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第3話

「つまり、<夫>はきみに最初に精を注ぎ込んだ<石の一族>のことだよ。心当たりがあるだろ? きみが殺したんだから」  なんでもないことのように言う彼女に、俺の手は勝手に震え出す。  彼女の手にしている緑色の石。玉随。彼女が言っているのは、俺が彼を殺したこと。 「なんで、なんできみがそれを知ってる?」 「そりゃ、おれたち<水の一族>は王の夢を泳ぐ一族だから。きみの夢は全部知っている。きみの夢はすべて真実だ。ただ、時間や空間が揺らいでいるだけ」  彼女はつまらなそうに手にした緑の石を床に落とすと、それは音を立てて簡単に割れた。 「ほんとうに、ろくでもない<夫>」  いくつもの、理解できない単語。  俺は言われたことを整理して、理解しようとした。 「つまり、俺に初めて精を注いだ男の石を、夢を介して俺が生み出すと、きみは言っているのか?」 「そうだね。ただ、きみが夢を孕まなければ石は生まれない。それには、<愛人>が必要だ」 「<愛人>?」 「きみが<火焔>を受けた<火の一族>のことだよ」  彼女はつまらなそうに、俺の胸元の入れ墨に触れる。黒い入れ墨。  それは、試練を乗り越えた他の<火の一族>のように、はっきりと色づいていた。 「……琥珀、のこと?」  琥珀との口づけのあとに、よく見た琥珀の夢。  俺は思い出した。イラスとはそんなことをしたことはなかったが、彼の夢も見たことがある。 「そう。<火の一族>との深い接触のあと、きみはその人間の夢を見るだろう?」 「深い接触?」 「そう。<火焔>、つまり、血や精を受けるような接触」  血や精?  俺は記憶を探る。  そういえば俺は、いつも琥珀と接吻や<練習>をしたあとに彼の夢を見た。それに、イラスの夢を見る前には、彼の血を口にしていなかったか。もちろん、琥珀とイラス以外のひとの血に触れたこともあったけれど。 「そういうひと、全員の夢は見ていない、と思うが」  俺が言うと、彼女は当然のようにうなずく。 「愛人なんだから、誰でもではないさ。きみが好意を抱いて、<火焔>を受けたときだけだ。<火の一族>の<火焔>、それは光の王の夢の燃料だ。交わす想いが深いほど、夢の質はよくなる。愛人だからな」  俺は、イラスが死んだとき、自分に黒い煙が入ってきたのを思い出した。 「彼らが死んだときにも夢を見た」 「一度夢を見るほどの仲になっていた<火の一族>であれば、彼らが死ぬときの黒煙でも、それなりの夢が見られる。その夢で<光の王>は夢を孕み、<妻>となったおれたち<水の一族>はそれを刈り入れる。石を定期的に生み続けるのが、<王>の仕事だよ」  彼女はさらさらと話す。まるで、ずっと正しかった真実であるかのように。俺には理解できない。  その中でも一番わからないのは、彼女がさっきから、<光の王>をまるで俺のことのように言っていることだ。 「俺が戴冠したって、どういうこと?」 「そりゃ、きみが王になったっていうことだろ。前王の<夫>、藍晶がきみをここに連れてきて戴冠させた。きみが眠っている間に、神殿で儀式をしたんだ。ほら、きみには王の<しるし>がある」  彼女は俺の胸元に当てていた手を額に動かすと、俺の前髪を掻きあげた。自分の顔は見えなかったが、彼女の手が触れようとした俺の額が、光を放ってその手をはじいたのがわかった。彼女は痛そうな顔をして手を引っこめる。 「きみが神の所有物であるしるしだよ」 「なんで……、なんでそんなことを勝手に」  藍晶という名前に動揺する。俺にやさしそうなまなざしを向けて、俺の頭を撫でて去っていったひと。  最後に彼が俺に会ったとき、彼はそんな、俺の意思に反して、勝手なことをするような人間には見えなかった。 「勝手にって、勝手なことをしていたのはきみのほうだ。<光の王>の血を継ぐ最後の人間なのに、自分の役割も知らずに、ずっとどこかに行っていたんだから」  彼女はあきれたように言う。 「俺が、<光の王>の血を継ぐ最後の人間?」 「そうだよ。<光の一族>はもう、前王ときみしかいない。前王の後継はなかなかできず、やっとできたきみは生まれてすぐ、どこかに行ってしまった。戻ってきたんだからこれからは、きみも人々に対する貢献をしないといけない。おれたちだってみんな、自分の役割を果たしているんだから」 「俺の役割?」 「そうだ。きみの役割は夢で石を孕むこと。おれの役割は石を取り出して神に捧げること。石を捧げなくては、神の怒りが示される」 「……神の怒り?」  どこかで聞いた言葉だ、と思った。 「近頃、人々が消えている。前王がもう夢を孕まなくなっていたから、神が怒りを示された。だから代わりにきみがここに来た」 「きみの言うことがわからない」  彼女はため息をつく。 「きみが理解しているかしていないかは、重要じゃない。きみはもう王だし、ここからは出られない」  俺は首を振る。 「わからない」  繰り返しそう言いながらも、俺はあるひとつのことに気づいていた。  訛りのない大陸共通語。彼女の言葉は、俺とまったく同じだった。そしてそれは、あのひと、藍晶と名乗った、俺に似たひととも同じ。  俺たちは、同じ言葉を持っていた。

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