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第5話
そのあと、俺たちは少し街をぶらぶらして、夕闇が始まるころに、メルーの店に戻った。メルーはまだ帰っていないようだ。
琥珀は床に座って無言でナイフを研いでいる。俺はさっきから図鑑を見ているふりをして、彼に話しかけようとタイミングを見計らっていた。
琥珀が手入れを終えたのを見て、俺は彼の隣に座り込む。
「琥珀。お話したいことがあります」
俺がそう言って琥珀を見つめると、彼はため息をついてナイフを横においた。
「成人の試練のことか?」
彼にも予想はついていたらしい。
「はい。俺は、参加できませんか?」
彼は俺の肩を抱く。子供にするように。
「なあ灰簾、俺はおまえが成人の試練に参加するのは反対だよ」
「よそ者はだめですか?」
「そういうことじゃないんだ。だって、おまえはせっかく、……」
琥珀は何かを言いかけて口をつぐむ。俺は彼を見た。肩を抱かれているので、顔が近い。
「……?」
「つまり、俺たちの一員になるっていうのは、この世界で追われる者になるっていうことだろ。おまえは<石>の身分証だって持ったし、前も言ったけど、俺たちが<革命>を目指しているのは、おまえには関係ないことだ。おまえは自由だろう?」
自由。その言葉は俺の心をいらだたせる。
そうだ。イラスも言っていた。俺がこの世界と関係がないことは、とても幸福なことだって。
<王国>にいたとき、俺は何者でもなかった。琥珀のことも知らなかったし、<火の一族>がこの世界では虐げられていることも、そもそも自分が誰なのかも。
俺はずっと誰でもなくて、みんながそれをいいことだと言う。
俺はあの小さなカードをもらって、この世界で何をしてもいい。
だけど、俺はいつもこの世界から放り出されている気持ちになる。
「灰簾。俺はおまえを拾ったけど、おまえが望むなら、無理に俺と一緒にいることはないんだ。おまえはもう成人なんだし、どこかで働いて、金が貯まったら大学に行ってもいいし、結婚したっていい。なんでもできるよ」
琥珀にそう言われて、俺はまるで崖の上で足を踏み外したような絶望的な気持ちになった。どうして。
「琥珀、俺を捨てるんですか? 俺があなたの望みを叶えないから?」
そうだった。俺は彼を殺すように頼まれて、何年も経ったのに、そうしなかった。彼はそれに失望したのだろうか。
「灰簾。そうじゃないんだ。っ、泣くな」
言われて気づく。俺は泣いてるんだろうか。子供みたいだ。これじゃあもっと琥珀に嫌われてしまう。
「ああ、灰簾。俺はおまえを利用するつもりで拾ったけど、それについて反省してるよ。俺たちが出会ったとき、おまえはまだ子供で、大人の力を必要としていたけど、今はそんなことないだろ? おまえは賢いし、強くなった」
琥珀の声がやさしくなって、なだめるような口調になる。琥珀が反省してる? 意味がわからない。俺は首を振った。
「…いやです……」
思っているより、ずっと小さなかすれ声になった。
「違う、灰簾。俺は、おまえがいらないわけじゃない。頼りにしてるよ。ただ、俺といることで、おまえの持っている未来が潰されてしまうだろう? 俺は一族のみんなのために生きなくちゃいけない。だけど、おまえにまで強いるのは違うって、ずっと考えていた。身分証の話だってそうだ。おまえは俺たちと違って、行きたいところに行ってやりたい生活ができる。それなのに、わざわざ俺たちの一員になる必要はないんだ。
成人の試練で、一番初めにここに、入れ墨を入れるよ」
琥珀の指が、俺の心臓の上に触れた。そのやさしい指先の感覚に、心臓が早くなって、苦しくなった。
彼は続ける。
「そうしたら、それは一生消えない。身分証があれば色々なところに行けるけど、服を脱いだらわかってしまう。おまえと仲良くしていたやつが、それを見たらおまえを殺すかもしれない。それでも、おまえは文句は言えない」
そう言って、俺を見る琥珀の眼差しはつらそうだ。
「なあ灰簾。俺といたいならいてもいい。でも、成人の試練については駄目だ。考えてみろ。一生だ。一生閉じ込められ、追われる存在に、なりたいか?」
頭ではわかった。そりゃあ、いやはいやだ。<火の一族>はひどい目にあっている。そうしなくていいのに、それを選ぶなんて馬鹿みたいだ。
琥珀は一緒にいたいならいてもいいと言った。そうだ。別に、<石の一族>の灰簾のままでも、琥珀と一緒にいられないわけじゃない。でも俺は、その選択肢はどうしてもいやだった。
「……俺は、あなたの敵になりたくない」
言葉にしてみたら、しっくりきた。
俺はなんでこんなにこだわっているのか。自分が彼の一族の人間でないのは、ずっと気づいていたことだったのに。
俺は彼と一緒にいて、彼以外の<火の一族>のみんなといて。彼が大切にしているものを壊す人間になることがいやだった。俺は、彼を守りたいのに。
「灰簾」
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