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1章 第1話

「またあの男の夢を見てたな」  目を覚ますと、俺の腹の上に女が乗っている。重い。はやせ。<水の一族>の姫。この場所で、俺の<妻>と呼ばれる女。  上から俺の顔を覗きこんでいた彼女は、色素の薄い髪を翻し、不機嫌そうな顔で言う。 「文句があるのか。琥珀の夢は悪くないんだろ」  琥珀との甘い夢を邪魔されたことが不快で、俺の言葉は毒気をはらんだ。<試練の島>で気を失って、気がついたら<楽園>と呼ばれているこの島で目覚めてから五年。すっかり、自分の口が悪くなったと思う。大半は、こいつのせいだ。  石と草だらけの寒々しい島。ここは<大学>のように雪も降らないし、<赤き海の大陸>のように砂漠でもない。ただ海風が強くて、殺風景だ。 「会わない人間の夢は石が育ちにくいと、何度も言ってるだろ」  何度注意しても学ばない子供に言い聞かせるように、彼女は俺に言う。たしかに、それはこの五年、繰り返し彼女に聞かされたことだった。彼女は俺の夢に入って、<石>を集める。それが彼女の役割だった。 「琥珀は俺のところに会いにくるよ。さっきの夢でも、会いたいって言ってただろ」  彼女はわざとらしくため息をつく。 「<火の一族>がここを見つけるのは簡単じゃない。彼らは水に対する技術を持たない」 「琥珀は来るよ!」  思わず声を荒立てて、俺は咳きこんだ。めまいがする。近頃はすっかり、体調が悪い。  はやせが声を上げる。 「ほら、夢の材料が足りなくなっているんだ。ベルデ!」  その声に応えるように、天蓋の向こうから、精悍な顔つきの青年がやってくる。ベルデ。  遠い昔に、<赤い海の大陸>の西の砂漠の街で別れた、イラスが愛したひと。  この見知らぬ土地で、俺は彼に再会した。ここでは<水の一族>、<石の一族>、そして色々なところから連れてこられた<火の一族>も働いていた。ベルデもそのうちのひとりだ。 「王に血をわけてやれ」 「はい、はやせさま」  その指示に従って、彼は黙って自分の腕をナイフで切り裂いた。俺は自分でも抑えられない力で、それに唇を寄せる。  血の味。  それ自体はどろりとして気持ち悪いのに、めまいが止まり、呼吸が楽になる。  体は楽になったのに、気持ちは苦しかった。ベルデの血を飲んだから、俺はまた、ベルデの夢を見るのだろう。  彼の夢はいやだ。何度もイラスが出てくるから。もうどこにもいないイラスが。 「いい加減近くにいる人間に切り替えろ。すべての<火焔>を取り込まないと、きみの母親の二の舞になるぞ」 「うるさいな」  はやせは肩をすくめて部屋を出ていく。彼女がいなくなったのを見て、ベルデは俺の頭を撫でた。  今は俺もほとんど彼と同じ体格なのにおかしいけれど、最初に出会ったころに小さかったせいか、俺もつい大人と子供みたいな気分がしてしまう。 「灰簾。俺も、エトナ様は来ると思うよ。そうしてきっと、俺たちに世界を取り戻してくれる」  彼は美しい夢を見ているように微笑んで、俺にそう言う。  だけど、彼がそれを口にするとき、俺はつらい気持ちになった。ベルデは存在しない幻想を見ている。それでも俺は、それを否定することは言えない。いや、言えないんじゃない。彼が信じないのだ。俺は一度も隠していない。 「大丈夫だよ、ベルデ。エトナが来たら、俺を彼に殺してもらう。そうしたら全部、終わりにできる」  やっぱりベルデは、何も答えなかった。

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