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編入初日5
溜息を吐きながら部屋の中をグルリと見回していると、ソファの背もたれ部分に浅く腰をかけていた黒崎が、笑いを含んだ口調で本音を言った。
「俺は幼稚舎からここにいるから小さい頃はなんとも思ってなかったけど、さすがに世間の常識を知るようになってからはここの状況が凄いって事は理解しているよ。…でも正直な話、便利で贅沢に過ごせるっていうのは嬉しいね」
その言葉に無言で頷き返す。
確かに驚きはしたものの、どうせ過ごすなら良い状況でいるに越した事はない。
これに慣れたらダメだとは思うけど、やっぱり楽なのっていいよな、うん。
金持ちのお坊ちゃん的な部分はイヤだけど、我が儘言えないし、素直に喜んでおこう。
現実と理想を計りにかけた葛藤を、心の中でブツブツ呟いてしまう。
すると突然、目の前から小さな笑い声が聞こえてきた。
驚いて視線を向けると、またしても黒崎が肩を揺らして笑っている。
何、どうした?
「心の呟きが全部口に出てるんだけど?」
「…え…」
黒崎のその一言で、顔が一気に熱くなった。
自分で自分の顔が見れないから確認しようがないけれど、これはもう間違いなく赤くなっているだろう。
心の中で呟いているつもりが全部口に出ていたなんて、恥ずかしい以外の何物でもない。
「そういう時は聞かなかった振りして流せ!」
黒崎の顔をまともに見れず、明後日の方向を向いて八つ当たりのように悪態をつく。
さすがにこれはムッとされるだろうという俺の予想に反して、一瞬キョトンと無防備な表情を見せた黒崎は、次の瞬間思いっきり声を出して笑ってくれた。
そこは笑うところじゃない!とツッコミを入れたくても、当の本人が前屈みになりながら笑っている姿を見ると、もういいや…、諦めの感情が湧いてくる。
それより何より、なんかもう穴があったら入りたい。っていうか、なんだったら自ら穴を掘ってでも入りたい。
怒りきれないし身の置き所はないし…、最悪だ。
笑われてばかりいる自分の行動に若干情けなさを感じて黒崎を眺めていると、本人はようやく笑いが治まったらしく、顔を上げて目尻に浮かんだ涙を指で拭っている。
「このままだと俺の行きつく先は『笑い死に』かもね」
「…看取ってやるから死んでくれ…」
楽しげに言う相手に疲労感たっぷりの口調で返しても、ただただニコニコと微笑まれるばかり。
これは、『苛められると喜ぶ人種』の一派と見ていいんだろうか…。
話せば話すほど変わっていく黒崎のイメージに、自分の思考能力が追いつかない。
けっして俺の頭は悪くない。それどころか良い方の部類に入るはずなのに、すでにその能力は放棄されている。
とりあえず黒崎の分析は後回しにして、今は荷物を解く事を優先した方がいいかもしれない。
そう決めると、黒崎の事は気にせず放っておいて、リビングの片隅に運び込まれていたダンボール箱に歩み寄った。
大きめの箱が2つあるけれど、服と身の回りの最低限必要な物しか詰めなかったから、量はそう多くない。必要なものがあれば、帰省の時にまた送ればいいだけの話。
まずは、すぐに必要になる服から片付けた方がいいだろう。
フローリングの床に座り込み、ダンボールのガムテープを剥がしながら片付ける手順を考えていると、フっと背後に気配を感じた。
「…なに?」
相手がわかっているだけに、振り向かないまま荷物を取り出す手を止めもせず問いかけると、おもむろにポンッと頭に手の感触を感じた。
その触れ方があまりにも優しくて、動かしていた手をピタリと止めてしまう。
「片付けが終わったら、学園内を案内するよ」
振り向いて見上げる俺に、背後に立っている黒崎が優しく微笑む。
最近、こういう普通の優しい対応をされる事がなかったせいか、どう答えていいのかわからなくて動揺してしまう。
ありがとうって言えばいいのか、お願いしますって言えばいいのか…、それとも、悪いから…と断るべきか…。
そんな戸惑いが顔に現れていたのだろう、少しだけ上体を屈めた黒崎が不思議そうに顔を覗き込んできた。
「変な顔して…、どうした?」
「……変な顔で悪かったな。この顔は生まれつきだ」
………俺ってバカ?
心配して言ってくれた相手に対して、いくら動揺していたとはいえ『対西条兄弟用』の戦闘モード返答をしなくたっていいだろ。
言った瞬間に反省してももう遅い。覆水盆に返らず…だ。出た言葉は取り消せない。
絶対に気を悪くしただろう相手を恐る恐る見上げると、意外な事に当の本人はまた口元を隠して顔を横に逸らし笑っているではないか。
もしかして笑い上戸?
呆気に取られて暫く笑う姿を眺めていたけど、そのうちに自分から緊張が抜け落ちていくのがわかった。
体から力が抜けた時点で、それまでいかに自分が緊張していたかがわかる。
見知らぬ他人と突然一緒に生活する事になって、気付かないうちにかなり気を張っていたみたいだ。
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