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【番外編】恋とは、まことに付き合いにくい感情であった。(97)

 企画の主旨と提案書はスピーディーにまとまった。 「私は明日、光島先生にご案内いただいて、 提案書を持ってご挨拶回りを致します」  そう言う大門氏を現地に残し、俺は飛行機の便をひとつ繰り上げて東京に戻ることにした。 「疲れた……」  トップギアで突っ走るミーティングに頭を使ったのもあるが、何より有能で最低な光島の存在に神経をすり減らした。  俺のHP(ヒットポイント)のゲージは赤色だ。佐和に回復魔法をかけてもらいたい。 『I love you, my smile maker. 空港まで迎えに来て』  繰り上げた便名と到着予定時刻とともに、甘ったれたメッセージを送ってみたが、佐和はそれどころではなかった。 『アクシデント。広報の担当者が、広告代理店経由で横領。広告代理店に税務調査が入って発覚して、連絡が来た。今、調査委員会が調査中』  その担当者は、自分の職業を予備校講師と偽り、妻子の存在を隠して姪の多笑と付き合っていた男だった。 「クズはどこまでもクズだな」  空の上でリクライニングシートに身を委ねて回復を待ちながら、俺は苛々として牙を剥いた。 『調査は粛々と。ケンカはしないで』  羽田空港へ降り立つのと同時に佐和からメッセージが届いて、どうして佐和は、俺のケンカを予期できるのかと思う。  ため息の代わりに深呼吸して社に戻ると、佐和が報告にやってきた。 「おかえり、周防。まずはスマホを預かる」  そう言いながら手を出されて、俺は素直にスマホを差し出す。  佐和は赤いスマホをジャケットのポケットへ入れてから、無表情で静かに言った。 「広告代理店の談合を仕切って、収賄。賄賂(わいろ)のカネの出どころはウチ。つまり広告代理店を経由した横領。やってくれるよね」  氷点下の怒りを感じて、俺は震えながら報告を聞く。 「広告代理店を数社集めて、談合をさせていたんだって。ウチの担当者は予定発注金額を先に教えて、対価を受け取る。古典的かつ王道な手口だね」  佐和は笑って見せるが、俺の執務室には、ブリザードが吹き荒れている。ここは苗場か、ユーミンのコンサート会場か。 「持ち回りで、当番の代理店が、ウチの担当者から聞いた金額をもとに見積書を作成していたんだって。ほかの代理店はそれより金額の高い見積書を作って、当番の代理店が受注できるように協力していた。当番の代理店は、協力したほかの代理店に外注費の名目で、不正協力金を支払い、発注金額を教える担当者にキックバックの名目で賄賂を支払う取り決めだったらしい」  俺は樹氷になりかけているが、佐和はさらにブリザードを噴き出した。 「ウチはキックバックの入金伝票なんて、1枚も立ってないけどね! 茶封筒に入れた商品券はどこに行っちゃったんだろうねっ?」  そろそろ部屋全体が氷漬けになりそうだ。スキー天国どころか、遭難して天国一歩手前だ。佐和は大きく息を吸って、さらにまくし立てる。 「最低金額の見積もりで仕事を受注しても、協力した代理店への不正協力金と、ウチの担当者本人への賄賂を支払って、なお損しない金額が上乗せされている。つまり彼は広告代理店を経由して、ウチの会社のカネを横領! 令和の時代に、ウチの広報だけバブル期みたいな話だよね!」  ユーミンの『ブリザード』や『サーフ天国、スキー天国』がスキー場に響き渡っていた時代、そうやって仕事を回すことがあったと、話には聞いている。  お前たちはそんなやり方は知らぬ存ぜぬを通せ、誘われても関わるな、公明正大に行けとしつけられた。  会社を立ち上げてすぐの頃は、俺も佐和も、狙う仕事の説明会を聞いたあとに、他社の営業から声を掛けられ、喫茶店で話を切り出されたことがある。 『業界のしきたり』を断れば、世渡り下手だ、助け合い精神がない、話の分からない奴だと鼻で笑われた。  しかし、俺たちに向かってそう言った人たちは今、誰一人この業界に残っていない。だから、俺を公明正大にしつけた太宰さんや光島の判断は間違っていなかったのだろう。 「っていうかさあ! だいたい、広報なんて具体的な売上はゼロの部署じゃん! 何を販売してキックバックをもらえる訳?」  そろそろマヒャデドスを放ちそうな佐和に、栄養ドリンクを差し出した。 「今からそんなにMP(マジックポイント)を消費したら、肝心なときに詰む。エリクサーを飲んでおけ」  佐和は肩の力を抜いて笑った。俺の心は一気に春の雪解けだ。笑顔はいい。 「周防ってば、短時間でよくここまで詰めたね。とてもいいと思う」  機嫌を直し、主に光島と大門氏が作った企画書を褒めてくれる。 「ありがとう」  笑顔を返しながら、俺は日報を書き、面談者の項目から意図的に光島の名前を外した。佐和には隠し事はしたくないのになぁ。 「失礼します。調査委員会です」  内線ではなく、直接ドアをノックしてやってきた。 「周防社長と佐和副社長が、調査対象となりました。電子機器から手を離してください。お手持ちの電子機器、通信機器はすべてテーブルの上にお出しください」  俺は素直に端末から手を離し、佐和は2つのスマホをテーブルの上に置く。 「赤いスマホは僕ではなく、周防のものです」  端末には、今回の調査のためだけに発行されたバーコードが貼られて、それぞれパッキン付きの封筒に回収された。  調査に対して、社長、副社長の指示だと言い張るパターンは何度かあって、そのたびに俺たちは外部のデジタル鑑識会社に端末を預けている。  個人のスマホには、未整理のプライベートな画像も保存してあるが、調査に関係ない部分は無視してくれるから、気にしない。  証拠隠滅を図らないよう、佐和と俺は別々の会議室へ案内され、部屋の一番奥へ座らされた。  俺に余計な言い訳や先入観を与えないよう、見張り役は出入口に近い場所に無言で座っている。  仕事もできない、スマホもないとなれば、読書だ。俺はポケットに入れていた文庫本を取り出す。  佐和がひいた青色のラインを愛おしく思いながら、赤色のラインを重ねていたら、調査委員が部屋に入ってきた。  記録用カメラの録画ボタンを押してから、ヒアリングが始まった。 「この2枚の写真をご存知ですか」  普通紙にプリントアウトした写真は、どちらも佐和と姪と三人で写したものだ。  1枚目は12年くらい前に、初めて佐和が実家に遊びに来て、スイミングスクールから帰ってきた姪を抱き上げている写真。  もう1枚は、最近、姪が泊まりに来たときに、佐和と俺の頬で姪の頬を挟んで撮った写真だ。 「知っています。こちらは12年前、こちらは最近、それぞれ佐和副社長と、私の姪と3人で撮りました」 「最近、この写真を誰かに送信しましたか」 「12年前の写真は、私から姪に送信しました。最近の写真は姪から私に送信されました」  この2枚の写真は、姪がくだんの担当者に送信している。個人的な連絡だったのに、何が関係しているのか。  佐和は自分で自分の潔白を証明できるから心配していないが、姪に火の粉が降りかかるのは、できれば避けたい。 「こちらの写真を誰かに送信するよう、指示なさいましたか」 「いいえ」  佐和が姪に指示したが、それは佐和がきちんと話すはずだ。 「姪御さんが担当者と交際していたことはご存知ですか?」 「はい。予備校の講師とお付き合いしていると言いながら、彼の写真を見せてくれました。私は彼が広報担当なことは知っていましたし、仕事の休憩中だという彼の写真は、社内のカフェで撮影したものだとすぐに分かりましたので、姪にはそのまま伝えました」  調査委員はポーカーフェイスで次の質問を繰り出す。 「この写真で姪御さんとの交際の情報を握り、それを盾に、彼に広告代理店の談合やキックバックの要求を指示しましたか?」 「は? してません。姪に妻子の存在や職業を偽って交際していたことについては、非常に腹立たしく、怒りを感じています。だからって、なぜ私が、彼にキックバックを受け取るよう指示しなければならないのか、意味がわかりません!」  調査委員は疑問点をひとつひとつ潰して、事実関係を明らかにする任務がある。ただその任務を遂行しているだけの人に、俺が逆上するのはお門違いだ。  俺は失礼、と深呼吸して、椅子に座り直す。  ああ、早く家に帰りたい! 佐和に抱きしめてもらいたい! キスして頭をなでてほしい!  強くまばたきをし、肩を上げ下げして、集中力をつなぎとめた。

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