61 / 172

【番外編】6558 Archive 1993 -White-(3/4)

 周防について話せる人というのは、実は結構少ない。会社の評判や株価に影響するからだ。  お姉ちゃんは話せる人だけれど、下手なことを話して周防の株を下げたら、お姉ちゃんに片思いをしている周防に申し訳ない。  初期メンバーの蒲田さんと宇佐木くんには、言いたい放題に言えるけれど、スケジュールが合わない。  周防と一緒に生きていくと決めた時点で、僕に友人と呼べる人は周防以外いなくなった。  結局、話せるのは昔なじみの古都ちゃんだけになる。  僕はコーヒーを淹れてふたつのカップに注ぎ分け、テーブルに戻って古都ちゃんに話し続けた。 「周防はいつも、僕の予想以上の成果を出す。上昇気流を生み出したり、いい流れをキャッチしたりするのが、本当に上手いんだ。チャンスに向かって迷わず手を伸ばす勇気と、実現させる行動力がある」  いつもは周防の恋愛沙汰ばかり記事にしている大衆向け週刊誌も、4ページにもわたってインタビュー記事を掲載し、周防の勇気と行動力を褒めてくれている。 「そうね。それに、周防くんが取材で話しているとおり、オールラウンダーの朔夜くんがしっかり会社の要の部分を押さえて、さらにバランサーとして機能してるから、周防くんは全力疾走できるんだと思うわ。周防くんがSSスラストの象徴なら、朔夜くんはSSスラストの真髄。ありがとうって言えるのも、周防くんの素晴らしいところよね」  周防は僕の名前を出し、さらにはこのキャラバンを実現させてくれたスタッフや関係者にも、誠実な言葉で、心から感謝の気持ちを述べていた。  長い時間、周防に直接名前を呼ばれていない僕は、周防の口から自分の名前が出たことがとても嬉しくて、コーヒーを飲みながら記事を読み返し、改めて写真を見て気づいた。 「あ、髪を切った。周防はどこの美容院でも平気で飛び込んで髪を切るんだ」  ざら紙に印刷された解像度の低いモノクロ写真でも、毛先が軽くなっているのがわかる。 「滅多に美容院を変えない朔夜くんとは、大違いね」  少し伸びているサイドの髪を触られて、僕は首を傾けて避ける。 「見ず知らずの美容院へ行って、知らない人と話すのが面倒なんだ。周防みたいに誰とでも話すなんて、僕には無理」  食べ終えた煮込みハンバーグとマッシュポテトの皿をキッチンへ運び、古都ちゃんが食器を洗っているあいだに、鍋に残っているハンバーグとマッシュポテトを密閉容器に詰める。 「古都ちゃん。これ、冷蔵庫に入れておけばいい?」 「うん。明日のお弁当に持って行く。『彼氏に作ってもらった』って自慢しちゃう」 「ご勝手に。女性は弁当の栄養バランスと彩りにうるさいから、周りの目を気にするなら、野菜を足しておいたほうがいいと思うよ」  そんなアドバイスをしたところで、古都ちゃんにできる訳がないから、僕は冷凍のブロッコリーと人参をバターで炒めた。キッチンペーパーの上で冷ましてから、マッシュポテトの隣に添える。  シンクでフライパンと自分の手を洗っていたら、そっと背後から抱かれた。腰に回された腕の細さや、押しつけられる身体の柔らかくて華奢な作りをうっとうしいと思ったけれど、目が合ってニッコリ笑う古都ちゃんを嫌いなわけじゃない。  いったん目を逸らして逡巡し、久し振りに温もりが欲しいような気がして、笑っている唇にキスをした。  どうやら自分の性欲が薄く、女性の身体に対する興奮が弱いらしいということは、学生時代から気づいているけれど、依然として解決策は見つかっていない。  せめて古都ちゃんには満足してもらいたい、気持ちよくなってもらいたい。丁寧に口づけて舌を這わせ、指を沈めるけれど、僕の心はいつもどこか静かなままだ。 「仕事に没頭しすぎて、性欲が仕事で昇華されちゃうのかなぁ」  古都ちゃんがシャワーを浴びる音を聞きながら、自分のトラウザーズを拾い上げる。ワイシャツの裾を押し込み、ベルトを締めて、洗面所で手と顔を洗い、髪を整えた。 「朔夜くん、帰るの?」  ちょうど古都ちゃんが出てきた。掴んだバスタオルで口許を押さえながら、鏡越しに僕を見る。 「うん。周防の部屋を換気しなきゃ」  古都ちゃんとの2回戦目を回避したくてついた嘘だったけれど、僕は本当に周防の部屋へ行って、換気扇と空気清浄機をフルパワーで稼働し、ついでに布団乾燥機もセットした。  周防の部屋は、僕の部屋より必要なものが揃っている。生活感があるだけに、家主の不在も際立つ気がした。  ひとり暮らしを始めるときに「どうせ一緒に観るんだから、ふたりで金を出しあって、いいテレビを1台買えばいい」と周防が言って、僕もそのとおりだと思ったので、テレビはずっと周防の部屋に置いて共有している。画面が大きくて、画質も音質もよくて、普段はとてもいいと思っているけれど、消えている今は真っ暗ながらんどうが気になった。 「普段は、テレビを消していても何とも思わないのにな」  僕は自分の声が響く周防の部屋を出て、自分の部屋でシャワーを浴びた。肩に赤い跡があって、不意に身体が疼く。  全裸のままベッドに倒れて、自分の身体へ手を這わせた。胸の粒を触ると切ない快感がある。  古都ちゃんに胸を触られても、そんなに気持ちよくないし、腰を振っているときは、ただ集中力を切らさないようにと緊張している。僕はいつも何をイメージして絶頂を迎えるんだろうと考えるけれど、自分の興奮に手をかけて、わざと焦らしたり、追い上げたりしているうちに、自分を観察することなんて忘れてしまう。ただ枕に頬を押しつけて、こみ上げてくる快感を苦しく思いながら、ひたすら自分を苛み、噴き出す感覚に身体を震わせる。  冷静になって自分の手を拭うとき、ああ、またイクときの映像が何だったのか、意識するのを忘れたなと思うのだ。  きちんと襟元を合わせてパジャマを着て、濡れている髪にタオルをかぶり、僕は周防の部屋へ戻った。  換気扇を止め、空気清浄機を通常運転に戻して、最後に布団乾燥機を片づけた。  雲のような掛け布団を見るだけで、やっぱり僕はその魅力に抗えず、温かく膨らむ布団へもぐりこむ。  いつも通りに軽くて心地よかったけれど、布団乾燥機の温もりはしっとりしていなくて、周防の匂いがしなくて残念だった。僕は手を伸ばして周防の枕を抱え、深呼吸しながら眠りについた。 「うわあ、よく寝た! 初日からここで寝てればよかった!」  目覚めると同時に声に出してしまったほど、周防のベッドは寝心地がよかった。 「やっぱり寝具にこだわるって大事なのかも」  さっそく、自分の部屋のマットレスも買い換えようと思って調べ始めたのだけれど、諸説ありすぎて、すぐに検索疲れを起こした。広がっていくばかりな情報に長時間晒されて、げんなりしてしまう。 「別に周防のベッドで寝ればよくない?」  いちばん簡単な解決策を見つけ、僕はいつもどおりに出勤した。  古都ちゃんからのメッセージを受信したのは、昼休みだった。 『いただきます』  保存容器に突っ込んだだけの煮込みハンバーグを、どう加工したらこんな映える写真にできるのか。#彼ごはんとは彼が作るごはん、#ハンバーグ好き、#お弁当部、なんてハッシュタグと一緒にSNSに上げて、マウントを取ろうという魂胆が見え見えだ。 「ここまで闘志が剥き出しだと、いっそ潔くてかっこいい」  あざとい女子力に舌を巻いた直後に、ひとつのリンクが貼られた。  リンク先に飛んでみると、クリスチャンロスのブランド再開と、サングラス6558の復刻版『6558 Archive 1993』が発売を知らせるプレスリリースのページだった。周防が大好きなカート・コバーンと、お揃いのサングラスが手に入る! 「古都ちゃん、いい情報を掴むじゃん!」  発売日は4月29日で、日本では代官山と新宿と京都の3店舗で扱われると書いてあった。  周防はキャラバンの最終地・函館にいて、休日返上で仕事だけれど、僕は休みだ。 「買いに行こう。キャラバン完走のお祝いにプレゼントしよう」

ともだちにシェアしよう!