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4章 第1話

 寝台に横たわる俺の隣に、琥珀が眠っている。何年ぶりだろう。  <楽園>に来てからは、はやせが不機嫌に俺の夢の残骸を回収するためにやってくることがあるくらいで、ひとりで寝ることも多かった。ひとりになると俺は、たいてい床で眠って、琥珀に会ったころを思い出していた。そもそも、今だってひとりで眠るのは得意じゃない。  ついさっきまで俺は彼を抱きしめて、彼もまた俺を抱きしめて、俺たちはずっとお互いに触れていた。  彼に触れていると俺の体調はどんどんよくなったし、俺はそれ以上のこともしたい欲望に駆られたが、琥珀は眠ってしまったようだった。まだ昼間だが、疲れているのだろう。ここに来るまでに、どんな旅路を過ごしたのか。水が苦手な<火の一族>は、簡単には<楽園>に来られないはずだった。  それに、はやせや大臣たちが俺に望んだことをするのも癪だ。別に、俺だって彼らが自分のためだけに俺にそれを求めていないことはわかっている。俺も人間に消えてほしいわけじゃない。ただ、誰かに操られているようなのが、気分が悪いだけだ。  そう、誰かが消えるかもしれない。  たぶん、俺がここから出ていこうとしたら、またそういうことが起きるのだろう。前にも起きた。  俺はここから出られない。<しるし>がある。  楔。何も知らなかった、俺の初めての友達。  誰かが、やらないといけないこと。そう言って、生贄になることを選んだベルデ。 『あの、だって、どうしようもないですよね』  俺は、いつだってずっと、見捨ててきた。  自分のために。自分が生きのびるために。  今までのことを振り返ると、俺は苦しくてどうしたらいいかわからない。  俺は見捨ててきたし、だから父親に見捨てられた。  自分がやってきたことを、自分で支払っている。  琥珀はまだ、ここにベルデの他に、<火の一族>がいることを知らない。その誰かが犠牲になるかもしれないし、もちろん、メルーかニオスかもしれない。それとも、俺たちの全然知らない、どこかの誰かかも。あの馬車で一緒だった女の子の家族みたいな。  ダメだ。  やっぱり俺はここで、琥珀をもといたところに返さないと。ベルデがいることを知らせよう。  琥珀はきっとベルデと一緒に、ここにいた<火の一族>を連れ出して、彼らを家族のところに返してくれるだろう。  それがきっと、一番いい。  それでも、水と石の一族はまた<火の一族>を連れてきて、俺を生かそうとするだろう。神が怒りを示すから。  俺がそれを止めればいいのか。やっぱり、俺が死んだらいいのか。  だけどそうしたら琥珀も、<火の一族>もいずれは消えてしまう。  やっぱり、誰か、どこか一部の人間を犠牲にして、それ以外のひとたちは楽しく暮らしていくべきなんだろうか。  何を選べばいいのかわからない。  だって、どの選択肢も誰かは不幸になるんだ。  俺も楽しく暮らしたかった。  毎日琥珀の顔を見て、ただただ楽しく幸せに暮らすようなことは俺にはできないのだろうか。<赤き海の大陸>で見かけた、多くのひとみたいに。  俺に許されたその時間は終わってしまったのだろうか。  ──もし琥珀が、ここにいてくれたら。俺はもう何があっても、幸福なのに。  そんな思いがちらりと、脳裏を走る。俺は慌てて首を振った。  そんなことを望んではいけない。  彼は、<火の一族>のみんなのためのひと。  「灰簾、泣いてるのか?」  ふいに頬に温かい琥珀の体温が触れて、俺は我に返った。  琥珀が目をあけている。言われて俺は、彼に顔を近づけすぎていたことに気がついた。彼の顔まで、俺の涙で濡れている。  それで起こしてしまったのだろう。 「……大丈夫です。すみません」  琥珀はいたたまれないような苦い笑いを浮かべて身を起こすと、俺の額に自分の額を押しつけた。  子供のころのようなしぐさ。懐かしくて、胸が苦しかった。 「そんなに泣いて。大丈夫じゃないだろ、灰簾」  新緑のような、彼のまっすぐな瞳。  それに見つめられて、俺はもう、秘密を守れない。 「ごめんなさい。俺は、あなたと一緒に行っちゃいけないんです」  自分でもびっくりするぐらい、震える声だった。 「どうして?」  やさしい、琥珀の声。 「俺が自分の役割を果たさないと、みんなが消えるから」

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