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第8話
俺たちがみんなのところに戻ったとき、みんなは食事を始めていたが、ベルデとイラスがいなかった。
「イラスは、どこに行ったんだろう?」
俺はぼんやりその言葉を口にした。
琥珀も怪訝そうな顔をしている。最初こそ俺たちを歓迎して食事を用意してくれたけれど、食料が限られている砂漠の中で、<純血>の人々が、食事できる機会は少ない。ふたりはときどきどこかに消えていて、多分「練習」しているのだと俺にも想像がついたけれど、でも、食事時にいなくなることはなかった。ふたりとも、食事ができるのは、貴重な機会だと知っていたから。
俺はふと、ある予感に襲われた。
「琥珀。あの」
俺は、隣の琥珀のマントを引っぱった。それにつられて、彼が俺を見る。
「あの、イラスは、みんなのために生贄になろうとして、街に戻ったんじゃないですか?」
「あ……!」
琥珀は驚いた顔をした。初めてその可能性に気づいたようだ。
「そういうことか。そうだ、昨夜襲われたのは、もともとイラスが生贄になる約束で、それが破られたから……?」
琥珀はそう言いながら、ジャイマを見る。
そうか。
イラスはその話を琥珀にしていたんだと思っていたけれど、そうではなかったのかもしれない。
俺はふたりの会話を最後の方しか聞いていなかったけど、単に、彼らは<居留地>の生贄について話していただけだったのかも。
ジャイマは琥珀の視線を受け止めた。
「そうだ」
それは、初めて見た琥珀の表情だった。
なんだろう。怖い。それを見たとき、その感情が俺の胸に湧きあがった。琥珀はものすごく怒っていた。今までで一番。
でも一方で、俺には彼に対して、かわいそう、そんな、哀れみのような気持ちも浮かんだ。どうして。
「灰簾、街に戻るぞ」
琥珀はそう俺に言って、らくだの方に駆け出した。
イラスを助けにいくんだろうか。俺は慌てて彼のあとを追う。
「ねえ、琥珀。怒ってるんですか」
俺を乗せて、夜の砂漠を進み出した琥珀に尋ねる。
「怒ってる」
「ジャイマに?」
俺は、自分が一番怒りを感じたのはジャイマだったような気がして言った。
でも彼は長老だし、イラス以外の<純血>のひとのことを考えて決めたんだ。
さっき、琥珀がイラスに一緒にいたときに言っていたように、誰かひとりは犠牲にならなきゃいけないとしたら、それがイラスでなければ他の誰かになるだけだ。俺が彼らの中でイラスに救われたのは単なる偶然で、他のひとだってそれぞれ、大事なひとがいるだろう。
それが、自分の知らないひとならよくて、知っているひとだったら怒るのは、ちょっとおかしい。
「……自分に」
琥珀がぽつりと言った。その声が震えていて、俺は彼を振り返りたいと思った。
「イラスにあんな話をされて、何も気づかなかった自分に。自分の話をして、彼の、後押しをしてしまった自分に。だけどそもそも、俺自身生贄を出すことに賛成しているから、あんなことを言ったんだ。俺が彼に言ったのはそういうことだよ。俺は彼に生贄になれと言ったんだよ、自分は正しかったと言って」
俺はそっと、彼の頬にてのひらを伸ばした。指先が濡れる。
琥珀は泣いていた。俺の胸はきりきりとして、苦しいと思ったのに、でも、苦しそうな彼の顔が好きだとも感じて、戸惑った。
イラスが死んでしまうかもしれないのに、俺はイラスのことは、ほんの少ししか考えていなかった。それで琥珀が怒って、苦しんで、傷ついているのに。俺はほとんど、琥珀のことを考えていたんだ。琥珀を元気づけたいとか、もっとじっくり、彼に触れたいとか。
もう一度、彼の唇にも触れてみたかった。
俺はひどい。イラスは俺に親切だったのに。
「イラスを、助けに向かっているんですか」
イラスを助けたとしたら、また、ジャイマたちは襲われるんじゃないだろうか。
そのことが気になって、俺は琥珀に尋ねた。彼の返事はすぐにはなくて、俺はそっと指先で、彼の頬を撫でていた。
しばらくして、琥珀が呟いた。
「……魚市場の前で最初に出会ったとき、俺はイラスを助けない方がよかった。そうだろ」
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