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【番外編】6558 Archive 1993 -Black-(2/4)

 大好きな人がいない寂しさは、大好きな人でしか埋められない。  寂しかったが、仕事に没頭すれば気持ちは紛れた。  毎日新しい場所で、新しい出会いを繰り返す。どこへ行っても桜の花が咲いていて、俺はスマホの画面に切り取った。  毎晩、佐和に写真を送り、簡単な会話はした。  でも、1日の終わりにホテルのベッドに倒れ、佐和とのトーク画面を開けばすぐに、寂しい、会いたいとぐずりたくなる。そんなカッコ悪い俺を佐和に見せるなんて、絶対にイヤだ。  全力疾走すべきキャラバンの途中で、仕事に集中せず佐和を恋しがる、そんな情けない自分の姿を、俺は佐和に知られたくない。  苦肉の策として、俺は寂しい、会いたいと言いそうになったら、寝落ちたふりで会話を打ち切った。  そして、ひとりで佐和と愛しあう妄想をする。  下着を脱ぎ捨て、スマホの中から佐和の写真を選び、疼き始めている蕊を手に包む。  裸の佐和が抱きついてくれたり、キスを一緒に楽しんでくれたり、俺の愛撫に眩しそうに目を細めてくれたり、耳許で鼻にかかった甘い声を聞かせてくれたり、身体を震わせて絶頂を迎えてくれたり。そんな日は永遠に来ないけど、妄想だけは許してくれ。  脳内には、佐和の痴態が目まぐるしく展開される。  俺が佐和の耳を食み、手のひらで乳首を転がすと、佐和は呼吸を早め、頬を赤くして、抱きついてくる。その腰は快感に耐えきれず小さく揺れていて、俺はキスであやしながらさらに愛撫して佐和を悩ませる。  都合のいい妄想に浸り、佐和を求めて切なく疼く興奮に、自分の手で摩擦と圧力を与え、快感を目指す。 (僕、イきそう。周防も一緒に気持ちよくなろう)  現実にはありえないセリフに誘われて、俺は自分を追い上げた。 「ああ、ああ……っ、佐和っ!」  熱が鋭く腰を貫き、目を閉じた。薄紙に白濁を吐き出して、だらしなく口を開けて喘いだ。少しずつ呼吸が落ち着いてきて、ふうっと大きく息を吐く頃には、脳は急速に冷え、夢の世界から引き戻される。 「ごめん、佐和」  紙くずをゴミ箱に投げ入れ、布団を抱いて目を閉じた。佐和の匂いと体温がたまらなく恋しかった。 ***  会社からの報告はどれも良好で、すべては順調だった。 「俺なんかいなくても、佐和がいれば会社は回るんだよなぁ」  思考がネガティブなときほど、日光を浴びてセロトニンを生成したいのに、見上げる空に太陽はなく、指先から心臓まで冷えるみぞれまじりの雨に打たれた。  それでもキャラバンは進む。  少しずつ噂が噂を呼び、関心を持ってくれる人が増えて、行く先々で取材を受けるようになった。  地元テレビ局のニュース番組、ミニコミ誌、業界誌、ビジネス経済誌、大衆向け週刊誌まで、いずれも限られた時間での慌ただしい取材だったが、キャラバンの目的と自分の思い、手応え、感謝の気持ちは言えたと思う。 「共同経営者の佐和のおかげです。彼はとても優秀なオールラウンダーで、社内ではバランサーとしても機能しています。彼が会社の中心にいてくれるから、俺は全力で走ることができます」  どの取材でも、佐和の名前は必ず出した。佐和は表に出ることを嫌がるが、共同経営者である彼の存在なくして、SSスラストも、今回のキャラバンも成しえない。 「俺がSSスラストの象徴なら、佐和はSSスラストの真髄です。これからもふたりで手をたずさえて、1歩先の未来へスラストしていきたいと思っています」  今回のキャラバンに限らず、俺が取材を受ける機会は多い。担当窓口は広報と秘書室で、そのいちいちを佐和は把握していない。メディアを通じて何を言っても、佐和に伝わる可能性はほとんどないのだが、どこかで俺の言葉が佐和に届いたら嬉しいとぼんやり思う。 「マジで。マジで。マ・ジ・で、佐和に会いたい」  見知らぬホテルでひとりになって、背中を丸めて枕を抱き潰すほど切なかったが、東京へとんぼ返りする時間はどこにもない。  トーク画面を開いたら、それだけで泣き言を言いそうで、俺は黙った。佐和と24時間も話さないなんて、出会った日から一度もなかった。  ひょっとしたら、佐和から何か言ってくれるかもと淡い期待をしたが、何もなかった。 「最近、また彼女いるっぽいもんなぁ」  佐和は相変わらず秘密主義で、彼女の有無も自分からは明言しない。答えを聞いたところで、傷つくのは俺のほうだ。余計な詮索はせずにやり過ごしたい。  明け方までスタンプひとつ届かないスマホを握り続け、個人的には脳天がマントルにめり込むほどしょげていた。  しかし、仕事は自分でも運を味方につけていると感じるほど順調だった。  インタビュー記事をきっかけに声をかけてくれた自治体があり、俺はそのチャンスを掴むことにして、小さな町を訪ねた。  午前中に役所を訪問し、会社の本業と結びつく話をして歩き、午後に新規事業の手がかりを求めてガラス工房へ行った。  アレンジしてくれた取引先の社長は、子どもの預け先が見つからなかったと、小学校に入学したばかりの女の子を連れて来ていた。年齢の割に小柄で、スキップが上手な子だった。  俺も好奇心旺盛で、気になるものへは突進する。子どもの頃は、何度も親に頭を下げさせた。だから人のことは言えないが、高温になる炉があり、割れやすいガラスを扱う場所で、スキップが上手なのは心配になる。 「お姫さま、御手をどうぞ」  女の子は、俺が差し出した手を素直に掴み、俺にナビを任せて、自分は興味の向くままに見たいところを見て、琴線に触れるものを見つけると飛び跳ねた。  俺が大人たちを相手に真剣に工房の成り立ちを訊ね、今後の可能性を模索しているあいだ、女の子は俺のベルト通しに人差し指をかけて飛び跳ねていて、窓越しに吹きガラスの製作現場を見るときは、身長が足りなくて飛び跳ねたので、俺が抱きあげた。  炉から取り出されたガラスは、粘度が高くてよく伸びた。 「水飴みたいで美味しそうだな」  俺の感想に、女の子は目を丸くする。 「えっ? でもあれはガラスだから、食べちゃダメだよ。お口やお腹の中に、いっぱい刺さっちゃう」 「わかった。あれは食べないようにする。そのかわりにあとで何か甘い物を食べよう」  カフェテラスで休憩をして、りんごゼリーを食べた。銀色のスプーンですくうと、断面に光が乱反射して、きらきら光る。  女の子は、俺の視線を鋭く観察して口を開く。 「ガラスみたいだけど、これは食べられるから、もしガラスを見て美味しそうだなって思ったら、これからはゼリーを食べるといいと思うよ」  大きな目をきょろきょろと動かして言葉を考え、声のトーンにまで配慮しながら、俺がガラスを食べてしまわないように、代替案まで話してくれた。  ハードスケジュールと佐和ロスで弱っている俺にとって、この優しさはリーサルウェポンだ。 「そうだな。これからはガラスを食べたくなったら、ゼリーを食べるようにする」  工房の広報担当が俺たちの姿をカメラに収め、笑いかける。 「素敵なデートですね」  女の子は小さく息を飲み、俺は笑顔で頷いた。 「はい。とても楽しいです」  大人たちの関心が逸れてから、女の子は俺の耳を両手で覆って質問してきた。 「デートってチューするの?」  可愛い質問だが、本人の声は大真面目で、顔を見れば黒い瞳は左右に小刻みに揺れている。 「したかったらしてもいいけど、しなくてもいい。まだ若いんだし、そんなに焦らなくても。10年後だっていいと思うぞ」  女の子はほっと息をついて頷き、足をぶらぶらさせながら水を飲んだ。

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