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学園生活7
† † † †
雨。
絹糸のような細い雨が静かに降る中。放課後の誰もいない渡り廊下を何気なく歩いている途中で、まるで水の中に取り残されたようなこの不思議な空気に誘われて足を止めた。
雨に霞んで白くぼやけて見える外の景色。
雨音にかき消されるのか、それ以外の音が聞こえない静かな空間。
どこからか規則的に聴こえてくる雨だれの水音が、久し振りに気持ちを落ち着かせてくれるような、そんな優しい自然の音色。
もう少しこの空気に触れていたくて、渡り廊下と外を遮る柵に腕をかけて寄りかかった。
「…静かだな…」
そんな自分の呟きさえも、雨に吸い込まれていくようだ。
ひたすら降り続ける天からの恵みに濡れる木々を眺めながら、先日の食堂での事を思い出した。
その途端に顔が緩む。
やっぱり、俺が天原本家の人間だとわかっても、二人の態度は変わらなかった。それが本当に嬉しい。
大丈夫だと確信を持っていたけれど、心のどこかで不安な気持ちがあったのも確かで…。
それが杞憂だったとわかった瞬間、肩に入っていた力が抜けるような思いを味わった。
信じられる友人を得られた幸せな気分のまま、時も忘れるほどボーっと外の景色を眺める。
そして、自分すらこの景色の中に溶け込んでしまうかと思うほど雨の世界に浸りきった頃になって、教室棟の方向から徐々に近づいてくる数人の声が聞こえてきた。
その声と気配でハッと我に返る。
…いくらなんでもボーっとし過ぎだ。
浸りきっていた自分に苦笑いを浮かべ、どれほどの時間ここにいたのかわからないけれどいい加減に寮へ帰ろうと、寄りかかっていた柵から身体を離して歩き出そうとした。
…けれど。
「深?」
渡り廊下に現れた数人の生徒達の中から放たれた聞き覚えのある声に、歩き出そうとしていた足を止めて振り返った。
…秋?
今まで校舎内で遭遇したことがなく、寮以外で会った事などほとんどない同室者の姿がそこにあった。
同級生なのに校舎内で会わなかった事の方が不思議なのに、実際にこうやって会ってみると変な違和感がある。
距離感というかなんというか…。寮部屋では近く感じた秋が、妙に遠く感じる。
数秒たってそんな困惑から覚めると、そこでようやく秋以外の3人の人物が視界に入ってきた。
たぶんクラスメイトか何かだろう。親しそうな雰囲気をまとっている。
「今から帰るの?」
こっちに向かって歩きながら優しい笑みを浮かべて問いかけてくる秋に、そうだよ、と答えるつもりで口を開いたけれど、すぐにその口を閉じた。
秋の左隣にいる子が、僅かに顔を歪めて俺を見た事に気がついたからだ。
黒髪で品の良さそうな、アジアンビューティーという言葉が似合う外見。
…な…んで?
見ず知らずの相手から、例え僅かだとしても負の感情の混ざった視線を向けられて平然といられるほど、強くはない。
戸惑っているうちに、秋に返事をするタイミングを完全に逃してしまった。
親しく言葉を交わしてはいけないような空気を感じ取ってしまえば、会話を続行する事に躊躇ってしまう。
初めて会うはずの相手からの、意味のわからない敵視ともとれる視線。
どうすればいいのか判断がつかないまま、とりあえず今は無駄な争いを避けたくて足を踏み出した。
秋とすれ違いざまに、「また後で」と小声で一言だけ返し、そのまま昇降口のある教室棟へ向かって足を進める。
昇降口に辿り着いた時には、雨の音に聴き入っていた時の落ち着いた気分などすでに欠片もなくなっていた。
side黒崎
「黒崎君。あの人、知り合い?」
去っていった深の後ろ姿を目で追っていた秋に、クラスメイトの一人が問いかけてきた。
その声に意識を戻されて隣を見ると、自分を見上げる黒い瞳とぶつかる。
「…そうだね。知り合いだよ」
「仲…良いの?」
今度は背後からの声。
チラリと視線を向けた先には、隠そうとしても隠しきれていない嫉妬の色が見え隠れしている眼差しがあった。
嫌になるほど覚えのある表情に、溜息を吐きたくなる。
いい加減にしてくれないか?
そう言いたいのを堪えて、穏やかな笑みを口元に浮かべる。
「さぁ…、どうだろうね…」
曖昧な返事では問い詰める事もできないだろうと見越しての言葉に、案の定、俯いたまま黙る相手。
それには気付かない振りをして特別棟へ向かって歩き出しながら、さっき深から言われた言葉を思い出した。
『また後で』
その言葉に嬉しさを感じている自分がよくわからない。
それでも、
早く帰って深に会いたい
そう思う気持ちに嘘はない。
変に媚びることもなく構えることもない、いつも自然体で接してくれる深に、いつの間にか安らぎを覚えている自分。
言動に二心が感じられないせいか、こちらもついつい素を出してしまう。
こんな風に思える相手は初めてだ。
寮で過ごしている時の、強気の割にはボケたところのある姿を思い出すと、自然に顔が弛んでしまう。
特別棟に足を踏み入れたと同時に、今から行われる委員会に向けて意識を引き締めたものの、いつも胸の内にあった冷たいものが融けだしたのを心の片隅で感じとっていた。
そして、そんな柔らかな気配に変わった秋の姿を、左隣にいた人物が表情の無い顔でジーッと見つめていた。
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