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第2話

昼休憩の時間に実家に電話をかけた由人は、通話を終えたあとため息をついた。 父は木曜の夜に帰るらしく、翌日の金曜の夜に来るようにと母に言われてしまった。 由人は自分の左手をじっと見つめていたが、実家に挨拶に行くと言った彼の姿を思い出し、口元を緩ませた。 「今日もキモイっすよ、小畑っち」 「あ、美夜子ちゃん。お疲れ様!あ、あのさ、あのさ!」 彼女が座った席の近くに慌てて移動していくと、待てをかけられた。 「まじキモイ、なんなの?」 「や、その……、」 由人は母に話した時よりも、かなり気持ちよく語った。母が相手ではあまり自慢げには話せず、消化不良だったのだ。 「それでさ、金曜日に静樹と俺の実家に行くことになったんだ」 「…ふぅん。本当にオープンなんだ。恵まれてんね」 美夜子の言葉に、厳しい顔をしていた母を思い出した。そう言えば、いつになく静樹に対して冷たい表情をしていたような気がするが。 「まぁ、結婚式でもやるんならまた教えてよ」 「けっ、結婚式ってそんな、」 「同性でもやるじゃん、最近はさ」 真っ白なタキシードは凛々しい恋人には似合いそうだ。思わず思い浮かべてうっとりとしていたが、店長の芹沢にいつまで休憩しているんだと言われ、慌てて勤務に戻った。 (おっと、静樹に連絡しておかなきゃ) こっそりと携帯を取り出して、実家に行くのは金曜日に決定。とメッセージを打ち込んだ。 初めて経験する感覚に、子供のように心が弾んでいた。 恋人からのメッセージを見て、夕方は全く仕事に集中出来なかった。 (金曜?金曜って金曜だな?) 由人から実家に挨拶に行く話を聞かされた翌日、彼の指のサイズを測った紙テープを持って小谷聡太のいる店舗に飛び込んだ静樹は、その場でデザインを決めた。 元々あまり悩むタイプではないし、インスピレーションで決定出来る。そう思っていたのだが、最終的に決めるまで二時間も費やしてしまった。だが、由人に身につけて欲しいと思えるデザインを発注出来たのだからと満足していたのだ。 (小谷さんはこのデザインは少し時間がかかると話していたし……) もしかしたら金曜日には間に合わないかもしれない。 そう考え始めると落ち着かなくなり、終業と同時に会社を飛び出した。 今日も昼間は雲ひとつない青空が広がっていたせいか、走り出して数分もしないうちに額に汗が滲み始めた。 信号待ちで足を止め、スーツの上着を脱ぐと少し軽くなった気がして走りやすかった。 「こっ、小谷さん!」 「わ、驚いた。……檜山さん。どうかされましたか?」 ウェディングアクセサリーのフロアに飛び込んできた静樹を見た彼は、すぐに笑顔になりソファに座るよう促してくれた。 「冷たいものをお持ちしますので」 飲み物を用意しようと離れかけた彼の手を掴んだ静樹は、聡太を引き止めた。 「そ、それより、ゆび、指輪!」 息を切らしながら金曜日までに指輪が欲しいと伝えると、いつもにこやかな彼の表情が曇り始めた。 「金曜日、ですか……」 通常は二週間はかかると言われたが、静樹が事情を説明すると、なんとかしてみますと返事をくれた。 指輪の仕上がりの連絡をやり取りをする為にメールアドレスの交換も終わらせた静樹は、疲れに襲われ重い足取りで帰路に着いた。 これほど全速力で走ることも久し振りだが、仕事以外でここまで頼み込んで頭を下げるのは初めてかもしれない。 (…本当にアイツの事になると慌ただしい) 精神的に疲れてしまった。そう思っているのに、指輪を見れば喜ぶだろう由人の姿を想像すると、口元が緩んでしまう。 悩みに悩んで選んだデザインは、一瞥するとボルトのように見えるかもしれないデザインだ。勿論実物のボルトとは違い、身につけても邪魔になるような事はないが、流線型の美しい指輪やダイヤの埋め込まれたものより、それに心惹かれてしまったのだ。 目にした瞬間、彼と自分の絆を強く締めて外れないようにしたいという言葉が頭に浮かんでしまった。あまり美しいデザインとは言い難いかもしれないが、値段はなかなかなものだった。 (いや、値段じゃねぇんだ) 自分が選んだあの指輪を、彼に身につけて欲しいとそう思った。他の誰にも渡さない。自分以外には許さない。 独占欲丸出しの指輪だが、彼の指にそれは似合うはずだ。 (あ、そうか) 「おかえり、静樹」 玄関まで迎えに出てきてくれた由人の笑顔を見て、必死になる自分を受け入れることが出来た。 「今日はちょっと暑かったよな。冷たいうどんにしたけど良かった?」 静樹の手にあったスーツの上着を受け取ろうと手を出した彼を、まだ体温の上がる身体で抱き締めた。 (結局は全部初めてなんだよな。俺にとって、お前が最初で最後だから…) 「静樹?」 「……由人、先に風呂入ろうぜ」 「は、え、一緒に?」 「俺が洗ってやるから」 「いやいや、狭いよ、無理無理!」 確かに男二人で入るには狭い。それはわかっているが、今は彼と密着していたい気分だった。 静樹はその場に鞄とスーツを落とすと、由人の華奢な腰に腕を回して身体を押し、その狭い浴室へとなだれ込んだ。 静樹の顔や甘い触れ方に弱い恋人は、耳に唇を寄せて名前を囁いてやると膝から力が抜けてしまうらしい。 あとは彼の後ろから体を押し付けてキスを繰り返してやると、静樹が挿入しやすい様に片手で尻を割り開いて見せた。 「……ん、ぅっ、」 わざとぬるくしたシャワーが煩わしくなり水を止めると、浴室の壁に押し付けるように後ろから奥まで押し込んだ。 「…声出さねぇの?」 肌よりも格段に熱い由人の粘膜にうっとりとしつつ、わざと甘い声で告げてみた。 「ば、か、近所にきこ、え、っ、」 シャワーを止めてしまうと囁き声すら反響してしまう。だが、彼の尻の中は歓喜に震えるように蠢いていた。 「……く、」 そもそも、明日も仕事なのに結局セックスを許している彼は本当に静樹に弱い。 (愛されてる証拠か) 頭に浮かんだ言葉は自覚した以上に胸を騒がせた。 「……愛してる、由人」 愛を告げた静樹の手にペニスを擦られる由人は、立っているのが辛いのか膝をガクガクと揺らしている。 「……ッ、ん、ん、む、ムリ、む、りぃ、」 お願いだから、ベッドに。 彼からの可愛いおねだりに微笑んだ静樹は、仕方ないな、と気の済むまで彼と寝室で濃密な時間を楽しんだ。 《まさか逃げたりしないわよね?》 人の恋人をなんだと思っているのだろうか。両親に挨拶に行くと決めてからの母は、恋人に対して風当たりが強い気がする。 「母ちゃん、もしかして静樹の事気に入らなかった?」 《気に入らないことは無いわよ?ただ、あれだけ泣かされてるのにどうして別れないのかしらって思ってるだけ》 「え?そんな風に思ってたの?」 《だから、明日は男らしい所見せて貰えないと困るんだからね。お父さんの前で情けない事言ったりしたら、別れてもらうんだから》 てっきり母も静樹を好意的に見てくれていると思い込んでいた由人は、驚いてしまった。 「そんな、別れるとかないから。もう……俺は静樹がいないと無理なんだし…」 《何を馬鹿な事言ってるのよ!とにかく明日は遅刻しないでね。きちんとしないなら認めないんだから》 一方的に切られてしまった通話を終え、由人はコンビニで昼食のおにぎりと野菜ジュースを買った。 (おっと、銀行だ) 昼休憩に出る前、店長の芹沢に銀行の用事を頼まれていた事を思い出し、駅の反対側に向かって歩き出した。 大好きな母に予想していなかったことを言われて驚いてはいたが、もし両親が認めてくれなくても、もう静樹と別れることは考えられなかった。 セックスが出来るようになったから、という事もあるが、彼の愛情表現がとにかく嬉しくて幸せだった。 この先、彼以上の人なんて考えられない。 彼だけがいい。 春の強い陽射しの中、幸せな気持ちに胸を満たして歩いていた由人は、その姿を視界に捉えてしまった。 目指す銀行の向こう。小さな個人経営の喫茶店の前で、スタイルのいいスーツ姿を見間違えるはずがない。たった今、思い浮かべていた愛しい恋人だ。 何故彼は向いに立つ同じスーツ姿の男性の手を握り締め、往来で見つめ合っているのだろう。 (…………え?) 静樹が両手を握り締めて話す相手は、遠目から見ても愛らしい印象の細身の男性だった。 綿菓子のようにふわふわと柔らかそうな髪をしていて、優しい笑顔を浮かべて静樹を見上げている。 由人はすぐに背を向けて、今来た道を歩き始めた。 今のは、見てはいけないものだった。静樹ほど魅力的な男に見つめられれば、誰もが頬を染めることはわかっている。相手の性別など問題にはならないだろう。 (今の誰?誰?) スーツ姿なのに、華奢で美しい印象だった。 自分の視界に入るのは、ホームセンターの制服であるポロシャツだ。美しいもなにもない、ダサい服装でしかない。 次々と頭に浮かぶ疑念を打ち消そうと、自然と足が早くなる。 由人は銀行の用事は終わらせることなく、職場であるホームセンターに戻ることしか出来なかった。

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