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第16話

 眠ったのか眠らなかったのか、よくわからない。  気がつくと砂漠の端が紫に染まり始めて、朝がやってきた。  長い時間食事もとっていなかったし、夜は死ぬほど寒かった。  俺は、琥珀が抱きしめてくれていたからいいけど、琥珀はマント一枚で大丈夫だっただろうか。  イラスだった煙はもうほとんど残っていなくて、風が灰を少しずつ攫っていった。  このままこうして太陽が上るのを待っていたら、今度は暑くて死んでしまいそうだ。 「琥珀、起きてますか?」 「うん」  返ってくる琥珀の言葉は、いつもより子供っぽい言い方だった。彼は気づいているんだろうか。 「これから、どうするんですか?」  俺があの家でベルデに会ってからもう一日経っている。でも、琥珀は彼を助けに行くだろうか。  ベルデが、みんなのために生贄になることを望んでいるのに? 「何もしない」  駄々っ子のようなそんな言葉を聞いて、俺はベルデから琥珀に、伝言を預かっていたのを思い出した。  でも今の琥珀に伝えるべきだろうか。琥珀は今、自分がイラスに言ったことでイラスがこうなってしまったことに、深く傷ついているのに? 琥珀は、自分が最初にイラスを助けなければ、イラスもベルデも、一昨日の夜に襲われていなくなったひとも、犠牲にならなかったと思っている。  そんな矢先だった。 「……!」  ぼんやり眺めていた砂漠の向こうに、うっすら煙が見えた。それから立て続けに、たくさんの黒煙が上がっている。  何が起こったのか、嫌な予感しかしなくて、俺はもうしゃべりたくなかった。  俺が何を言っても、これ以上琥珀が苦しまない方法が思いつかなかった。  俺はものすごく行きたくなかった。たぶん琥珀も同じだったと思う。  それでも、琥珀が感情の見えない声で「行こう」と言って、俺たちは黒煙の上がった砂漠の向こうに向かった。  何時間か移動して、俺たちはもともといたところにたどりついた。  そうだ、そこはジャイマたち、しばらくの間一緒に行動をともにしていた<純血>のみんながいたところだった。  予想していたとおり、そこには十人ほどの死体があった。ジャイマも含めて、どちらかと言えば大人のひとたち。  年若い少年たちの姿はなかった。 「たぶん、若い子たちは、<光>に……」  琥珀がかすれた声で言う。  ベルデが生贄になると言ったのに、それでは足りなかったんだろうか?  琥珀はその場に座り込んでいた。  俺は彼の後ろに立っていた。彼はどうするんだろう。こんなにたくさんのひとを<楽園>に還す儀式なんて無理だろう。薪が足りない。  ベルデからの言葉を、今言うべきだろうか? 苦しんでいる琥珀に、追い打ちをかけるような気がする。  それでも、今言わないと、彼はもう壊れてしまうような気もした。 「琥珀。ベルデがあなたに伝言を」  彼は黙っている。 「『あなたは希望です』」  琥珀は俺を見た。今にも泣きそうな顔だった。  それを見て、俺はドキリとした。琥珀は苦しそうなのに、今それを見られるのが俺しかいないのに、後ろ暗い悦びを感じて。 「……なあ灰簾」  彼はそっと、その手を俺の方に伸ばした。 「はい」  俺は彼のそばに近づいた。彼の手が、俺の頭に触れる。 「俺が、おまえにやってほしかったことを言うよ」  低い、かすれた声。  その言葉を聞いて、俺は思い出す。  そうだ、最初にこの大陸に来たときに、彼が俺に言ったのだった。いつか、俺にやってほしいこと。  彼が俺を、あの場所から救い出して、ここまで連れてきた理由。  俺は琥珀を見た。それは、俺が聞かなくてはいけないこと。  彼が俺に望んでいる唯一のこと。 「灰簾。俺が間違っていると思ったら、おまえが俺を殺してほしい」  殺してほしい。  その言葉にドキリとして、俺は琥珀の顔をもう一度見た。びっくりするぐらい、穏やかな顔になっていた。 「琥珀?」 「灰簾。おまえには、利害がない。<火の一族>のみんなは、俺がやっていることが正しいのか、客観的には見られないから」  彼の指が移動して、そっと俺の頬の傷に触れた。 「今でもいいよ、灰簾」  この男はこういうとき、なぜ微笑んで俺を見るんだろう。まるでやさしい人間みたいに。 「琥珀、あなたは最初からそのつもりで、」  なんて重い役割だろう。俺は彼に彼が大切だと言ったのに!  彼は俺の額にかかった髪を撫でて、その生え際に唇を落とした。 「おまえはそれができる子供だよ。俺はそういうやつを探してた」  そうだ。彼は自分のナイフで、ひとを殺せる俺を仲間にしたんだった。 「琥珀」 「ごめんな。俺はずるいだろう? でももう俺にはわからないんだ。自分がいつから間違っているのか、それとももっと進むべきなのか。たくさんのひとが俺に期待していて、自分でやめていいのかもわからない」  琥珀の翠の目が、俺を見る。その目尻が潤んでいた。  それが彼の心からの望みだと俺にはわかって、何を言っていいのかわからない。  俺にひどいことを頼んでいるのを知っていて、でもそれをしてくれる誰かを、心の底から探している琥珀。  彼が望んでいるものを与えたいと思って、俺は手を伸ばして彼の首に手を回した。 「はい、わかりました」  琥珀の腕が俺の腰に回る。ぎゅっと抱きしめられる。まるで、甘えているように。  琥珀。あなたは間違ってなんかいませんよ。悪いのは、<光の一族>のやつらです。  そんなふうにささやいて彼を赦したい気持ちを抑えて、俺は彼を抱きしめかえす。  だって、あなたが俺に望んだことは、あなたを赦すことじゃない。あなたを裁くことだから。 第2話 炎の子 終
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