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光の子 1章 第1話
ついさっきまであれほど猛威を振るっていた砂漠の太陽が死に、薄紫の闇が立ちのぼってくる。あっという間に夜が世界を支配するだろう。
イラスたちと別れたあと。俺と琥珀は、何度も街と砂漠を旅した。
海の近くの西の砂漠だけじゃない。琥珀は色々と旅して、<火の一族>のいる場所を探していた。そのひとたちが困っていたら助けたり、その中で、琥珀と一緒に戦いたいひとがいれば、<白き氷の国>の<大学>まで連れていく。
そこには琥珀の仲間がいた。彼と同じように、心臓に複雑な柄の炎の入れ墨を入れているひとたちだ。
大学は悪くない。よく雪が降って寒いが、琥珀の仲間が、寝るところも、食べるものも与えてくれる。
だけど、俺は砂漠の方が好きだった。
昼は暑いし夜は死ぬほど寒い。その上何もない。いつも喉が乾いていて、油断したらすぐ死んでしまう。
それでも、自分自身の感覚が研ぎ澄まされている場所だから。油断したらすぐ死んでしまうから、それだけ生きている感じがした。
俺はぼんやりと最後の太陽を眺めている琥珀の背中を見つめて、息を殺して近づいた。
足元が砂に沈む。砂の上で歩くのもここ数年でだいぶ慣れたが、それでもなかなか上手くは歩けない。琥珀は微動だにしないが、気づいているだろうか。
俺は息を吐いて、琥珀に飛びかかった。
「……ッ!」
さらりと琥珀が身を躱し、俺は砂の中に頭から突っ込みそうになる。やっぱり。気づいてたか。
なんとか踏ん張って砂の中に直撃するのを避けると、俺はすぐ体勢を戻した。琥珀はすっかり離れてしまっている。
俺は一回跳ねると、正面から彼に掴みかかる。そのまま、砂の上に押し倒そうとした。
と、見せかけて、琥珀が逃げた方の足先に自分の足を引っかける。
「……甘い」
琥珀が小さく微笑んで俺の手首を捕まえてきた。
騙されないか。
自由な時間があると、俺と琥珀は練習してるんだか遊んでるんだか、こんなふうに時間を過ごすことが多くなっていた。たしか最初は俺が教えてほしいって言ったんだ。俺が琥珀にばっかり守ってもらっているんじゃ、足手まといにしかならないし。
戦う時の琥珀はいつも、なんていうか、……キレイだった。
するりと躱してしまって、とらえどころがなくて、でも無駄な動きは全然なくて。
それで、俺が動いたせいでそんな動きをさせてるっていうのが、なんだか気持ちいい。
だから、琥珀と戦うのは楽しいのだが、少し、うっとりもする。
「あ……」
そのとき、琥珀がバランスを崩して、地面に倒れ込んだ。俺はびっくりした。
だって、今まで一度も俺は琥珀に勝ったことがなくて。いつも全力で戦っていたのに。
勢い余って俺も、琥珀の腹の上に倒れ込んでしまう。慌てて彼の両脇に自分の手をついて、彼を押しつぶさないようにした。
琥珀の新緑のような瞳も驚いたように見開いていて、彼も驚いているのがわかる。
「あ、あの、すみません」
俺が慌てて体を起こそうとすると、琥珀は俺を引き寄せて、俺の肩を叩いた。
「灰簾、強くなったなあ!」
そのままぎゅっと抱きしめられる。俺は彼の熱にドキドキしてしまう。
そうだ。そんな彼の体格も、俺ともうそんなに変わらない。もしかしたらこのまま、俺は彼を抱き上げて立つこともできるんじゃないか?
俺は彼を抱き上げる自分を想像してみた。今まで何度も自分は抱き上げられてきたが、彼を抱き上げるのも、悪くない気がした。
「……もう子供じゃありませんから」
「そうだな、重くなったよな。身長ももう、俺と変わらないだろ?」
嬉しそうに俺を自分の隣に寝転ばせて、彼は俺の髪を撫でた。
そうされるのは嫌いじゃないけど、子供扱いなんだと思う。だって彼が、自分の周りの年が近い人間に、そんな態度をとっているのを見たことがない。そうされて安心する、俺がまだ子供なのかもしれないけど。いやじゃない。いやでは全然ないのだけれど。
「はい」
琥珀の額が俺の額に当てられた。
厳密には、俺の方がほんのちょっとだけ視線が上になる、気がする。最近。
俺は思わず俺の頬に自分の手を伸ばして触れる。少しだけ顔を寄せたら、その唇が俺の唇に触れそうだった。
出会ったばかりのころは、そんなことを時々したのだけれど。今だってしたいと思うし、たまにするけど、なんだか最近は息苦しくて、ざわざわして落ち着かない。
「そうだな。そろそろおまえの身分証を作ろうか」
琥珀は柔らかいまなざしで俺を見ている。
「身分証?」
耳慣れない言葉に俺が繰り返すと、彼が説明してくれた。
「そうだよ。十七歳以上になったら、みんな国を移動する時に見せる必要があるカードだ。おまえの見た目だとそろそろ、子供じゃ通らなさそうだからな」
その言葉は俺を嬉しくさせた。俺は自分の年齢が自分でもわからないけど、でも見た目はもう子供じゃないっていうことだろう。
思わず微笑んでしまう。
「ほしいです!」
琥珀は苦笑した。
「まあそんな、いいもんじゃねえよ。結局、あいつらが管理するためのものだから」
低く呟く琥珀の声を聞いて、俺の胸が痛む。きっと、光の一族が他の一族を管理するためのものなのだ。
しゅんとした俺の気持ちが、顔に出ていたのだろう。
琥珀は今度はやさしく微笑んで、俺の頭をまた撫でた。
「そうだとしたら、おまえの成人も祝ってやらなきゃな。まあ俺たちとは、数え方が違うだろうけど」
「あなたたちは、どんなふうに祝うんですか?」
「<居留地>では何年かに一度、成人になるための試練があって、それをみんなが切り抜けられるように祭りをやるんだ。そろそろだから、見せてやるよ」
「それって、<居留地>に行くんですか」
「そう」
琥珀は少し俺から視線を逸らして、小さく頷いた。
居留地。琥珀の故郷。
その場所の名前を聞いたことは何度もあった。夢の中でも何度も見たけれど、その場所に行くのは初めてだった。
琥珀が生まれ育ったところ。
彼はあまり自分の話を俺にしないから、俺はそれを聞いて嬉しかった。
たぶんあんまり見せたくないんだろうけど、俺は小さいころの彼のことを知りたかった。
俺は手を伸ばして彼の腰回りに自分の手を回して、そのまま彼にしがみつく。近づいた彼の頬に、自分の頬をこすりつける。
嬉しい。温かい。気持ちいい。ざわざわする。落ち着くけど、落ち着かない。
ずっとこうしていたい。
「嬉しい、です」
笑った琥珀の手が、俺の背中をやさしく撫でる感触がした。
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