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第2話

 <居留地>に向かうのに、俺と琥珀は北の砂漠の果ての町から、乗り合い馬車に乗った。  安い値段の馬車だから、座席なんかはなくて、色んなひとがまとめて荷台に乗せられている。夜になっていて、ほとんどのひとが寝ていた。  そんなとき、琥珀は目立ちたがらないから、たいてい目深にフードをかぶってじっとしている。  俺はそんな琥珀に迷惑をかけないように、膝を抱えてぼんやりと周りのひとを眺めている。  さっきから、俺がどうにも落ち着かない気持ちになっていたのが、正面にいる少女だった。まだ、琥珀に出会ったときの俺よりも幼いように見えた。  彼女はずっと膝を抱えて、フードをかぶって小さくなっていたが、小刻みに震えていて、寒いか、泣いているのか、何かにおびえているのか。そのどれかのように見えた。この馬車の幌にたいして防寒機能はついていないから、夜は冷える。  初めて俺が琥珀とあの大陸を抜け出したときも、こんな感じだっただろうか。  かつての自分を見るような気がして、俺は彼女のことが気になった。  あのときは琥珀が俺をずっと抱きしめてくれていたから寒くはなかったが、彼女はひとりだった。  でも、彼女に話しかけたらこの静かな荷台の中で目立ってしまうだろうか。  俺はちらりと琥珀の顔色を窺ったが、彼の横顔にはなんの感情も窺えない。  俺は決心して、彼女に声をかけることにした。 「大丈夫ですか? 寒かったら、マントを貸しましょうか?」  聞こえていないかと思ったが、彼女はぼんやりと顔を上げる。 「……寒くは、ないです」 「大丈夫?」  彼女は俺の顔を見ると、突然抱きついてきて泣き出した。  女の子に抱きつかれたことのない俺はびっくりする。  それに、隣で、俺の声に気づいたらしい琥珀の視線を感じた。琥珀が、気にしていないといいのだが。  琥珀はあまり周囲に注目されちゃいけない。それは俺もわかっている。  落ち着かせようと、俺は彼女の背中を撫でた。俺が不安になったときには、たいてい琥珀がそんなふうにしてくれるから。  幸運なことに、周りの乗客はほぼ眠っていて、俺たちに関心を払っている様子のひとはいなかった。 「どうしたのか、聞いてもいい?」  しばらくして、彼女が落ち着いてきたので、俺は聞いた。もしかしたら、言わせるのは彼女を苦しめることになるのかもしれなかったが、彼女は話したいかもしれない。どちらかはわからなかった。  彼女の涙に濡れた瞳が俺を見る。 「わたしの村のひとが消えてしまったの」  訛りがあったが、大陸共通語だった。俺の言葉に合わせたのだろう。俺は、自分が聞き間違えたかと思って彼女の言葉を反芻した。  俺の腑に落ちない表情が伝わったのか、彼女は重ねて言う。 「あの、本当なんです。わたしが<居留地>に果物を売って戻ってきたら、人間がいなくなっていたんです。家はそのまま、大地と木もそのまま。ただ、人間だけがどこにもいなくて……」  俺は自分の聞き間違いではないことを理解したけれど、彼女の言っていることがうまく想像できなくて、思わず隣の琥珀に目をやった。いぶかしげな琥珀の視線と目が合う。彼にもよく理解できないようだ。  そのときだった。 「神の怒りだ」  低い、男の声がした。  俺は慌てて、声のする方を見た。斜め前に座る、琥珀より十歳ほど上の男だろうか。  髪が、黒い。  俺はそのことにすぐ、興味を惹かれた。無造作に伸びた髪は漆黒だった。俺と同じ色。  俺は<黒き石の大陸>を逃げ出してから今まで、自分と同じ髪色の人間に出会ったことがなかった。  どんな目の色だろう?  それが気になって彼を見上げると、ちょうど、こちらに顔を向けた彼の瞳の色が見える。深い、藍。  それをみて、ふしぎな気持ちが湧き上がった。なんだろう。ちょっと泣きたいような、でもいやではないような。……懐かしい?  考えていると、彼は重ねて言った。 「知らないか? 村は、神の怒りを買ったときに消える。最近増えている」  俺の腕の中にいた少女がおびえて、俺に強くつかまってきた。 「どういうことですか?」  彼は肩をすくめる。 「言葉どおりの意味だ。神は我々の行いに不満を覚えると、その意思をなんらかの形で示す。村の人間を消すのもそのひとつだ」  俺は不思議に思った。イラスたちの話では、神は光の長老に殺されたのではなかったか。  しかし、この男は火の一族には見えないから、琥珀たちとは違う信仰があるのかもしれない。  俺が心配になって腕の中の少女を見ると、彼女はさっきよりもひどく震えていた。 「お父さんもそう言ってた。神様を絶対怒らせちゃいけないって。だからわたしたち、何も悪いことはしてない。なのに、なにが、悪かったの……? <居留地>で商売なんかしてたから……?」  彼女はまた泣き出して、俺は慌ててその背中を撫でた。  俺は複雑な気持ちになる。彼女は何も悪いことをしていないかもしれないけど、琥珀たち<火の一族>にとっては、他の一族に対して、そうは感じないだろう。俺は琥珀の事が心配になって、彼女の背中を撫でていない方の手を、琥珀の方にのばした。  すぐに彼の手が俺の指先に触れて、俺は彼の手を握った。彼の手に触れて、俺は少し冷静になった。もしかしたら、石か水の一族ではあたりまえの神話なのかもしれない。俺と琥珀がそれを知らないのは、ちょっとおかしいと思われるかもしれなかった。 「あの、あなたは……?」  俺が黒髪の男性に尋ねると、彼は小さく微笑んだ。 「藍晶だよ」
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