「周防が返信しやすいものって、何だろう?」  考えるだけでさらに12時間くらい過ぎて夜になり、結局はまた周防から先に写真が届いた。  どこかのレストランで、小学校低学年くらいの女の子と頭をくっつけあって撮った写真だった。女の子は下唇を噛みながら上目遣いに笑んでいて、手首に折り紙のハートのブレスレットをつけていた。 『将来、デートして結婚してくれるらしい。素晴らしい絵を描いてくれたから、お礼にブレスレットをプレゼントした』  勇気を出してくれた女の子に、周防はきっと王子様のように接しただろう。そして女の子に優しく話しかけながら紙を折り、笑顔で手首につけてあげたんだろう。 「いいなぁ、周防に会えて」  心に浮かんだ言葉をそのまま口に出し、僕は素っ気ない返事をしてしまった。 『よかったね』  さすがにそれだけじゃ愛想がなさすぎる。僕が拗ねているのが、周防に伝わるのはカッコ悪いからイヤだ。慌てて言葉を付け加えた。 『レポートも見たよ。前向きな、いい話ができたみたいだね』  周防はわらしべ長者みたいな体験をして、自治体とまちづくりのNPOとガラス作家数名が協働で立ち上げたガラス工房へ辿り着いていた。 『かっこいい切子グラスを作る人がいたから、青と赤のペアでオーダーした。半年後くらいに届くはず』 『楽しみだね』  そこで周防は眠ってしまったらしい。返信はなくて、僕はそっとスマホのバックライトを消した。  年度変わりで決算だから、僕はめちゃくちゃ忙しい予定だったのに、期末の内容は創業以来もっとも良好で、今期の見通しも明るい。  もっともっと腹に力を入れて、呼吸すら止めて難局を乗り切るつもりだった僕は、ちょっと拍子抜けだ。のんびり玉ねぎを炒めて、煮込みハンバーグを作る余裕があった。 「周防くんがいなくても会社が回るなんて、すごいじゃない。そこまで会社を育てるって、大変なことだと思うわ。周防くんと朔夜くんの努力の成果ね」  洗練されたデザインの服と靴とバッグ、僕には違いがわからないたくさんの化粧品、そして美容関係の雑誌やテキストにあふれた古都ちゃんの部屋で、僕は近況を話していた。 「うーん。そうなんだけど、ね」 「納得できないの?」 「そんなことないよ。僕も周防も、めちゃくちゃ頑張ってきたっていう自負はあるもん。それに周防は僕と違って人柄もいい。とても真面目で勤勉で情熱的な努力家だ。順調に進むのは当然のことだと思ってる。ただ……」  周防がいなくても会社が回るってわかったら、好奇心旺盛な彼はSSスラストから別のもっと面白そうなところへ、軸足を移してしまうんじゃないだろうか。  今回のキャラバンで、周防がどこか遠い場所に、面白いことを見つけてしまったらどうしよう。 「ただ?」 「ううん、何でもない。周防はフットワークが軽いなって思っただけ」 「お留守番が長くて、周防くんが楽しそうにしてて、寂しくて不安になってきたんでしょ?」 「は? 何それ? 僕は寂しくなんかないし、不安でもない! だいたい連絡手段なんていくらでもあるのに、出張に出かけるたびに寂しいとか、会いたいとか、空港に迎えに来てとか騒ぐ現象って、何なの? 彼氏に迎えに来てもらって、出張の同行者に見せびらかして、愛されキャラでマウントとりたいってこと? 別にそうやって勝ち上がりたいなら、協力はするけど。女性の人間関係って大変だね!」  皿に残っていた少し水っぽいマッシュポテトを口へ押し込んだ。古都ちゃんは安っぽいマジシャンみたいにフォークを揺らし、目の端で僕を見る。 「周防くんは、寂しいって言わないの? 朔夜くんは、よく周防くんのことを、駅や空港まで迎えに行ってるじゃない」 「だから何? 僕は古都ちゃんのことだって、要請があれば、ちゃんと迎えに行ってるだろ」 「そうね。いつも忙しい仕事の合間に、わざわざ迎えに来てくれて、ありがと」  古都ちゃんはハンバーグを頬張って、肩をすくめる。 「周防だって、冗談では『寂しい』って言うよ。でも寂しさの本質は、自己肯定感の低下だ。誰かの肌の温もりに自分の身体を押しつけたり、他者からの評価で自己の存在を確認したって、それは一時的な満足に過ぎない。周防は自己肯定感が下がっても、自分でちゃんとリカバリできる。寂しさをそんなに長く引きずらない。僕が周防を駅や空港まで迎えに行くのは、ただ単に話すことがありすぎて、時間がもったいないからだよ」  僕はどうしてこんなシンプルで簡単なことを、わざわざ説明しなくちゃいけないのかと思う。古都ちゃんへの説明を面倒くさく思いながら、早く周防を空港へ迎えに行きたいなと思った。

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