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第3話
「きみと別れてから、ここに連れてこられたんだよ。もう十年くらい前になるか」
俺もあの渇いた街で最後に彼に会ってから、どのくらいの年月が経っていたか考えた。そのくらいだろう。
「生きててよかった!」
俺が思わず言って彼に抱きつくと、彼は俺の背中を撫でた。
「大きくなったな」
あのころと違って力が余って彼を押し倒しそうになった俺に、感慨深げに彼はつぶやく。
その彼の指先から血が出ていることに気づいて、俺は自分の口の中が血の味になっていることを思い出した。
「さっき、俺が噛みましたか? ごめんなさい」
俺が謝ると、彼の表情から微笑みが消えた。
そもそも、俺の口の中に指をつっこんでいたのはベルデの方だ。
「楽になったか?」
そのとおりだった。でも、肯定するのはいやだった。
たしかに、俺は彼の血を飲んで楽になっていたのだ。
ここに来てから、俺の体調はあまりよくなかった。それでも、<火の一族>の血を口にすると、いつも楽になる。
その事実を俺は否定したかった。
それでも今から思えば、今までだって体調を崩したときに、彼らの血や唾液といったものを口にしたいと感じて、俺はそうしてきた。イラスの傷を舐めたことも、琥珀に唇を触れさせたこともある。そのあとはいつも彼らの夢を見て、俺は元気になっていた。
それに、なにか関係があるとは思っていなかったけれど。
「そうみたいです。……ごめんなさい」
謝る俺に、彼は黙っている。わかっている。
謝ればいいということではないだろう。俺だって納得がいっていない。俺が、彼らを餌に生きていることなんて。
俺は<火の一族>になりたかった。琥珀の味方でいたかった。そのために、<試練>も受けたのに。
それなのに、彼らを生贄としてここに連れて来させているのは、俺が生きていくためだなんて。
泣きたい気持ちになったが、さすがにもう子供ではなかったし、ベルデともそこまで親しくはなかったから、俺はできるかぎり冷静な声を出そうとした。
「ベルデは、俺が、その、……彼らの王だと知っているんですね」
それでも言葉につまった俺に、彼は表情のわからない顔で言う。
「藍晶さまに聞いたんだ。きみが来るって」
その名前を聞いて、俺は思わず彼の顔を見た。藍晶。
<居留地>に向かう途中、ごくわずかな時間、俺と旅した<石の一族>の男のひと。<試練の島>の幻覚に出てきたひと。
「灰簾。俺の息子」
低い声。声をかけられて、俺は振り返った。
「藍晶、さん」
俺によくその似たひとの、青い深い色のまなざしは微笑んでいる。
「あなたは、なぜ俺をそんなふうに呼ぶんですか」
その答えをもうほとんどわかっていながら、俺は受け入れることができずに聞いてしまう。
「きみには俺がやったことは許せないだろうが、きみは、俺と前の<王>、夕月との子供だからだ」
彼はちらりと自分の後ろに目をやった。それにつられて俺もそちらに目をやると、彼の後ろにはまるで人間くらいの大きさの、巨大な石の塊が見えた。
彼に対して怒りを感じていることはたしかなのに、思わずつられて俺もそちらを見る。
「夕月は、もう、俺の夢しか見なくなってしまった」
彼はそう言うと、愛しげにその青い塊を撫でた。
それで俺は気づいた。真っ青で硬質な石の中に、ぼんやりと人間の形が見える。
「これが、……お母さん?」
俺は思わず、その塊に近づく。なんだろう。そう言われたせいか、その塊の中の人間の姿は、どこか知っているような、懐かしいような気がする。
「灰簾。きみはここに連れてこられたことに納得がいっていないだろう。きみはあの、<火の一族>と一緒にいて幸福そうだった」
言われて俺は思わず彼の顔を見た。わかっているなら、どうして。
「俺は、夕月を<夢>を生む仕事から、<王>としての立場から、解放してあげたかった。彼女は長い間、本当に俺たちが何代も入れ替わっている間に、ひとりで<王>として、<夢>を生んできた。たくさんの他の一族を犠牲にしながら」
あの、だって、どうしようもないですよね。
俺は、自分が彼の問いに答えたことを思い出した。
『灰簾は、もし他にも大切なひとがいて、どちらかを幸せにしたらもうひとりが不幸になるとしたら、どうする?』
そんなことを聞かれた。そうだ。
「あなたが言っていた、不幸になる方が俺だったんですね」
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