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第8話

 そうしたら、どうなっていたのだろう? それでも俺はいつか藍晶に見つけられて、この場所に戻されたのだろうか。  もしかしたらもっと早くて、生きていた母親と出会っていたかもしれない。早ければ俺は、さほど気にもせずに<火の一族>を犠牲にして生きていただろうか?  俺が何も気づかなければ、世界はそのまま、平和に進んでいたのだろうか。  彼が言うことはたぶん、そのとおりだった。俺たちがイラスを見捨てるべきだったように、彼も俺を見捨てるべきだった。そうしたら彼も、こんなところで彼の一族を見捨てずにすんだのに。 「琥珀、俺に会わなかったとしたら、あなたは?」 「たぶん<革命>のどこかで、何か失敗して死んでただろう。おまえのところにたどりつく前に」  俺は目を閉じて、そんな可能性のことを想像してみた。  そうして、少しだけ笑った。  そんな未来より、今の方がずっとよかった。 「琥珀、俺はあなたに会って、呪いにかかって、よかったです。あなたが死ぬまで、ずっとそばにいられるなんて」  思いつめた声で、琥珀が呟く。 「灰簾、俺が<試練の島>で見た幻について教えてやるよ」 「え、誰にも言ってはいけないんですよね?」  驚いて俺は彼の肩から顔をあげた。 「いいよ、おまえに伝えておきたい」  その言葉に深刻な響きを感じて、俺は頷いて琥珀の瞳を見つめた。 「はい」 「あの場所で俺が見たのは、自分が死んでゆくところだった。そうして、それを誰かがひどく嘆いていた。俺は死にかけてたから、誰が嘆いているのかはわからなかったけど、俺の手をそいつが握っていて、俺の手は涙でびしょびしょだった。俺はそんなに年はいってなくて、それでたぶん、自分はそう長く生きはしないのだろうと思った。そのとき、自分が死を怖れているというのはちょっと意外だなと思ったが、違う。俺が一番怖れていたのは、おまえをおいていくことなんだ」 「琥珀……」 「おまえと出会ってから、たまに。ふと考えることがあった。俺の手を握っていたのは、おまえじゃないのか」  そうか。だから彼は自分は長くは生きないと、何度となく口にして、俺を遠ざけようとしていたのか。彼は俺をまた抱きしめた。 「灰簾、俺はきっとそんなに長くはおまえと一緒にいられないよ。おまえはきっとひとりで全部背負うことになる」  わかっている。だって、俺が見たのは俺がひとりでいるところだから。 「大丈夫ですよ」  俺は琥珀を抱きしめ返して、その耳にささやく。 「俺があの島で何を見たと思います?」  今度は琥珀が顔をあげて、俺の顔を見た。彼も、すぐに理解したようだった。俺が見たのは、俺がこれから迎える未来についてだろうということに。 「俺は大丈夫だから」  大丈夫という言葉に胸を痛めたように、琥珀の表情がまた歪む。 「灰簾。ああ。俺の炎を、おまえのために消したいよ。俺の炎を、おまえにすべて与えたい」  嬉しかった。あのずっと俺を拒んでいた琥珀が、そんなことを俺に言ってくれたことが。 「俺もです」 「俺が生きている間に、俺ができることを、すべておまえにやってやるから」  俺は自然と微笑んでいた。 「嬉しいです」  琥珀は自分の頬を、俺の頬にこすりつけてきた。  あのとき藍晶は俺になんて聞いたんだっけ? 幸せかって?  たくさんのひとを犠牲にして、これからもしようとして。  それでもたぶんこれは、こんなどうしようもない地の涯で、俺が感じている感情に一番近い。  ──幸せだ。

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