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第9話

---------------  林檎の香りで目を覚ます。風の音で、草原がざわざわとしている。  ひらいた瞼の向こうには、俺を見下ろす琥珀の笑顔が見える。  琥珀。きっと、彼を大切に思うひとたちは、彼の帰りを待っているのだろう。メルーとか、ニオスとか。  ベルデは俺と琥珀の話を聞いてくれたけど、ひどく失望した顔をしていた。琥珀が俺といることを選んで、彼らの解放に、今は何もできないと告げたことについて。  それでも、琥珀は微笑んで俺を見ている。そのことにひそかな悦びと、少しの罪悪感を覚える。 「灰簾。林檎を見つけたぞ」  手渡されたそれは、ずっしりと重くて赤くて、かつて彼が俺にくれたものと、同じものとは思えなかった。ここの果実はみんなそうだが。 「ありがとうございます」  受け取ると、俺はひとくち口にした。 「甘い」 「それはよかった」 「ほら、あなたも」  俺は果汁のこぼれた唇を、そのまま彼の唇に押しつける。じゃれあっているうちに押し倒された。新緑の瞳がいたずらっぽく俺を見る。 「ん、本当だな」  最初に唾液が触れあった途端に、頭に残る偏頭痛は霧散した。  その代わりのように、甘さと興奮に、頭がくらくらとする。 「ああ、琥珀──」  素肌に忍び込む指の熱に、俺も高まっていく。しかしさっき見ていた夢が、しつこく頭から離れない。  それでも俺は、生み出される熱で、それを消そうとする。  たびたび見る淡い夢。  俺は、古ぼけた誰もいない居留地に、いつでもひとりきりだ。たまに不思議そうな顔をしている、少年のときの自分がいるだけで。  噴火する火山。<試練の島>で見た幻。  ずっと未来の夢。  そうだ。  俺はいつかひとりで、誰もいなくなった、この世界の終焉を見守る。 END

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