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学園生活17
更には、目の前の秋の唇から発せられた不機嫌そうな低い声とその内容に、驚いて目を見開いてしまった。
「キスマーク」
「…………は?」
…いま…、なんて?
耳に入ったはずの言葉が理解できず、ひたすら秋を凝視する。
「…キスマーク…って、…え?」
…は!?キスマーク!?なんでそんなものが俺の首元にあるんだよ!?
嘘だろ?と焦って視線を下げるも、当たり前だけど自分の首元を自分で見る事なんてできない。
その時フッと、さっきの図書室での出来事が脳裏に蘇った。
宮原が首筋に顔を埋めてきた時に走った小さな痛み、…まさかアイツ…。
「その顔は、心当たりがあるみたいだね?」
「違っ…!」
違わないけど違うんだ!…って、どう言っても跡を付けられたのは事実で…。
上手く言葉に出来ないもどかしさに眉を顰めて黙り込んでいると、突然首筋を撫でられてビクッと肩を揺らしてしまった。
「…な…に…」
「なにじゃないよ。どうしたんだ?これは」
「…こ、これは…あの…」
何か良い言い訳はないかと必死に考えても、動揺しすぎて真っ白になっている頭でいくら考えても良い案なんて思いつくはずもなく。
それに、俺を見つめる秋の表情があまりにも真剣で…。これはもう本当の事を言わないと怒りは解けないだろうとわかった。
図書室で宮原と会った事、そこでふざけ半分にキスマークを付けられた事。
嘘偽りなく洗いざらい話した。
これでもう話すことはない!…と開き直ったけれど、話はそれだけでは終わらなかった。
いつから宮原と知り合いなのか、もしかして他にも何か隠している事があるんじゃないのかとか…。
自分でも気付かないうちに、叩けば埃が出る体になっていたらしい。
ついでのように、この前の夜に寮のロビーで鷹宮さんと会った事まで白状させられた。
「まったく…、なんでこう厄介事に巻きこまれるんだろうね」
目の前で思いっきり溜息を吐かれると、さすがに後ろめたくなってくる。
おまけに、真藤に言われたセリフを秋からも言われるとは…。
でも真藤の場合は、秋自身が“厄介事の種”扱いだったけど。
まさか自分も他でそう言われてるなんて秋は気付いてないんだろうな…。
そう考えるとなんとなく可笑しくなって、笑いそうになる口元を必死に引き結んだ。
「もう全部話したんだから離せよ。これ以上隠している事は何もないからな」
いまだ首筋にある秋の手を掴んでビシッと言い放つ。でも何故かその手は離れてくれない。
離れてくれないどころか、首の後ろ側にするりと手が回されて、グッと引き寄せられてしまった。
鼻先がぶつかるくらいに近づいた秋の顔に、反射的に目を瞑る。
「………」
「………」
息を詰めて秋の次の行動にビクついているのに、当の本人は何を考えているのか沈黙が続く。
それでも、真正面から見つめられている視線は目を閉じていても感じられる。
こういう沈黙って居たたまれなくなってきて辛い。
そろそろ根を上げそうになった時、ようやく秋が口を開いた。
「……前に言ったよね?」
耳元で聞こえた囁くような低い声に、ゾクリとした何かが背筋をはしる。
思わず目を開けると、目の前にあると思った秋の顔が更に近づいて耳元に移動していた。
「…言ったって…、なに、を…」
痛くなるほどの心臓の鼓動に言葉を詰まらせながら問いかけると、暫く沈黙したあとに秋が口を開いた。
「油断するなって、言ったよね?…確か実践までしたと思ったけど…、理解してくれなかったのかな?」
秋が話すたびに、その唇が微かに耳朶に触れる。
くすぐったい感覚に肩を震わせた俺の耳元で、クスリと笑う吐息を感じた。
そこで不意に、編入初日の中庭で起きた出来事が頭をよぎる。
…確か、キス…されたんだよな。
その時の事を思い出して固まっていると、ようやく首筋から秋の手が離れて顔が遠ざかった。
「思い出した?」
目線を合わせながら問われて、1も2もなく頷き返す。
必死に頷く俺を見た秋は、それまでの怪しい空気から一転、やわらかな苦笑いを浮かべた。
「深がそんなに隙だらけだと、俺の不安はいつまでたっても消えないよ」
秋の口調は優しく、表情からは俺を案じる気持ちが伝わってくる。
「ごめん…。これからは気をつける」
自分の迂闊さと、秋が本当に心配してくれていた事がわかって、なぜか泣きそうになってきた。目頭がジワリと熱くなる。
宮原の行動に動揺して怒って、秋の怒りに動揺してドキドキして。この短時間で一気に揺れ動いた感情から解放された瞬間、安心感と共に涙腺が弛んだのだろう。
そんな状態がバレないように俯いている俺の頭に、ポンと乗せられた秋の手。
一度だけクシャっと撫でられる。
恐る恐る顔を上げると、微笑んでいる穏やかな眼差しとぶつかった。
「たまには一緒に夕食、食べに行かない?」
「…も…ちろん、行く!」
さっきまで滲みそうになっていた視界が、秋のその言葉で急激にクリアになった。
そんな自分が単純過ぎて恥ずかしいけど、秋とご飯を食べに行けるのであればそんなの気にもならない。
泣いたカラスがもう笑った状態で即答だ。
そして、そんな俺の単純さを秋も可笑しいと思ったのか、声を押し殺しながら笑われてしまった。
まるで子供みたいな自分に居たたまれなさを感じつつも、秋とご飯を食べに行く事がとにかく嬉しくて、勢いよくソファから立ち上がった。
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