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【番外編】6558 Archive 1993 -White-(4/4)

***  サングラスが買えるかどうか不安と緊張でドキドキして、前日の夜は周防のベッドに入っても、なかなか寝つくことができなかった。  でも、周防に買いに行くと伝えている訳ではない。買えなかったら、そのときは何か別のカート・コバーンっぽいアイテムを探そうと自分に代替案を提示して目を閉じた。  そして開店の1時間前に代官山店へ行ったのに、驚くことに人が並んでいた。カート・コバーンとクリスチャンロスを甘く見ていた。僕は最後尾の人に「サングラスを買う列ですか?」と質問して、その後ろに並んだ。  さすがに僕の前で売り切れることはないだろうけど、それでも何だか不安になる。ボディバッグのベルトを両手で握って背伸びをし、前に並ぶ人の人数を数えたりしながら開店を待った。  開店と同時に列が動き始め、僕も店の中に入った。洗練されたデザインのアイウェアがたくさん並ぶ中でも、周防にプレゼントしたい復刻版はすぐ僕の目に飛び込んできた。  順番に店員が対応していて、僕は目を合わせてくれた店員に迷わず『6558 Archive 1993』を指さした。 「白をください!」 「ご自宅用でよろしいですか?」  訊かれて、プレゼントですと言おうとしたとき、鏡に映る自分と目が合った。  僕はボディバッグのベルトを握り締め、見たことがないくらい頬を紅潮させ、自分の子ども時代よりも子どもっぽい顔をして、めちゃくちゃ笑っていた。  サングラスを買えたからって、はしゃぎすぎじゃん? 急に恥ずかしくなって、小さな声で返事をした。 「じ、自宅用で、いいです」  ごめん、周防。自分のテンションの高さを、ラッピングで下げた。だってプレゼント用にラッピングしてもらったら、もっとはしゃいじゃいそうだと思ったんだもん。  心の中で言い訳をしつつ、クレジットカードを出し、商品を受け取って、会釈をして店を出た。 「やった、買えた!」  店から歩道に出る段差を、僕は両足を揃えて飛び降りていた。  僕はまた、いつもみたいに紙袋を突き出すような渡し方しかできないんだろうけど、周防はそれでも笑顔で受け取ってくれると知っている。  周防の笑顔を思い描いていたとき、スマホにメッセージを受信した。 『Mission accomplished!! 明日帰る!』 「わあっ!」  街路樹の緑が輝き、多くの人が往来する道で、僕は思わず歓声を上げてしまい、慌てて紙袋で口を隠し、咳払いをした。 『市場で新鮮な魚介を買って帰るから、俺の部屋で待機してて』 「わーい、新鮮な魚介っ!」  焼き魚は苦手だけど、新鮮な魚介を生で食べるのは大好きだ。  周防からのメッセージに飛び跳ねて、僕はサングラスが入った紙袋を手に周防の部屋へ行った。  寝心地のいいベッドで一晩ぐっすり眠り、毎日寝起きしていた寝具を全部洗濯し、掃除も換気も布団乾燥機も全部やったら、昼前にはやることがなくなった。  カーテンを全開した部屋には、初夏の光が満ちていて、窓越しに見上げる空は澄み切って眩しかった。飛行機が飛ぶ姿を見つけ、額に手をかざして目を細める。 「周防が乗ってる飛行機かなぁ」  機体は太陽の光を反射して、きらきらと眩しい。僕は思いついてケースを開け、白いフレームのサングラスをかけた。  そろそろ羽田に到着するはずだった。航空会社もわかっているけど、飛行機の離発着ルートや風向きと滑走路の関係はよく知らないから、航空会社のロゴマークを頼りにいくつもの飛行機を目で追った。  そのうちにただ飛行機を見ているのが楽しくなって、サングラスをかけたまま窓枠にもたれた。 「♪あーつく、いきーる、ひとーみがー、すきーだわ♪」  人を待つ時間がこんなにも楽しいのは、いつ以来だろう。 「早く帰ってこないかな」  着陸する飛行機がタイヤを出し始めるのを見ていたら、背後で声が聞こえた。 「ただいま」 「えっ」  周防を待ち侘びすぎて、幻聴が聞こえたのかと思った。  でも、ガタガタと物音が聞こえるので、玄関へ行ってみたら、周防は開けたドアを足で押さえ、片手にスーツケースを持ち、反対の肩に発泡スチロールの箱を担いで立っていた。 「お、おかえり」  スーツケースを運び入れるのを手伝い、ドアを閉めて、改めて周防は僕を見た。  周防は黒いフレームのサングラスをかけていた。僕が買った『6558 Archive 1993』の色違いだ。  そして、周防のサングラスには、白いフレームのサングラスをかけた僕の姿が映っている。 「いいサングラスを手に入れたな。佐和にしては珍しいチョイスだけど、似合ってる」  褒められて、僕は慌てて口を開いた。 「違うよ。これは周防に。キャラバンを完走した周防に、ささやかだけどプレゼント! お疲れ様でした!」  周防は薄く唇を開いて息を吸い、急いで発泡スチロールの箱を床に置いた。 「ああ、その。佐和こそ、お疲れ様でした。俺を思いっきり走らせてくれてありがとう。ただいまっ!」  肩の高さで両手を広げ、周防は笑った。 「おかえりっ!」  僕は腰の高さで両手を広げ、周防の腕の中に飛び込んだ。この身体の逞しさが僕に安堵を与えてくれる。無事に帰ってきてくれてよかった。  周防は僕の耳に口が触れる近さで笑う。 「サングラスごと、佐和をご褒美にもらっていいって?」 「そこまで言ってないだろ。サングラスだけだよ」 「サングラスだけでも充分に嬉しい。ありがとう。お礼に俺のサングラスをあげる」  僕たちは抱擁を解いて、互いのサングラスを交換した。  周防がスマホを取り出し、顔を寄せあって写真を撮った。  何の工夫もなくシャッターボタンを押しただけだけど、90日ぶりによく撮れた。 「いいね。僕たちはこうでなくちゃね」  画面を見て感想を述べたら、いきなり頭を掴まれて、逃げる隙もなく頬にぶちゅうっと音を立てたキスをされた。 「もう。だからなんで男のほっぺなんかにキスするのっ?」  周防は答えずにただ笑って、発泡スチロールの箱を持ち上げ、キッチンへ歩いて行った。  僕たちはキッチンで立ったままシャンパンで乾杯した。午後のあいだ、何度も乾杯を繰り返しながら、ヤリイカをさばいてイカそうめんを作ったり、動画の説明と首っ引きでアワビを殻からはずしてスライスしたり、カニの甲羅を開けて味噌の多さに歓声を上げたりした。調理するそばから互いの口に海の幸を放り込んで、腹の底から笑って過ごした。  日本酒もワインも飲んで、酔っ払ってさらに笑い上戸になって、頬の筋肉が痛くなるほどに笑っていたら、いつの間にか夜になっていた。  溺れそうで怖いという周防と一緒に風呂に入った。  周防はバスタブのふちに後頭部を押しつけて目を閉じ、息を吐いて全身の緊張を緩める。 「あー。自宅の風呂が一番落ち着く」  後頭部をバスタブのふちに押しつけて目を閉じた。 「お疲れ様」  周防の大きな手を両手で掴み、ゆっくりと力を入れてマッサージした。指を一本一本扱いて、爪の周りをそっと押していたら、手をつながれた。 「覚悟していた以上に、寂しかった。佐和がいない寂しさは、佐和でしか埋まらないと実感した」  つないでいた手を揺すられて、寂しかった気持ちが僕にも伝わってきた。僕は周防の手を、周防の心のように思って両手で包み、その言葉に頷いた。 「寂しさの主たる原因は自己肯定感の低下だけど、たまにはそんな例外もあるよね」  布団乾燥機で乾かした布団に一緒にもぐりこむ。  掛け布団は軽くて、今夜は内側にしっとりした温もりが行き渡り、鼻先には火をつける前のタバコの匂いがあって、僕はたくさん深呼吸をした。  周防は自分の枕の匂いをかいで、いたずらっぽい笑みを浮かべた。 「ずっとここで寝てた?」  僕は言葉に詰まり、質問で返した。 「何でそう思うの?」  周防は自分の枕に鼻を押しつけ、匂いを嗅いでから言った。 「佐和の匂いがする」 「嘘。僕、ちゃんと全部洗ったもん!」 「やっぱりここで寝てたんだな?」  誘導尋問に引っ掛かったことに気づき、悔しくて布団をかぶったら、布団ごと抱き締められた。 「愛してるぞ、佐和! セックスしよう!」 「しないよ!」  反抗的な態度をとったら、周防が僕に馬乗りになって、両手で脇腹をくすぐってきた。 「うわ、やめっ」 「正直に答えたらやめてもいい。俺がいないあいだ、寂しかった?」 「寂しくなかった!」 「ダウト!」  僕はさらにくすぐられて、ベッドの上をいつまでも笑い転げた。

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