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第3話
「抱いてやればいいのか、おまえが望むように」
琥珀に冷たく言われて、俺は何を言っていいのかわからない。俺はきっと、そう願っていた。彼と<練習>をして、それも好きだったけれど、俺はどこかで、彼が自分の欲望を俺にもぶつけてほしいと思っていた。
だけどそれは、俺が<光の王>だからだったのだろうか。ただ単に、自分の生命を永らえさせるための本能にすぎなかったのか。
……いやだ。
俺の息が止まってしまう。
こわい。
彼と触れあうようになってしばらく、心の奥底に隠していた感情が、ふたたび俺の中に湧きあがる。
彼と抱きあいたかった、でもこんなふうに、憎しみを込めた目つきではなくて。
それなのに俺の体は彼を受け入れることがまるで自然であるかのように、勝手に欲望に反応してしまう。
「……いやだ……」
彼の顔を見つめた、琥珀の手から力が抜けた。
俺はどんな顔をしていたのだろう。
俺のすぐ間近に、琥珀の顔があった。
「……灰簾」
彼は苦しそうに、俺の名前を呼んだ。
少し荒々しくはあったが、目が合った彼のまなざしからは、さっきまでのような憎しみが消えていて、ほっとする。彼は痛みを我慢しているような顔をしていた。
彼は俺をじっと見つめると、それからぎゅっと抱きしめてきた。こんなふうにぎゅっとしてほしいと、今まで何度求めただろう。
「灰簾」
彼に、名前を呼ばれるのは好きだ。頬に、彼の体温を感じる。昔のように、心が緩んでしまう。
体を離すと彼はまた、俺の顔をじっと見つめた。頬に触れた彼の指が、顔の傷痕を撫でる。ずっと、昔の傷。
それから、彼はため息をついた。
「灰簾、俺はやっぱり、おまえに与えたいんだよ。おまえから、奪いたいわけじゃない」
苦しそうな声だった。
わかっている。彼は<光の王>である俺を殺すべきなのだ。それが、<抵抗する者>である彼の役割。
「灰簾。よくわからないから教えてほしい。つまりおまえは、俺がいればいいのか? 俺の精があれば? そうしたらここから離れて、今までみたいに一緒に旅をしながら暮らしてもいい?」
言われて、俺は彼と過ごした日々を思い出した。
暑かったり寒かったり、ひとを殺したり殺されたり、どうしようもない日々だったのに、胸の奥がきゅうっとなる。
俺の唯一の、暖かい記憶。
初めて<赤き海の大陸>に渡った日に、枕投げをして、床に横たわる俺の隣で眠ってくれた琥珀、弟のように俺を抱きあげて火山を見せてくれた琥珀、俺に笑ってほしいと、わがままを言えと言った琥珀、強くなったと、抱きしめてくれた琥珀……。
「……戻りたい……」
甘い、慕わしい記憶にとらわれて、俺は思わず呟いた。
俺の声の響きに、あきらめを感じとったのだろう。琥珀は俺の頭を撫でて、それから俺の瞼の上に口づけた。
「ああ、灰簾。俺がおまえに与えられるものなら、なんだっておまえにやるよ」
少し濡れた感触がして、自分が泣いているのだと気づく。
「よく、ひとりでがんばったな。大丈夫だよ、ここからは俺がおまえを守ってやる」
あやすように、琥珀が俺にささやいた。
俺はもう、わかっている。ここから逃げようとしても、俺は逃げられないだろう。もしかしたら、神は怒りを示して、また人間を消すかもしれないし、もしかしたら琥珀を消すかもしれない。それでも、俺は彼の甘い提案に抵抗ができなかった。
「はい……」
そのまま、ぎゅっと彼に抱きついた。
「大丈夫。俺だけじゃない。ここまで来ることができたのは俺だけだけど、メルーもニオスも、途中まで一緒に来てる」
耳もとにささやかれた言葉に、心臓の奥を冷たい手でつかまれたような感じがする。
もしかしたら、消えるのはふたりかもしれない。いやたぶん、きっとそうだ。
それを知ったら彼はどうするだろう。それを考えると俺はそのことを口にできずに、琥珀の胸の中でずっと泣いていた。
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